The graces of two elemental spirits / 二つ加護
領へと戻る船室で、パネトーネ侯爵は娘に向かって声を荒げていた。
「クレマ、其方はまだわかっておらぬ!寵愛のある者に、あの態度は控えぬか。此度の一件が、領への不利益となるやもしれんのだぞ!」
王都 セントミアを流れる二つの川の一つが、海沿いにあるパネトーネ領内で海に注ぐ。そのために貿易中継地の港の一つとして、領が栄えているのだ。
今回の大市で注目の、取引量が倍増したウィスタントンに、スパイスの輸出で現在も港の利用が多い『スパイスの国』。その二つから、娘の行いに苦情が入った。ウィスタントンを田舎と蔑み、あまつさえ『スパイスの国』の長、タブレットの商談を中断までさせたという。
王都を流れる川はもう一つある。そちらの港だけが利用されることになったら、領の経済は一気に厳しいものとなるのだ。
クレマは椅子に座り、美しい顔を不機嫌に顰め、そっぽを向いている。そして、何度繰り返されても理解したくない言葉に、父に対し、キッと睨むような視線を投げた。
「お父様ご自身が愛妾を置くから、私にも我慢しろとおっしゃるのね。冗談ではないわ!あの愛妾のせいで、私が遠ざけられるなんて」
パネトーネ侯爵は、このような不祥事の後、娘とライアンとの縁は難しいと理解もしている。それも、苛立たしいことだった。
娘がどこに嫁ぐにしろ、貴族社会では、家同士の繋がりと子孫の繁栄を願い、第二夫人や愛妾を置くのはよくあることだ。特に領主一族は、そこに政治的配慮が加わり、断れない縁もでてくる。それすら納得できていないとは。
愛妾を憎み、蔑む顔など、クレマの母で今は別居している第一夫人に、そっくりだと思った。特に愛妾が男児を設け、改めて第二夫人と遇されてからは苛烈を極め、住居を分けねば息子の命が危なかった。
別れて住み、たまにしか会えない娘に、自分は甘すぎたのかもしれない。
「其方はウィスタントンの天幕まで行き、何を見ていた?リンといったか。調べでは、その者がウィスタントンの新商品開発にも関与していると言う。ただの愛妾ではないのだぞ」
「お父様、馬鹿をおっしゃらないで」
「たとえ賢者殿の補佐だとしても、『スパイスの国』の長に対することを許されていたのだ。領への有用性からいっても、寵がなくなることはない。なぜそれがわからぬのだ」
「有用性ですって?そのようなもの二つ加護の私がいれば……」
パネトーネ侯爵は、全く状況を理解していない娘にいらだった。
「力の制御すらできぬ二つ加護に、何の意味があるというのだ!クレマ、其方、ご令嬢のお茶会まで台無しにしたのだぞ。ご領主夫人も在席していた目前というではないか。お二人に怪我があったら責任も取れまい!」
リンが侮辱された話を聞いたシュゼットが、すぐさまクレマに釘を刺すために呼んだのだ。カリソンゆずりの華やかな笑顔のまま、シュゼットは釘どころか、心が凍えるような大杭をぐさりと打つことができる。
その茶会の場でサラマンダーとオンディーヌが暴れたのだ。
クレマの目の前で火花がバチバチと上がり、椅子から落ちるという無様をさらした後、水が宙から落ちてきたのである。クレマも側にあった椅子も、部屋も水浸しである。
これにはウィスタントン領主一族だけではなく、館に滞在していた他領の貴族に、二つ加護を疑われまでしたのだ。
クレマは思い出して、悔しさにぐっと歯を噛みしめた。シュゼットは同年代では数少ない、クレマよりも立場が上の女性で、弱みを一番見せたくなかった。
「あれは私のせいではありませんわ!」
「まだ、そのようなことを!」
「叔父様だって、水と火の精霊は、扱いが難しいとおっしゃっていましたもの!」
「全く、クロスタータも何を教えているのやら。クレマ、今まで其方の希望で、王都の屋敷で好きにさせていたが、これ以上の勝手は許さぬ。領へ戻り、しばし謹慎せよ」
「お父様!」
父の平素とは違う、領主然とした厳しい声に、クレマの手は冷たく、おののくばかりだった。
ベウィックハム領、領主次男のクラフティは、春の大市に初めて一人で参加し、高揚した気分で戻った。出発前に文官が段取りを組んでいたとはいえ、予定をしていた契約も問題なく整った。そればかりか憧れの賢者と直接面識を持て、誠に充実した滞在だったのだ。
王都の屋敷にいる父に報告をし、明日にでも領地へ戻ろうと思っていた。これから薬草がグングンと成長する時期である。
兄のグラニテは、弟が王都に立ち寄っていると聞き、家族談話室へ向かった。
これで領地までわざわざ出向かなくとも済む。精霊術師ギルドの幹部に再度言われたように、なるべくクラフティから様子を聞きださねばならなかった。
