The fief of Lamington / ラミントン領
樹液の採取とシロップの作り方をラグナルに説明し、メイプルでも同じことができると伝えると、身を乗り出して聞いていたラグナルが、ふう、とため息をついた。
「本当に青の森で、甘味料が作れるのですね。これをリンが考えたのですか」
「考えたというより、私の国で知っていたやり方を、伝えただけなのですよ」
ウィスタントン領でいう『西の森』は、ラミントン領の『青の森』というらしい。
「最も大事なのは事前準備だ。水桶と人手さえあれば、後はなんとかなる」
オグとリンで、どうして水桶が街から消えたか、ハンターがエクレールの言葉に、どれほど張り切ったかを話すと、ラグナルは大笑いした。
「青の森近くには大きな街などありませんから、しっかり水桶を用意させます」
「グラッセが喜んで先頭に立つんだろうな」
「ええ、張り切るでしょう。グラッセの身分を理由に、婚約に良い顔をしない者もおりましたから、領の経済を支えることのできる土地というのは、それらを黙らせるのに役立ちます。グラッセは気にもしませんが、私は不快でしたので」
グラッセは『青の森』がある男爵家、逆に言うと『青の森』しかない土地の出身で、領主夫人として相応しくない、と嫌味を言われることもあるらしい。
「シロップに砂糖、それから酒もできる予定になっている。蒸留酒はまだやってみないと分からぬが、シュージュリーの難民で、それを生業としていた者がいて、助言をもらいながら進めている」
「難民にそのような者が?」
「ああ。其方の兄のおかげだな。難民一人一人をよく見ていたおかげで、旧エストーラの細工師などにも、職を与えることができたのだ」
ラグナルは兄を尊敬のまなざしで見た。
この兄はハンターになっても、全く変わっていないと思う。
温かく、頼もしく、誰もが次代の領主として期待していた。
「私にもできるでしょうか」
「ああ。俺は大雑把だが、お前はもっと細やかに気を配れる。大丈夫だ」
「私もオグから学んだのだ。その結果、難民のそれぞれの背景を再確認できた」
「そうですか。兄上が」
弟の視線に照れを感じたのか、ぶっきらぼうにオグは言った。
「おい、ラグ。今日はいつまでいられるんだ?泊まっていけるのか?」
「はい。これから少し領の天幕を見まして、明日の早朝には戻ります。兄上の家に泊めていただいて、よろしいですか?公式訪問の時には、公爵館に泊まらねばなりませんから」
「ああ。狭いが文句を言うなよ。じゃあ、もう出るか」
自分が顔を出すのはまずい、ライアンとリンだけ連れて行けと渋るオグを、ラグナルは強引にラミントン領の天幕に伴った。
予定にない領主の訪問に、皆が慌てふためき、そして感激もしていた。
指揮を執っている古参の文官には、オグの顔を覚えている者がいた。
「オェングス様……」
名前を呼び、そろった兄弟に涙ぐみ、絶句したまま声がでない。
「城の者には内緒にしておいてくれ」
オグはその文官の肩を叩いて、優しく言った。
ラミントンの特産品を見せてくれるのは、領主その人だ。
ひとつは領主夫人のティーカップを見た時に、自領の物だと言っていた、磁器だった。
ラミントン領では、磁器の絵付けのデモンストレーションを行っていた。
職人が真っ白な皿に、青い花を描いていく。青一色なのに、その濃淡が美しい。
天幕の中央にも大きな花瓶にどっさりと、この花がいけられていたが、鮮やかな青紫が印象的な花だ。
クリムゾン・ビーのように花弁の多い花である。
あちらは真っ赤で、こちらは真っ青だが。
「領で『青の女神』と呼ぶ花、ブルーエです。『青の森』は、今ぐらいからこの花が一面に咲くので、青の森というのですよ。グラッセの花として、登録も済みました」
オグが吹き出した。
「グラッセが『青の女神』っていう柄か?」
「兄上、失礼ですよ。薬草花として人の役に立ち、あちこちに広がる力強い花で、グラッセにぴったりではありませんか」
「そういうことか。納得だ」
そんな強い所も、クリムゾン・ビーによく似た花のような気がする。
そしてラグナルの婚約者のグラッセは、どんな人なのだろう。
「『青の女神』はどんな薬になるんですか?」
