Emperor and princess / 皇帝と姫
「リン……」
リンはベッドの中で、ライアンの自分を呼ぶ声に、寝返りをうった。
「ん、何、ライアン……?」
声に出した瞬間に、しっかりと目が覚めた。
ライアンが自分の寝室にいるわけがないのだ。
朝からテノールの美声に起こされるのは素敵だが、大変心臓に悪い。
「飛伝?こんな朝から?もう、びっくりしたなあ」
寝ぼけ頭で、受信の祝詞を必死に思い出し、伝言を受け取ると、さっさと着替え始めた。
階下に声をかけると、アマンド達はすでに起きており、髪を簡単にまとめてもらう。
迎えに来たライアンの髪を今度はリンが結わえ、作ってもらった『冷し石』付きの木箱 ― 小型冷室 ― に、ヴァルスミア・シロップ、シュガー、サントレナのレモン等を入れ、急いで薬事ギルドに向かった。
早朝に、ラミントン領から、ウェイ川を上って船が到着した。
ライアンが注文した五箱の貝と、リンの注文した『青の女神』の花を抱えた、薬事ギルドの者を乗せて。
ラグナルはその船でラミントンに戻る予定だったのだが、その到着した貝を見て、自分も加工の様子を見たいと、出発せずに残っているらしい。
結局、火を使って調理ができ、薬草なども揃う場所、ということで、薬事ギルドの工房を借りることになったようだ。
工房には、ラグナル、オグ、ライアン、双領の薬事ギルドの者、ラミントンの文官、がすでに揃っていた。
「ラグ、時間は大丈夫なんですか?」
「問題ありません。領都に入る予定が、夕方から夜になるだけですから」
リン達を待っている間に、ラミントン領の屋台の者が、貝の殻を開けて準備をしたらしい。
丸々とした乳白色の身が、綺麗に木箱に並んでいた。
「じゃあ、始めましょうか。あ、ラグ、この貝に名前はあるんですか?私の国に、牡蠣という、似た貝がありましたが」
「我が領にミディという名の小さな村があって、その海でとれるので、『ミディ貝』と呼んでいます」
ラミントン領の文官が箱を指して説明してくれた。
「昨日の貝がこちらですが、村では別名があって、『皇帝』と呼ぶそうです。もう一つ、こちらの丸みがあるのは珍しいからと、一緒に届けてくれました。小さいから『姫さん』だなと、先ほど屋台の者が教えてくれたばかりです。『姫』は焼いて食べるのが、一番おいしいようです」
『ミディの皇帝』に『ミディの姫』とは、貝の王族ではないか。
それだけ味わいが素晴らしいのだろう。
「それは楽しみですね。じゃあ今日は『皇帝』でオイル漬けを作りますね。二種類違うのにしようと思っているんです。燻製にするのと、しないのと」
ラグナルとライアンも手伝うといい、全員がナイフを持ち、貝柱を切って身を殻から外していく。
リンはマドレーヌと一緒に、海塩を入れた水でどんどん身を洗っては、さっと湯がいていった。
「一つ目は、まずタレに漬け込んだ後に、燻をかけてからオイル漬けにします」
茹で上がった貝の半分を、水に塩、砂糖を溶かして、ローリエ、黒胡椒などを加えた濃い目のソミュール液に漬けると、その壷を、持ってきた小型冷室に突っ込んだ。
「リン、それは『冷し石』ですね?中に手をいれてもいいですか?」
「ええ、ラグ。小型冷室ですよ」
ラミントン領の者は、実際に『冷し石』を使っている所を見るのは初めてで、代わる代わる手を入れ、中をのぞいて確認している。
確かに冷えていることに、やはり驚くようだ。
漬け込んでいる間に、もう一つ別のタイプを作ってしまえる。
「あ、保存瓶を煮沸しておかないと。いくついるかなあ」
「それぞれ五瓶ずつだな」
「……ライアン、その五瓶の内訳は?」
「まず、ラグが持ち帰る。ラミントンの天幕の者も、確認する必要があるだろう。ウィスタントンの天幕、館、私、の五個だな」
リンはジロリとライアンを睨んだ。
「ライアン、ひどいです。私の分を忘れてますよ」
「忘れてはおらぬ。私の分を一緒に食べればいいではないか」
「塔に持っていかないで下さいね。工房に置いて下さいね?」
「わかった。次はどうするのだ」
今度は浅めの大鍋にオリーブオイルを入れ、残った半量の貝をきれいに並べて、火にかけた。
貝からじゅわりと汁がでてくる。そのまま焦げないように鍋を揺すって、軽く焼き色が付いてきたら、ひっくり返し、そのまま汁気を飛ばす。そのうちに貝がぷくりと膨れてくるのだ。
ヴァルスミア・シロップとレモン果汁を混ぜて回しかけ、貝にとろりと絡めながら煮詰めていくと、甘酸っぱい香りが広がった。
貝の色もシロップで艶がでて、きれいだ。
蜂蜜とビネガーでやってもいいんですよ、とリンは説明する。
皿に取り出すと、全員がじーっと貝を見つめた。貝に穴が開きそうだ。
「リン、これ、もうこのまま食べていいんじゃねえか?」
その気持ちはとてもよくわかるけれど、オグの伸びてきた手を、ペチリと叩く。
「ダメです。この料理の一番難しいところが、ここです。我慢です。このままでも、おいしいんですよ?でも、オイルに漬けて、さらに数日置いてから食べるんです」
「この香りを嗅いで、我慢するのは厳しいじゃねえか」
