A philosopher as a star / 賢者はアイドル
「リン様、今日もこのまま裏から出られたほうが、よろしゅうございますよ」
裏庭に作った畑で、日課の水やりをしていると、表の確認に行ったアマンドが戻ってきた。
大市もすでに半ばとなったが、各地からの出店も数が一層増えている。それを目当てにヴァルスミアを訪れる者も多い。
家の辺りは出店もなく静かだったのだが、人が増えるにつれ、森の前まで聖域参拝に来る者も多くなった。
森の前で跪いてドルーに挨拶をし、そこにある大石の窪みに、少々の小銭を入れていく。ユール・ログの切りだしの時には、パンや酒瓶を載せていた、テーブル代わりの石だ。そして森の塔前に立つ騎士に、「どうぞ森の維持にお使いください」と、挨拶をして去っていく。
誠に整然とした参拝だが、ライアンがいるとちょっと違う。
工房や塔から出たとたんに、「白銀の髪よ」、「賢者様だ」とささやく声が聞こえ、遠巻きに囲まれ、チラチラと見られる。ライアンは慣れていて、無表情でそれにひとつ頷き、スタスタとシムネルを従えて去って行くが、中にはライアンの移動に合わせて、ウィスタントンの天幕まで付いていく者もいる。ヴァルスミアの人は丁寧に挨拶をしても、そんなことはしないので驚きだ。
賢者とはアイドルだったのだ。
ライアンは見目麗しく、端正で、目の保養になるのは確かだ。リンの保養にもしっかりなっている。精霊術師のネイビーブルーのマントを纏えば、凛としてストイックな感じがあるし、貴族の衣服の時は華やかだ。女性がヒソヒソ、きゃあきゃあと声を押し殺しながら付いて行くのはわかるけれど、男性も混じって、話しかけたそうにしている。
この家が賢者の工房だということは知られているので、ライアンだけではなく、シムネルやアマンドが外にでても視線が飛んでくる。目立つので、人がいる時は裏から出ているのだ。森での採集も、最近では早朝にしている。
「シロ、行くよー」
裏庭の隅で穴掘りに励んでいたシロを呼び、天幕に出勤した。
すでに天幕の雰囲気は慌ただしく、数名が商台をのぞいていた。
早朝に、大きな船が到着したらしい。
それで森の前も渋滞気味だったのか、と、すぐに試飲用のお茶を用意しはじめた。
「リン様、リラックスの試飲は、ございますか?」
「できていますよ」
三つのお茶のシリーズは、裏では「リラックス」、「ワーク」、「ラブ」と呼ばれるようになっていた。ウィスタントン石鹸も同様だ。
「ラブが足りません」
「ラブの補充に行ってまいります」
そんな言葉が飛び交っている。
そうそう、ラブは大事だよね、とリンは笑いをこらえながら、裏から足りない石鹸を持ち、商台へ説明に向かった。
「リン様、お昼はもう済んでおりますか?」
お昼過ぎに、ライアンと商談のためにギルドへ行っていたシムネルが、天幕に戻ってきた。
「ええ、戻ったばかりです」
「ちょうど良かった。これからライアン様が、ベウィックハム領の担当者を連れてまいりますので、お願いします」
ここ数日、同じような商談が多くなっている。最初か最後にここで商品を見て、そして味わってもらうと、話が早く進むらしい。
今日は「薬のベウィックハム」と呼ばれる、薬草栽培で有名な南の領地との商談だったはずだが、薬草の買い付けは、うまくいったのだろうか。
リンが薔薇のティーセットを用意しながら待っていると、ライアンが数名の客人を連れて現れた。まだ若い男性がその中心にいるが、騎士を伴っていることといい、着ている衣装の袖の長さを見ても、文官ではなく上位貴族だと思う。
シムネルさん、これは聞いてないよ~、と心の中で思いながら、皆と一緒に慌てて腰を落とした。
「頭を上げて構わぬ」
ライアンは、ベウィックハム領の者を椅子に案内し、リンの手を取って頭を上げさせる。
「クラフティ殿、この場のシルフを払わせてもらうが、よろしいか」
「は、はい。かまいません」
若者は口を引き締めて、真っすぐに椅子に座り、若干緊張しているようだ。ライアンの問いに、はっとして返事をした。
ライアンはいつものように『風の壁』で囲むと、シルフを払った。
『シルフ払い』は誰の目にも風の姿が見えるので、見ていて楽しい術だ。ライアンを中心にして、緑の風がすぅっと渦を巻き、『風の壁』の外まで下がっていく。これを使うと『飛伝』が来ても届かないので、自分で常に注意を払うか、外にシルフの見える風の術者を立たせておく必要がある。
ベウィックハム領の者は、初めて見る『シルフ払い』に、息を凝らし、見回している。ウィスタントンの者は、この短期間に見慣れたようだ。
リンは薬草茶の中から、ローズマリーの入った「ワーク」を選んで、配っていった。このローズマリーはベウィックハムから来ているはずである。
「クラフティ殿、紹介しておこう。リンという。薬草を使用した商品の開発者だ」
「リン、ベウィックハム伯爵の御次男でクラフティ殿だ。成人となられた昨年より、薬草栽培の任に当たっておられる」