「目の炎症を抑える薬です。あと、やけどの塗り薬でしょうか」
奥の応接セットに案内される。
「あの、いくつか注文したいものがあるのですが、いいでしょうか」
「もちろんですよ、リン」
「『青の女神』の花が欲しいです。急ぎませんので、あの花瓶にあるぐらいどっさり」
「確かに美しい花ですが……」
薬事ギルドから薬草花の注文は入るが、リンからの生花の注文に、ラグナルも文官も首をかしげている。
「リン、あれも石鹸か、茶にするのか?」
「まだ決めてません。炎症の薬になるなら、何かに使えそうです。色も美しいですし。薬事ギルドで担当の方と試します」
「ラグナル。リンは薬草花を薬にせず、美容製品に使ったりする。早めにそちらの薬事ギルドの者を送ってくれ。リンはいつも突然だが、下手をすると、翌日には一つ商品ができているぞ」
「美容製品ですか」
ライアンが、せっかくだから仕上げて売るといい、と苦笑しながら言う。
文官が慌てて、連絡を入れてきますと席を外した。シルフを飛ばすのだろうか。
突然だと言われてもしょうがないのだ。見るまでは、何ができるかわからないのだから。
「ラグナル様、美容は『売れる』のですよ。ライアンも、女性陣の昨日の勢いを見ましたよね?」
「リン、どうぞ私のことも敬称は抜きで、ラグで、お願いします」
「ご、ご領主様に、さすがにそれは無理です」
「ライアンのことは呼んでいるではありませんか」
「ですが……」
オグが助け舟をだした。
「リン、ラグナルのことは、今日はラグでいいぞ。私的訪問で、リンの方が年上だしな」
「え!グラッセと同じぐらいかと……」
俺もそう思ったぜ、とオグが弟に、ボソボソと囁いているのが聞こえる。
それを断ち切るように、リンがラグナルを呼んだ。
「ラグ、ティーセットも注文します。少し変わった物もお願いしたいのです」
まず、シンプルなティーセットをお願いした。
大きさ、形、模様を指定し、職人はいろいろな形のカップをリンに持たせ、好みを聞き、せっせとメモを取っていく。
「リンの花は、五枚花弁のフォレスト・アネモネだが、白磁に白い花を描く方法はあるか?」
ライアンの質問に職人が考えこむ。
「レリーフで浮き上がらせて、ほんの少しの青色を足せば、美しく仕上がると思いますが」
「それで頼む」
「あと、ちょっと面白い形なのですが、私の国の茶器なんです」
小さめの蓋椀、茶海というピッチャー、やはり小さい持ち手のない茶碗、茶荷と呼ばれるお茶を出しておく容器、茶筒など、思いつくままに、リンも絵に描きながら注文していった。
こちらは職人の質問も細かい。初めて作る形のものばかりだからだ。
「あ、忘れてた。聞香杯。こういう、縦に細長い小さなカップもお願いします」
「これは面白い形だな」
「ええ。烏龍茶の香り用のカップなんですよ。これで香りが変わっていくのを楽しんでから、もう一つで飲むんです。届いたらやってみましょう。たぶん、ライアンも楽しいと思いますよ」
最後にリンは、棚に飾られていた比較的小さめのカップを指差した。
「あのサイズのカップが、今こちらにどのぐらいありますか?できるだけ数が欲しいです」
文官が在庫を確認に行く。
「リン、そんなに多く、どうするのだ」
「お茶の売れ行きを伸ばしたいのです」
一週間たってみると、商人が商談後にお茶を買ってはいくが、なかなか個人には売れないのだ。
お茶を飲む習慣もない、薬草にもおいしいイメージがない。
なんとかもう少し、お茶に親しんで欲しい。いろいろ方法を考えて、そのひとつが試飲だ。
さすがにご領主夫人のティーセットは使えない。
「商台で、まず、味を試して欲しいんです」
「リン、それでしたら、ここにあるすべてを使ってもかまいません。我が領の磁器の宣伝にもなります。領地も隣で、追加もすぐ届けられるのですから」
そのうちに屋台から、牡蠣のような大きい貝が焼かれて、磯の香りで周囲の食欲を誘いながら、運ばれてきた。
なぜか春ビールも一緒だ。
「もう夕刻ですし、兄上もライアンも、これが一番ではないですか?」
兄上、この時期の貝がお好きだったでしょう?と、勧める。
