Review of the great market / 大市の報告会
栞を挿したページをパラリと開き、ひとつひとつの単語を追っていくが、全く進まない。
リンが読んでいるのは、フィニステラ領の文官が過去に記したという、お茶の栽培記録だ。
夏の大市までに読んで、返却をすることになっているのだが、日記みたいなものらしく、なかなか読みにくい字である。文字を追うのに、首が自然とナナメに傾く。
「『四月、上の畑。犬の領主が、楽しく見回り、私は一緒に』」
「リン、領主の犬だ。犬の領主ではない」
「ん?」
「『領主の犬が、私の見回りと一緒に、楽しく走り回った』だ。誰かに読み上げてもらったほうが、いいようだな」
執務室から出てきたライアンが、応接室で読んでいたリンの間違いを訂正した。後ろにいるシュトレンは笑いをこらえている。
自分が作った文章に、リンも笑った。
犬の領主に会ってみたいものだ。
「そうしないと、大市までに終わりそうもないですね」
「リン、待たせた。馬車も到着したぞ」
リンは持っていた日記を閉じ、アマンドに渡すと、ライアンの後に続いた。
今日は大市の報告会、というか反省会があるので館に向かうのだ。情報を共有して、すぐに『秋の大市』に向けて準備を始めるという。
病み上がりのリンは欠席を勧められたが、最後の〆までをしっかり見てみたい。
「終わったばかりで、もう次の大市ですか」
「ああ。それでも準備がギリギリだ」
「あれ?次の大市は、王都のですよね?」
「『夏の大市』は、各領の領主をはじめ、多くの貴族が王都に集う。街に出店の天幕もあるが、メインは王城での貴族の社交だろう。……リンは、王都の方へも行きたいのだろう?」
リンが王都へ行く気でいるのを知っているが、ライアンは念を押した。
「……お茶の生産国の人に会えるなら」
「そうか」
「ライアンは、王都にはあまり行かないんですか?」
「私がでる商談があるのは、春と秋の大市ばかりだ。夏は、領同士の商談というより、お茶会等で、貴族や領地の噂話を仕入れるのが仕事じゃないか?」
ライアンが皮肉気に言う。
成人してから、ライアンは夏の王都へ行ったことはない。
見合い話だの、賢者への依頼だの面倒ばかりなので、きっちり避けていた。だが、リンが行くのであれば、ライアンが同行しないわけにもいかないだろう。
「う、それは、嫌ですよねえ。でも、私は貴族の社交がないので、気が楽です。王都も見てみたいし」
タブレットやラグナルも来るのに、貴族の社交がないと思っているところが、リンの認識がズレた部分だ。
会議室に入ると、見知った顔が集まっていた。
大市前の会議ではリンも緊張していたが、一緒に天幕で働いたメンバーなので、どこかほっとしてしまう。
「それでは、これより『春の大市』の報告会を始めます。秋に向けて、どうぞ皆さまご意見をお願い致します」
文官が立ち上がって、まず数字の報告をしていく。
「今回の商談では、領が始まって以来、初となる規模で、契約が成立致しました。お手元の資料をご覧ください」
会議室にカサカサと紙の音がする。
「前年の春の大市の数字と比べますと、約二十六倍となっております」
その数字に、おおっという、驚きと喜びの入り混じった声があがる。
資料をみると、売り上げの半分はシロップと砂糖であがり、もう半分は『冷し石』『温め石』の精霊道具の割合が多い。美容製品は個数が出ているが、単価が安くなるので、全体の金額が少ない。リンの気になる薬草茶は、そこそこ、といった所か。
「シロップと砂糖はクナーファ商会の、運搬協力があったことも大きく、輸送を気にせずに増量された所がございました」
「クナーファとは、今後も密に連携をとる必要がある。クナーファの扱う砂糖市場に食い込むには、それぞれに利がなければうまくゆかぬ。ロクムによると、バニラの流通が増えれば、クナーファ側では問題は少ないらしい。恐らく、秋にはクナーファ商会より、来年度、何らかの契約を持ち掛けられるだろう」
