In the kitchen of the manor / 館の厨房で
『スパイスの国』との商談があった日、交渉がうまくいき、希望通りの量でスパイスが手に入った、とライアンから報告があった。『ラブ』シリーズは人気なので、天幕の皆から、おお、という歓声と拍手が沸き起こった。
「リン、リストにあった、ガーリックにターメリック、それからバニラも手にはいるぞ」
「えっ!やったー!」
リンは思わず、椅子から立ち上がった。そのリストは、もしかしたら、と念のためにライアンに持っていってもらったのだ。
「どれぐらいの量を欲しいかを聞かれている。あと、先方からの要望で、なぜターメリックが酒を飲む者にいいのかという事と、できればバニラの使い方を教えて欲しいそうだ」
不思議だ。生産国の人が使い方を知らないなんて。リンの訝し気な顔を見て、ライアンが続けた。
「バニラはクナーファ商会が持っていた。『スパイスの国』ではなくて、砂糖の島から来るそうだが、大陸で使い方を知る者がおらずに、困っているらしい」
「なるほど」
「あとガーリックは香りが強くて、大陸ではどうか、とも言っていたぞ」
「うーん、確かにそうですけど、適量を使えばおいしくなるんですよ?ほら、あの『皇帝』のオイル漬けとか」
使い方を知らなければ、広がらないだろう。売れなければ、商品として扱われなくなって、リンの手にも入りにくい。
「説明の会合を設定してよいか」
「かまわないですよ。どういう物か知らないと売れないでしょうし、こちら側も知らなければ、欲しい量を決められませんよね?」
うまく皆の時間が揃う五日後、会合が持たれることになった。
そして、その会合の日。
朝の日課が終わると、リンはアマンドに、館用の貴族衣装に着替えさせられた。この間の謁見用衣装より、袖も裾も短いけれど、今日は厨房で作業がある。
食べてもらうのが一番だろうと、ブルダルー達、館の料理人も協力することになったのだ。彼らが新しいレシピに、興味津々だったせいもあるのだけれど。
「アマンドさん、でも今日は厨房に入りますよ?この袖だとちょっと長いですけど」
「大丈夫でございますよ。厨房ではブルダルー達が調理を担当するのでしょう?リン様はバニラの説明をなさるぐらいだと」
しっかりと事前調査がされていたので、このドレスを着るしかない。
ピンクがかったラベンダー色のドレスに、フォレスト・アネモネが胸元部分とウエストを中心に飾られている。刺繍だけじゃなくて、白の別生地で立体的な花の形を作ってあるのが、今まで見たことがないスタイルだ。
「これは今までと、ちょっと違いますね」
「リン様の下着からイメージしたそうですよ。こちらの方が刺繍より早くできるのに、豪華に見え、ボリュームが出ると申しておりました。」
そういえば、館で剝かれた時に着けていたブラは、紫陽花のような花が少し立体的になっていたかもしれない。それでレーチェが、こちらの人と比べると若干控えめな、リンの胸の辺りを盛ってくれたようだ。
「それは新作だな。……リンに、色も形も良く似合う」
思わずリンも笑顔になるような、目の保養になる笑みを、階下で待っていたライアンにもらった。
館では第二厨房へ向かうことになっていた。本館の中庭側にある厨房で、夏のガーデンパーティーの時だけ使われるらしい。
ブルダルー達と事前準備は終わっている。ガーリックとターメリックを使った料理は、すでにできているはずだ。リンが今日するのは、ターメリックの説明と、どうやってバニラを使うのかを見せるだけである。
厨房に入ると、料理人達以外に、『スパイスの国』の文官が数名と、ロクム・クナーファが待っていた。
ライアンのエスコートのまま近づき、ゆっくりと膝を折る。
「リンと申します。よろしくお願いいたします」
「タブレット・タヒーナだ。今日はよろしく頼む」
「よろしくお願いいたします、タヒーナ様」
「タブレットと呼んでくれ。昔から大市には来ていて、ライアンの友人だ」
「それでしたら、私もロクムでお願いします、リン様」
リンがライアンの顔を見上げると、ため息とともに頷いた。
タブレットに顔を戻すと、リンは思わずマジマジと見てしまう。
「リン、ライアンの前で大胆だな。いい男で驚いたか?それともこの目が珍しいか」
タブレットは目にからかいの色を浮かべて、ニヤニヤと笑っている。
「あの、よく見慣れた、シロと同じ綺麗な目で……。し、失礼しました」
「シロ?」
「大市で見たことがあるだろう?リンの護衛をしている白い狼だ。確かに同じ色合いのオッドアイだな」
ライアンがくすりと笑いながら言う。
「アイツか。目までは見たことがないな。こんど確かめにいこう」
狼と一緒にしたことを怒られずに済んで、ほっとしていると、気になるターメリックについて、早速タブレットが質問してきた。