「じゃあ、『姫』を焼いて食べませんか。サントレナのレモンをかけたら、きっとおいしいですよ。私の国の食べ方です」
ラミントンの文官が立候補して、『姫』を焼いてくれる。
「マドレーヌさん、オリーブオイルに、胡椒、ローリエがありますか?あと、タイムとピメントかな」
「リン、ピメントが数種類あるが、どれがいいのだ」
消毒した瓶を拭いている間に、マドレーヌが数種類の、大きさも形も違うピメント ― 唐辛子 ― を出してくれたようだ。
「これは、私の国の『鷹の爪』に似た形をしていますね」
「ほう。そのように言うのか。確かに形が似ているか。ここでは『サラマンダーの怒り』と言う」
火を吹くトカゲのイメージが脳裏に浮かぶ。
「……すごく辛そうですね」
「少量なら、そうでもないぞ。マスタードよりはきついが」
「じゃあ、それを」
貝の粗熱が取れたら、五つの瓶に分けて入れ、ピメント、胡椒、ローリエを加えて、オリーブオイルをひたひたに注ぐ。
一つ目はこれでできあがりだ。
あとは小型冷室で、保管するだけ。
数日後ぐらいから味が馴染んでおいしくなる。
一週間程度で食べきらないとダメだけれど、大抵そこまでに無くなるのが残念なところだ。
一番おいしいのが、その一週間後ぐらいなのだから。
ソミュール液に漬けた半量は、これから燻煙だ。
一刻程漬けておいた貝を取り出し、チーズクロスで拭くと、薬草のタイムを鍋に入れ、火にかけた。
鍋に入るような網を置き、貝を重ならないように並べる。
タイムの香りの煙がでたところで、もう一つの鍋をかぶせて、煙を籠らせる。
「面白いやり方ですね」
「ええ、家でやる時の簡単なやり方です、ラグ」
「スモークド フック・ノーズを作るように、しっかりと燻煙すると、きっと長く持つと思うんです。販売する時は、領でいろいろ試していただいた方がいいと思います。今日のは軽めの燻煙なので、冷室で保管して、一週間ぐらいで食べ切ってください。……たぶん、皆さんそのぐらいで食べてしまいますよね?」
タイムの煙を数分かけただけで、きれいな飴色に色づいた。
これもしっかり粗熱をとってから、瓶に入れる。
一つ目と同じように薬草とスパイスを入れて、オリーブオイルを注いだ。
にんにくがないのが残念だ。牡蠣のオイル漬けには美味しいのだけれど。
大市でないかどうか、チェックしなければ。
「これで後は冷室に入れて、数日待つだけです。お酒に合いますから、がまんですよ」
「香りからして、おいしそうでしたね」
「あと、瓶に残るオイルも、パンに付けたら美味しいんですよ」
そんな話をしていると、熱々の『姫』が皿に盛ってだされた。
皆が一斉に手を伸ばす。
リンはこれにレモンをほんの少し絞って、ハフハフと口に入れる。
同じミディ貝でも、昨日食べた『皇帝』と風味が違う。
『皇帝』は身がしまっていて、力強く、磯の香りが強くしていたが、この『姫』はクリーミーで、香りも丸く、ほんのりと甘い。
「これはまた繊細な風味だな」
「そうですね。我が領で燻製にするなら、やっぱり『皇帝』が合うかもしれませんね」
「今日はタイムやローリエを使いましたが、領特産の薬草を試されるといいと思いますよ」
「薬草をお料理に使われるのが面白いと思いました」
ラミントン領の薬事ギルドの者が言う。
「サントレナでは、お料理に薬草を使うそうですよ。私もお茶に使っていますし」
「お茶、でございますか。薬効もあるのでしょうか」
「そうですね、検証をしておりますが、薬ほどではなくとも、確かにございますね」
マドレーヌが答える。
その後は、薬草を食事に使った時の効果の程度について、話している。やはり薬事ギルドの者は、効能や効果が気になるようだ。
「私の国にある、この貝によく似た牡蠣も、身体にいいと言われていましたよ。疲労回復に、代謝が活発になって、髪や肌にも良いとか。あと、有名なのは男性に精が付く、強精だったかな」
「そこを詳しく」
「え、詳しくと言われても……。えーと、亜鉛というミネラルが、他の貝や、豚のレバーよりも多いんですって。それが、効くんです。あ、身体をよく動かす人は、汗をかくから、不足しないようにって。騎士さんとか?」
「ハンターもだな」
男性陣は、検証をしなければ、と言い合っている。
「牡蠣と同じ効果はないかもしれないですよ?あと、何でも食べすぎはダメですよ?」
注意はするが、聞き流されているようだ。
この国は、夜に弱い男性が多い様には見えないのだが、毎回食いつきがいい。
女性の『美容』と同じく、男性の『強精』は売れるのかも、と、リンは理解した。
「ああ、それで効果が『皇帝』級なのかもしれないですね。じゃあ、『姫』は女性用かなあ」
皆の視線を集めることをいいながら、リンは、さすが村の人はよく知っている、とうなずいて、『姫』をまたひとつ口に入れた。
女性用なら、そんなに食べて大丈夫なのだろうか、というライアンの心配をよそに、ああ、おいしいと、リンは満足顔だ。
この後は、薬事ギルドで『青の女神』を加工するのだろう。
それなら周囲は女性ばかりで安心か、とライアンは自分を納得させた。