成人ということは、十七歳だっけ。というより、ここにも御領主様の御子息がいた。ホントこれは聞いてないよ~、と、また頭を下げると、ライアンの横に座るように促された。
「リン、それでは話が進まぬ。……とりあえず商談は済んだのだ。ただ、今後のことを考えても、できれば薬草の栽培で、ベウィックハム領とも協力体制が組めればと思っている」
ティーカップを手にとり、クラフティにも勧めながら続ける。
「ウィスタントンでは、すでに薬以外への薬草の使用を始めている。実際に見てもらった方が早いだろうと思い、お連れしたのだ」
「薬以外への薬草の使用というのは、我が領でも前例がありません」
少しためらいながら続けた。
「その、精霊術学校でも、術師がいて薬にするからこそ、薬草の薬効を最大限に活かせるし、薬草の価値をより高めると習ったものですから、どうもその考えが頭にあるのです。文官の方より事前にお話をいただいた時も、それで直ぐの回答ができずにおりました」
「リン、クラフティ殿は土の精霊術師でもある。私と同様に、それを領のために使っておられるのだ」
「いえ、あの、術師としての腕はさほどではないのです。賢者様に、いえ、ライアン殿にその様に言っていただける程ではなくて、あの」
クラフティは焦ったようにお茶を飲みほした。リンよりもコチコチだ。
ライアンは苦笑する。
「そのように謙遜されずとも良い。其方の側にいるグノームは落ち着いている。良い術師なのだろう」
「あ、ありがとうございます。あの、賢者様にそのように言っていただけて、光栄です。お会いできるのを楽しみにしておりました!この度発表となった精霊石も、また素晴らしくて……」
真っ赤な顔をしている。これは、バリバリの賢者ファンかもしれない。
そうか、ライアンの後を付いて歩いている男性は、精霊術師なのかもしれないと、リンは思った。憧れのヒーローに会ったようなものなのだろう。
「昼には『金熊亭』の薬草入りソーセージを届けてもらい、それも味わっていただいたのだ」
「そうですか。じゃあ、ここではデザートに致しましょう。お茶は普通の紅茶に入れ替えますね」
今日はデザートの新作があるのだ。
ブルダルーと館の料理人と、何回か失敗しながらつくった、「カモミールとハニーミント入り ふわふわシフォンケーキ」である。
材料が簡単で、リンでも覚えていた。卵が三つ、砂糖と小麦粉が90gずつ、油と牛乳で90gだ。
「卵白の泡立てはツノが立って、曲がるぐらい」「それは、山ヤギのツノぐらいだろうか」という珍妙な問答から始まったが、館の料理人は今、ふわふわの泡立てにハマっているのだ。
今までのタルトやケーキよりも軽やかで、新しい流行となり始めていて、この間の晩餐会で、ムースの評判も大変良かったらしい。
「こちらも薬草の入ったケーキです。薬草もですけれど、ウィスタントンで採れた材料ばかりで作ってあるんです」
油も最初はオリーブオイルを使い、その後、料理人がすべてウィスタントンの物にしたいと、バターに変えて、何度も試したのだ。バターのコクが足され、しっとりしているけれど、それでもふんわりと仕上がった。
「新作か」
恐らく精霊用なのだろう、ライアンは最初にほんの一口を皿の脇に切り分けてから、そのフワフワを口に入れた。
「ええ、ライアン。館の料理人が何回も試しておりました」
「甘いだけではなく、爽やかな香りがしておりますね。カモミールでしょうか」
「そうです。それ以外にウィスタントン産の薬草も入っています。この風味も薬草の持ち味です。お茶にすればリラックスできるのですよ」
薬事ギルドのマドレーヌも付け加えた。
「薬効を考えれば、もちろん精霊術師ギルドのおっしゃるとおり、薬にすれば最大になります。ですが、カモミールはクリームにもしておりますが、肌への薬効が穏やかにあるのが確認されております。初夏には今年の収穫ができますので、フローラルウォーターなども試す予定です。私どもは、これらの商品に薬草の広がりを感じたのです」
クラフティも、それからベウィックハム領の者達も、そこに並べられた石鹸、クリーム、ヘアトニック、お茶といった目新しい商品を手に取り、眺めた。そして、商台で石鹸の香りを嗅ぎながら、楽しそうに選ぶ人の顔も。自領の薬事ギルドで、こんなに楽しく選んでいる者はいるだろうか。
「よくわかりました。ベウィックハム領も今後、薬草の栽培面でご協力できればと思います。ライアン殿のおっしゃった、薬の購入ができない民のためにもというお話にも、共感致しました。それに、薬草の持つ可能性を、私達が狭めてはいけないと思います」
クラフティは真っすぐにライアンを見て言った。緑の目がキラキラとしている。
ライアンが立ち上がり、握手の手を差し出した。
「協力体制が組めれば、双方の領地にとり、何よりフォルテリアスの民にとって、益となるのではないかと思う」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします、賢者様」
後ろでぶんぶんと振られているシッポが見えるようだった。





