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A day alone / ひとりの日

 その日の午後から、本当に珍しく、リンは一人になるようだった。


 今夜は館で領主主催の、最初の晩餐会が開かれるという。大市の時期は各国の貴賓も多く、そのような機会も多かった。

 ブルダルーもさすがに昨日から館に戻っている。ライアンは当然参加だし、シュトレンや、アマンドも手伝いに入る。


 午後から休みに入るリンに、ライアンは最後までうるさかった。


「本当にリンも館へ行かぬか?」

「晩餐会なんて、怖い所、行きたくないですよ」

「シュゼットと遊んでおればよい」

「いきません」

「では騎士をつける」

「やめてください。シロがいます。それに午後から、ティーバッグを試すので、工房に籠る予定ですから」

「もし何かあったら」

 

 リンはまだまだ続くらしい言葉を遮った。

 天幕の皆が、にっこりとこちらを見ているのに、耐えられなくなったのだ。

 ライアンは背中を向けているから、気づいていないけれど。


「ライアン、()()()()ですよ?」

「どのような人間が来ているか、わからぬのだ。身に危険が迫ったら、精霊に助けを求めるように」

「精霊ですか?」

「ああ。焼くか、刻むかわからぬが、きれいに片付けてくれる。後腐れも残さぬだろう」

「ひっ」


 楽しいひとり歩きが、殺人事件になってしまうではないか。

 ライアンはリンの腰のあたりを見ながら言った。


「そこで、すでにやる気をだしているが」


 リンは自分の脇を見下ろした。


「サラマンダー、私がいいって言うまで、やっちゃダメだよ」


 ライアンは眉をあげた。


「よくわかったな」


 サラマンダーしか考えられないだろう。

 リンがいいと言う日は来ないけれど。


 大丈夫ですよ、このまま帰るんですから、と言ったそのすぐ後に、リンは『北門』の方へ、織物を多く持っている商人が出店しているというので、見に行った。

 ティーバッグにする布を探しに行くのだ。

 最初に『レーチェ』に行ったのだが、リンの希望を告げたら、こちらの方が種類が多いと案内されたのだ。


 マーケットプレイスから六番目ぐらいで、右側。聞いていたとおりの場所にあったその店は、すぐに見つかった。

 商台の上にはカラフルな布が積み上げられ、簡単な天幕の骨組みからも、布がヒラヒラと下がっている。


「その狼は、今日はお嬢ちゃんにくっついているのかね。吠えもせずいい子だね」

「ええ、シロっていうんです。あの、レーチェさんからこちらを紹介されて。チーズクロスのような布で、目が粗めで、薄いものが欲しいんです」

「ああ、そりゃ『レーチェ』になさそうだな。あそこはもっと質のいい物が中心だ。この辺のリネンの平織りが、ざっくりと織ってあって、ちょうどいいかね」


 商人がポン、ポンと引っ張りだしてくれた布は、薄くて、生地も柔らかく、ぴったりだった。


「これがいいかな。んー、とりあえず六バーチぐらい」

「お嬢ちゃん、この辺りの気候じゃ、これだと夏でもアンダードレスにゃ薄いと思うがなあ」

「アンダードレスじゃないから大丈夫です。あの、ヴァルスミアによくいらっしゃいますか?もっと欲しかったら、どうしたら買えますか?」

「ん? ああ、それなら『レーチェ』に言ったらいいよ。ウチのお得意さんだからね。問題ないよ」


 また来ます、と挨拶をし、近いからついでに寄ってみようと、『船門』に続く道に入ったのは、ふと思いついたからだった。


 マーケットプレイスを行き来する度に、お茶を持って来ている天幕がないか、探しているのだが、見あたらないのだ。

 ブルダルーが、スパイスを扱うのと同じ商会が、ヴァルスミアにお茶も持ってくるといっていた。あちこちの国に支店を置く大商会で、特に輸入の薬品や食品で有名なのだそうだ。フォルテリアスにも、王都に支店があるらしい。

 スパイスの国の天幕にも商会の人間を置いているが、ここ以外に、商会単独で出店しているという。そこを見に行くつもりだった。お茶もあるかもしれないし、食品ならニンニクもあるかもしれない。