執事の取次も不要と退け、早足で向えば、ドア越しに弟の声が聞こえてきた。
「―――――― そうです、母上。開発者はリンという女性で、ライアン様が重用されている方です。こちらも、リンが最後に持たせてくれた菓子で」
「父上、入ってもよろしいか」
領主夫妻とクラフティが、くつろいで話しているところに、割って入った。
「グラニテ、ここに来るのは珍しいな?」
「ええ、久しぶりに家族揃っているので、話でもと思いまして」
同じ王都の屋敷内に住んでいても、グラニテが領主の前に顔を出すことは滅多にない。グラニテは、もっともらしいことを言い、空いている椅子に腰を下ろした。
メイドがすぐ、ティーポットの茶をついでいる。
目の前の小テーブルには、大市から持ち帰ったらしい商品が並んでいた。領主の手には、契約書の束がある。
「初めて一人で行かせた大市であったが、クラフティがなかなか良い契約をして参ったぞ」
「慣れている父上の文官に、だいぶ助言を願いましたので」
領主がよくやったと笑みを向けると、クラフティは、はにかむように言った。
ほとんどがその文官の手柄であろうと、冷めた目でグラニテは見ている。
「それで、クラフティ。こちらが、その薬草を使ったお菓子なのね?」
「はい、母上。先方でも薬草を使用した料理や、カモミールを使ったというケーキをいただきました。これは領への土産にと、お気遣いいただいたのです。ローズマリーとチーズ、そちらがタイムとレモンだとか」
「薬草を料理や菓子にするだと?ウィスタントンでは、一体何を考えているのだ」
クラフティは兄の言葉に、テーブルに並ぶ、ウィスタントンで発表されたばかりの新商品の数々を説明した。シロップや砂糖、ブラシなどもあったが、ベウィックハム領としての関心は薬草にある。
「兄上、そちらの茶もローズマリーが入った薬草茶なのです。薬効もあるといいます。この石鹸やクリームも同様です。私はそこに薬草の未来を見て、協力を決めたのです」
「協力だと?!お前は術師として未熟だと思っていたが、全くなっておらぬ。精霊術学校で、三年間何を学んだのだ!希少な薬草を薬としてこそ、そこに領の利があるのだ」
グラニテは声を荒げた。
「グラニテ、やめなさい」
父の制止に、グラニテが一度息をつくと、クラフティはまっすぐな目を兄に向け、説明した。
「兄上、薬の効能と重要性もしっかりとわかっております。でも賢者殿は、高額となる薬価の払えぬ民も、薬草で不調を整えることができ、領政・国政の一助となるとおっしゃいました。私は、そこに共感したのです」
「グラニテ、我が領の薬草は、変わらずに売れるのだぞ?販路が広がるだけだ」
領主もクラフティの援護をする。
「ありえませぬ。薬にすれば、領の薬草をより使い、また高くも売れるのです」
「グラニテ、其方の精霊術師としての立場と見識は分かっているつもりだ。薬の価値を落とすわけでも、薬とする薬草を減らすわけでもない」
「薬ですと、濃縮のために多くの薬草が必要になります。栽培からいっても、我が領の生産量を、兄上の要求通りには増やせないのです」
「だからお前は、土使いとして未熟だというのだ。グノームに土地の改良と、育成の促進をさせれば解決する話ではないか。精霊術師は、加護の力を使ってこそなのだぞ」
「それは……」
「グラニテ、それはならぬ。土の加護持ちだった父上も、それだけは決してしてはならぬと、厳しく戒めておった。結果として領を殺すことになる」
領主は難しい顔をして首を振った。
自分と同じ土の加護持ちとして、とりわけクラフティを可愛がっていた祖父を、グラニテは忌々しく思い出した。
「そちらの石鹸や、今、兄上が手にされている茶にも、我が領の薬草が使われており、領民が楽し気に選んでおりました。それを尊いと感じたのです」
「国の聖域があり、賢者のいるウィスタントンともあろう領が、このように精霊術師をないがしろにするような商品を発表すること自体、間違っている」
領主は、緑の地に襟元に赤のラインが入った、二つ加護の術師のマントを着た息子を見た。
「グラニテ、その方は精霊術師だから、特にそのように感じるのであろう。だが、私はクラフティが領の未来を考え、判断したことを、間違っているとは思わぬ」
領主のその言葉に、グラニテは激昂して立ち上がった。顔が瞬時に真っ赤となり、手はブルブルと震えている。
「父上は、私が領の未来を考えていないとおっしゃるか!」
「そうは言っておらぬ。ただ、其方は精霊術師としての矜持があり、判断を精霊術師としてすることが多い。術師でありながら領政を第一に考える、父上やクラフティと違うところだ」
グラニテはそのまま、薬草茶に口もつけずに立ち去った。
 