「私の国では、お酒を飲む前にターメリックを摂取すると、お酒を身体の中で分解するのを助けて、次の日に残らないと言われていたんです」
「ほう。そのような薬効があるのか」
タブレットは自分の文官を見た。きっと検証するのだろう。
「でも、そういう効果があるということは、逆に取り過ぎも良くないんです。すでに身体が弱い人とかも、かえって逆効果になることもあります」
「ああ。ほとんどのスパイスがそうだな。よくわかるぞ」
リンは簡単に理解してもらえて、ほっとした。
「他のスパイスと組み合わせて、少し料理に使うぐらいなら、今までと違う料理が楽しめますし、薬効も問題ないと思うのですけど」
「ああ、そうだ。リンは我が国に来ても、問題なく馴染めそうだな。スパイスも好きだろう?」
「ええ。今日もガーリックとターメリックを使った料理にしてあります」
その一つである『皇帝』のオイル漬けを見せた。それにロクムが気づく。
「リン様、これはラミントン領の新商品ですね?」
「ええ。ミディ貝『皇帝』のオイル漬けです。前に作った時はガーリックがなかったので、残念に思っていたのです。今日は二種類、あるのとないので、お試しいただきますね」
ロクムは、リンの影響がラミントンにまで及んでいることに、驚きを感じるとともに、腑に落ちていた。焼き貝にサントレナのレモンが添えられるようになったのも、リンの発案なのだろう。
「えーと、ライアン、あのですね、ミディ貝にガーリックで、例の効果も更にアップです」
「ふむ。ガーリック入りもラミントンの天幕に持って行ったが、それも伝えねばならぬな」
「例の効果とはなんだ?」
この場にはアマンドや、乳製品を担当する女性の料理人がいる。そう聞くタブレットと、ロクムと顔を突き合わせ、ライアンはヒソヒソとその効果を伝えた。
「本当でございますか?」
「なんだと?」
「リンによると、こういう効果のある商品は売れるらしいぞ。女性の美容と同じぐらい人気だそうだ」
「それは売れるでしょうね」
ロクムは顎に手を当て、考えこんだ。ウィスタントン領の『ラブ』シリーズだけではなかったのだ。
ライアンの肩に手を回して、タブレットは言った。
「ライアン、それをいくつか寄越せ。私が効果を検証してやろう」
「ラミントンで買え。まもなくラミントンの領主が来るから、その時にガーリックを売りつければいいだろう?だいたい、タブレット、其方にこれ以上、こんな効果は必要ないだろう」
「馬鹿を言え、ライアン。五人を常に満足させるのが、どんなに大変かわかっていないだろ」
「ご、五人?」
「ああ、リン。妻が三名、愛妾が二名だ。なんならリンが加わってもいいぞ」
驚くリンをからかう。いや、タブレットがからかって楽しんでいるのは、ライアンかもしれない。
「馬鹿を申すな」
「えっ、いえ、あの、ご遠慮申し上げます。私の国は一夫一婦制で」
リンは混乱しながら、オイル漬けの瓶を見た。確かに彼には必要かもしれない。
ロクムは考え込んだままだし、タブレットとライアンはまだ言い合っている。リンは気を取り直して、次に進むことにした。
最後に、バニラの使い方を厨房で見せ、その後に別室に移動して食事となる。
「使い方ですが、まず実を縦に割り、この様に中身をこそげて取り出します」
リンは褐色のバニラビーンズを手に取り、ナイフでその細長い実を切り割った。刃の先で実の内側をしごくと、黒い種がでてくる。
「この種を牛乳やクリームに入れて使います。砂糖と混ぜてもいいですね。バニラは熱を加えても香りが飛ばないので、焼き菓子でも大丈夫です」
タブレットもライアンも、バニラビーンズを手に取り、香りを嗅いでいる。文官やロクムはメモを取りつつ、聞いているようだ。
「バニラはたぶん高価だと思うのですけど」
「そうですね。バニラ豆は生産国も遠く、輸送を考えると、サフランと同じぐらいの価格です」
「うちのスパイスの中でも、一番高額なサフランと一緒か」
「高価なので、種を採った後の、このさやも使います。これにも香りがあるので、直接牛乳に入れて温め、香りを移します」
そう言うと、リンはブルダルーが用意しておいた牛乳にさやを入れた。
隣に置いてあったヴァルスミア・シュガーの壷を開けて、説明を続ける。
「あと、種を使った後のさやを、さっと洗ってよく乾かしてから、こうやって砂糖に入れれば……あれ?」
リンが壷にバニラのさやを挿そうとするが、入らない。
ライアンが中をのぞいて、摘まみだした。精霊は本当に油断ならない。
「えーと、続けます。種を使った後のさやを、さっと洗ってよく乾かし、砂糖に入れれば、砂糖に香りが移ります。これが基本の使い方です。あとは実際に召し上がっていただいた方が早いですので、移動しましょう」