「えーと、クナーファ商会、と。ここかな」


 マーケットプレイスに並ぶ天幕程の大きさはないが、しっかりとした、左右と後方を覆ってある店だ。

 だが、シロをここに連れてきたのは失敗だった。

 もとより食品を扱う天幕にシロを入れるつもりはないが、その前で、すでにブシュリとくしゃみをする。ごめんね、と鼻をなで、少し離れて待っていてもらい、リンは中に足を踏み入れた。

 シロじゃなくとも鼻がムズムズとする。

 中の商台には瓶や壷がずらりと並ぶ。果実の瓶詰や、砂糖を円錐型に固めたものが見える。乾燥した肉なども天井から下がっている。スパイスだけではないようだが、やはり香辛料の香りは強力だ。

 お茶がこの香りの中にあるようなら、よっぽどしっかり密封されていないとダメだろう。


「いらっしゃいませ。お連れ様は大丈夫ですか?」


 そういって出迎えた商人は、外で伏せているシロを見た。

 黒い髪で、肌もこの辺りではあまり見かけない日に焼けたような小麦色をしている。スパイスの国から来た商人だろうか。


「あのぐらい離れていれば、大丈夫です」

「何かお探しでございますか」


 リンに視線を戻した商人は、力強い目をした、精悍な顔つきの男だ。その目と口元がわずかに弧を描き、ほんの少し柔らかさを添えた。


「ええと、クナーファ商会でお茶を扱っていると、聞いたのですが」

「お茶をお探しでございますか。あいにく季節的に、春の大市には、ほとんど持ってきてはいないのですが」

 

 そういって棚に並ぶ、いくつかの袋に視線を向けた。

 生産国から今年の茶を持ってくるには、王都の夏の大市か、次の、秋の大市になるという。

 確かに今頃からが、茶摘みの時期になるだろう。


「わかりました。お茶の産地の出店が見つからなかったので、こちらにはあるのかな、とちょっと思っただけで」

「昔は茶が届くまでに一年近くかかりましたが、ここ数年は産地が近くなりましたので、夏の王都の大市には、生産国からも毎年人が来ておりますよ。ですが、お茶をお探しでしたら、クナーファ商会が、ウィスタントンまでお届けできますが」


 この商人は、白い狼を連れた、異国の娘の見当をつけていた。


「いえ、ちょっとお茶の生産について、聞いて見たかっただけなんです」

「そうですか。やはりお茶がお好きなのですね。ウィスタントンの薬草茶の開発は、貴女なのでしょう?」

「え!?」


 名乗ってはいない。今日はアマンドや騎士も連れていない。ましてやライアンと一緒でもない。

 リンの驚愕に、商人はそのグレーの目に、再度笑みを浮かべた。


「商人は情報が早くなければ、やっていけませんよ。ウィスタントンに、新商品を次々と考える女神のような方がいるのではないかと、ハンターの噂を繋ぎ合わせて、見当をつけたのです」