文官たちがライアンの言葉にメモを取っていくのに、リンも慌てて、バニラのレシピ追加、と書く。
「『冷し石』『温め石』は今後、自領のギルドでもつくれますが、大市で試用に出した石は、ほぼすべて買取られ、返却はありませんでした。規格外サイズの注文に関しては、今後、必要なサイズを見極めてから、注文が増えると思います」
ライアンがそれに対して頷いた。
「それでは、秋に向けての準備について」
まず、文官の一人が立ち上がった。
「全体の反省点として、週末に屋台の混雑が大きかったです。秋は場所を東へ広げ、週末のみの出店も検討します」
「混雑の理由はわかるか?」
「来訪者の増加です。今年は天候に恵まれましたので。秋は収穫祭の意味合いもあり、例年、来訪者が増えますので、その準備を、と」
「わかった」
「次に天幕での変更点です。館の料理人の協力のもと、天幕でも農産物を使った、甘味の提供を考えております。それから、毎日お茶を飲みに来られる方もいらっしゃいますことから、応接スペースを広げます」
タブレットのことである。
野菜、フルーツ、シロップ、チップス、などと甘味用にメモを取っていたリンは、ピタリと止まった。
ライアンも苦笑し、わかったとうなずく。リンのメモには、続きに、工夫茶準備と書き加えられた。
薬事ギルドのマドレーヌが立ち上がる。
「薬草の美容製品、食への利用という流れができましたので、これをさらに充実させていきたいです。資料の最後に、収穫が見込める薬草リストを添付してあります」
そこには薬草のリストとともに、ギルド内で考えたらしい、フローラルウォーターや、クリームにどの薬草を使うかといった、提案も書かれていた。
「フレッシュな薬草がある間に、いろいろ試したいですね」
「できれば、リン様にもご協力をいただければ」
「はい。蜜蝋があれば、キャンドルにも薬草が使用できます。あと、フローラルウォーターなのですが、蒸留時に、同時に精油が取れる物があるので、実験には参加したいです」
「わかりました」
ミント、タイム、カモミール、ローズ、将来的に原料に問題がなくなれば、ローズマリーに、ラベンダー。ヴァルスミアらしいので、樹木系の精油があっても、いいかもしれない。
「リン様、他にもなにか新商品を考えていらっしゃいますか?」
商業ギルドのトゥイルが尋ねると、息を詰めて、皆がリンを見る。
大丈夫だ、今度は秋まで日数があるのだからと、それぞれが気を落ち着かせていた。
「精霊道具で考えているのがあって……」
リンも、ライアンに会議のことを聞いてから、少し考えてきたのだ。
ライアンが精霊道具ときいて、片眉を器用に上げた。
「言ってみろ」
「サラマンダーとシルフで」
サラマンダーと聞いたところで、ライアンが眉をひそめた。
「そんなに嫌そうな顔をしないでください。ライアンも知っている祝詞ですよ。『温風』です」
「あれか」
「『温風』がでてくる、ヘアドライヤーを作りたいです」
「リン様、それはどのような道具でしょう」
「温かい風が出てくるので、真冬でも髪を乾かしやすいのです。ブラシと一緒に使えば、髪もサラサラで、綺麗にまとまります」
女性陣は、まあ、という顔をしているが、男性陣はピンときていないようだ。
「髪の毛だけじゃなくてですね、形を変えて足元に置いたら、寒い時に、足元から温まります。大市の天幕で使えば、火の使えない外でも寒くないですよ?冬場の馬車とかも……」
今度こそ、皆、おお!という顔をしており、ライアンも考えこんでいる。
「同じ原理で、冷風も出せるな。……夏の大市にでも持って行くか」
「えっ!夏?」
それはあと一月半ということだ。
大丈夫、皆がもう慣れている。
今度はゴクリと喉を鳴らす音が聞こえただけで、悲鳴は上がらなかった。