「立派な貝ですよね。これはラミントン産でしたか。屋台の前を通るたびに、香りが気になって、気になって」
「森の雪解け水が海に流れる今が、一番身が太っておいしいのです。リンは貝が好きですか?」
「貝も魚も大好きです。……アツッ、うわ、ぷりぷりですよ。このおいしさは、つまり森と海の恵みってことですねえ」
熱々の身を、息をふうふうと吹きかけて冷まし、ヒョイと口に放り込むと、汁と磯の香が口に広がって、鼻に抜けた。丁度いい塩加減だ。
「大市の間は、船に氷を詰めて、ウェイ川を毎日往復させています。ぜひこの機会にたくさん食べてください」
リンはライアンに視線を投げた。
ライアンは、まだ公開は早いのだが、とため息をつくと、ラグナルに許可を取り『風の壁』を張る。
また丁寧にお願いをしてシルフを払うと、『水と風の冷し石』の説明をした。
「実際に見ないとわからないだろう。後でオグに実物を持たせるが、ギルド登録は、週明け、明後日の朝だ。使用はその後からにしてくれ」
「『温め石』にも驚きましたが、さらに『冷し石』とは。今のように、毎日船を往復させる必要がなくなります。それに船に積めば、夏場でも魚や貝が運びやすくなります!」
文官も目を丸くして、興奮している。
今まで他領に売りにくかった海産物の可能性が、一気に広がったのだ。
「ああ。持ち運びのできる冷室だからな、天幕や、屋台の側に置くと便利じゃねえか?」
「船に合わせた大きさの『冷し石』の特注も受ける。基準の大きさ以外は、ギルドの術師では厳しいだろう」
「私はこのぷりぷりに太った貝が、もっと欲しいです。こうやって焼いたのもおいしいですし、燻製にして油に漬けたら、燻製の風味が合うんですよ。きっと春ビールのおつまみにぴったりですよ」
リンだけは石ではなく、丸々として、ツヤツヤの身が立派な貝に夢中だ。脳の中でざぶん、ざぶんと波の音がしているに違いない。
ライアンがチラリとリンを見て言った。
「『冷し石』のセットを余分に用意しよう。五箱ほど頼む」
「おつまみで五箱は多いと思いますよ、さすがに」
もう一つをペロリと口に入れながら、リンはそんなことを言う。
「皆で味見をしたら、すぐに終わりだろう。ラミントンでも売れるではないか」
オグとラグナルは、リン達と別れて、とりあえずハンターズギルドに向かった。
「あれだけの商品を次々考え出すとは、リンは素晴らしいですね。ぜひラミントンへも来ていただきたいものですが」
「おい、大分気に入っていたようだが、リンに手をだすなよ。……第二夫人にも、愛妾にもダメだぞ」
ラグナルは思いっきり呆れた。
「兄上、いきなり何をおっしゃるのです。純粋な友情と賞賛ですよ。私はこれから最初の婚儀を控える身です。それに、私もウィスタントン公爵を見習って、なにがあってもグラッセ一人と決めているのです」
「……ウィスタントン公爵を見習うのか」
それもどうかと思うがな、とオグは弟を思って呟いている。
「まあ、それならいい。ライアンを敵に回すなよ。サラマンダーをけしかけられるぞ、きっと」
「そうではないかと途中で思いました。兄上の良い方であれば、と始めは思ったのですが」
「こ、怖いこと言うな。気をつけろ。アイツはシルフも使うぞ」
この場のシルフは当然払っていない。
「……ところで、兄上はどうなのです?昔こっそり教えていただきましたよね。兄上の精霊によく似ているという女性のこと。エクレールと言いましたか。この部屋に案内してくださった女性が、その名前でしたが」
オグは弟とそんな話をしたことを、うっすらと思い出した。
離れ離れになるちょっと前、『青の森』をラグナルが初めて訪ねた時の夜だったろうか。
ラグナルの初恋がグラッセで、森でシルフに出会ったと騒ぎ、お互いに内緒の約束で、打ち明けたような気がしないでもない。
「ちっ、そんな昔のこと、今更思い出すんじゃねえよ」
「おや、それでは精霊の顔は、今は違うのですか?」
弟は今も独り身の兄を心配して、じっと見つめる。
「……。いや、違わねえよ。くそっ」
「いつか弟として挨拶できることを、願っております。ハンターの間で人気の女性なのでしょう?兄上、がんばってください。私の婚儀にお二人で参加していただけるように」