「ハンターの女神は私ではないと思いますよ」


 エクレールだ。


「おや、そうですか。しかし貴女のような知識を持つ方がいれば、発展は約束されたようなものでしょうね」


 リンはじっと商人の顔を見た。


「ひとりで作れるものは、一つもないですよ。商人でしたら、生産の現場も、当然ご存知ですよね?」

「ええ、よく存じております。ご気分を害されたのでしたら、申し訳ございません。……私は、ロクム・クナーファ。クナーファ商会の副会長です」


 大商会と同じ苗字の副会長。どうりで自信に溢れた顔をしている。

 名乗られたら、名乗らないわけにもいかなかった。


「……リンです。お邪魔いたしました」


 出る間際に告げた。どうしても無視できなかった。


「もしこの香りの中にお茶を保存されるなら、そのような袋ではなく、しっかりと閉じないと、香りが移りますよ。じゃあ」





 シンと静まった家に戻り、火を起こし、お茶をいれた。

 なんだかぐったりだ。


「もう絶対に一人では、買い物にいかないもんね」


 クナーファの言い方もどこか不快だった。商人がそういうものだと知っているのに。自分が探られる側だったからだろうか。

 不愉快なことは、楽しいことで押し流したい。

 ライアンの工房で、買ってきた布を一度洗い、『温風』の祝詞を使って乾かした。一度水を通した布は、さらに柔らかい。

 こちらの家庭でよく使う木のカップは、ビールを飲むような大きなものだ。

 これに合わせてティーバッグを作ろうと思っている。


「お茶は一リーフぐらいでいいかな」


 一リーフは、バーチの百分の一の重さだ。薬草茶で大さじ一杯ぐらいだろうか。

 ライアンの工房にある薬用の天秤を使って、薬草茶をきっちり量り、きれいに洗った布で包み、クルクルと口元を縛る。これを持ってきたカップにポンと入れて、お湯を注いだ。


「三つとも、味も色もしっかりと出てはいるか。んー、でもな」


 どうも気にいらなかった。

 布の厚さなどは、ちょうどいい感じだ。でも切りっぱなしの布の端がほつれてくるし、これだと一回ごとに、布は使い捨てになってしまう。こちらのやり方に、使い捨てというのが合わない気がした。


「袋にしてみようかな」


 お茶を売る時に、小袋も置いておいて、家で薬草茶を入れてもらえばいい。

 こちらの人は洗って使うだろう。

 口からスプーンを入れやすい大きさにして、チクチクと小袋を縫っていく。

 下手くそなのはしょうがない。イメージが伝わればいいのだ。明日天幕で相談しようと決めた。


 久しぶりにシンと静まった家は、冷たく感じる。

 来たばかりの時からこれだったら、この静けさに慣れただろうか。ずっと一人なのが普通だったが、変われば変わるものだ。


 厨房で夕食の準備をする。

 簡単な葉物野菜のサラダに、ハムを切って散らす。

 ジャガイモを茹でて潰し、小麦粉と卵と混ぜ、ニョッキにする。ソースは軽めのホワイトソース。


「ふふふ。ここに、このオイルを一杯かけて」


 味見と称して、『皇帝のオイル漬け』を小型冷室から取り出す。

 貝も食べるが、貝のうま味が移り、スパイスとハーブの風味がしっかりとするオイルがまた美味しいのだ。これをニョッキの上にさっとかける。


 厨房のテーブルには、グリーンサラダ、火であぶった薄いパンの上に『皇帝のオイル漬け』、ニョッキのクリームソース、そして、春ビールが並んだ。

 シロも見回りに出てしまって、本当に一人きりだ。


「いただきます」


 おいしい。すべて自分好みの味に作ったのだから、当然だ。

 自分が使うカトラリーの音しか聞こえない。火を弱めたかまどの薪がパチリとはじける。

 一人の食事は、思った以上に味をなくし、モソモソと噛みしめた。


 階下でギィとドアの開く音がした。

 さっと立ちあがり、厨房からそろりと顔だけ出す。手はしっかりと加護石を触っている。


「あれ?晩餐会はどうしたのですか?」


 加護石から手を放し、リンは階段の上に姿を見せた。

 ドアの前で、貴族の正装に身を包んだライアンが、こちらを見上げている。


「ちゃんと顔は出したぞ。まだ、明日の会合の準備があるのだ。シムネルも間もなく来る。リンは、食事中か?」


 厨房まで上がってきて、覗き込む。

 オイル漬けを食べているのが見つかってしまい、ジロリと睨まれる。


「リン、アレを一人で食べるのは、ひどいのではないか?」

「ライアンに出す前に味見しようと思ったんですよ。ふふ、おいしくできてます」

「私も食べてもいいか。館ではほとんど口にしてないのだ」


 そういって、そのまま厨房のテーブルにつく。


「あ、じゃあ、ちょっと待ってくださいね。ニョッキもたくさん作っちゃったから」


 まず先に、春ビールと『皇帝のオイル漬け』を出し、パタパタと音を立てて、パンを焼き、ニョッキを温める。


「このミディ貝は、焼いたのとまた違うが、美味しいな。ピリリと辛いのが、また酒に合う」

「でしょう?しっとりした感じで、いいですよね。燻製のもなかなかですよ」

「これは、すぐに無くなりそうだが」

「止まらなくなるんですよ。五ケースでは少なかったですね。またラミントンに注文しましょうか」


 誰かと食べる食事はおいしい。

 そう実感した夜だった。


「あ、ニンニクを聞くの、忘れた」


前話訂正:ティーバック →ティーバッグ 

別のものになってしまう。

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