Shopping of the haves / 持てる者の買い物
リンが天幕に入ると、奥の飴色のキャビネット近くにライアンが立っていた。
クグロフとガレットも、その前に膝をついている。
「どうしたんですか?」
「ああ、キャビネットの取っ手と、棚の留め金の緩みを、ガレットが直してくれるのだ」
この美しいキャビネットは、その昔、ガレット自身が注文を受けて制作したものだった。
ほんの少しの緩みだったが、ガレットが気づき、今日は道具を持ってきていた。
ガレットが扉を丁寧に開ける。
「おや、トットゥ、そこにいたのかの。そこの棚板を動かしたいが、どいてもらってもいいかね?」
その言葉にライアンがキャビネットを覗き込み、無言で中に手を入れると、その上にグノームが乗ったようだ。
「ありがとうごぜえます」
ライアンに頭を下げ、棚を取り出してクグロフに渡した。
ガレットは木工細工職人だが、芸術的ともいえる優美な家具をつくるので、精霊のお気に入りだ。
クグロフにキャビネットの前を譲って、耳慣れないエストーラの言葉で、後ろから指示している。
ガレットは諸国に顧客がいたというだけあって、ここに来る商人と同じように、数か国の言葉は問題なく話すらしい。
「これで大丈夫でごぜえますよ」
「ガレット助かった。母上も喜ぶであろう」
「とんでもごぜえません。ここでこれを見た時は目を疑ったですが、大事に使われて嬉しいですよ」
「結婚の時に、父が母へ贈ったものらしいが」
「ウィスタントン家からの注文でこれを作ったのは、三十年は前でごぜえましたか。いい色合いになってきましたなあ」
うんうんと、うなずきながら、ガレットは目を細めてキャビネットを見ている。
領主夫人のティーセットにもびっくりしたが、結婚祝いをこんなところに持ってきていいのだろうか。
キャビネットの中を隅々まで検分していたクグロフが立ち上がった。
「大変勉強になりました。師匠の若い頃の作品を、近くで見られる機会はそうありませんから」
ふう、とため息をついた。
もし他にも修理が必要な家具があれば、クグロフがもうできますから、と優しい目でガレットは見ていた。
「さて、行こうか」
大市の開始から数日がたち、皆が接客に慣れてきた。ぎこちなかった商品説明も、うまくできるようになっている。
来週からはさらに店も増えるし、大きな商談も入るようになるから、今週は見て回ったらどうだと言われ、今日はお休みをもらっている。
「ライアン、アマンドさんも一緒ですし、平気ですよ?」
「大丈夫だ。天幕にはシムネルが入るから、急ぎの件があればシルフが来る」
リンの同行者はライアン、シュトレン、アマンド、シロと大所帯である。
「シロはまた騒ぎにならないでしょうか」
初日には、シロの『見回り』がけっこうな騒ぎとなり、あちこちの天幕から騎士に報告があがったらしい。
二日目には騎士に付いて、というより、シロに騎士が同行してくれ、見回りをしたそうだ。
「この場でも皆がシロを見慣れたから、問題ないだろう。シロを連れないなら、騎士を付けるが」
「もう!騎士さん達だって、今は忙しいでしょう?それに騎士を従えたら、よけい目だちますよ」
「大丈夫だ。大市だぞ。どこか遠国の姫が、お忍びで来ていると思われるだけだ」
ダメだ。一体どこのお父さんだ。
というより、何をそんなに心配することがあるのだろうか。
ふと思いついて、若干声を落とした。
「もしかして、シュージュリーが大市に来ているんですか?それで警戒しているんですか?」
「いや、シュージュリーは出店しておらぬ。来られないだろう。あの国が最後に来たのは、確か二年前の春だな」
ライアンは、寝そべっていたシロを呼び寄せ、表に向かった。
「リン、今日は何か特別に見るものがあるか?」
「いえ、特にはないんですけど、そうですね、領の人が個人出店している辺りが見たいですね」
この近くの大きな天幕は、行き帰りの時に表から眺めているが、まだ城壁門の方には行ってみたことがないのだ。
「それでしたら、南門側に領民が多いでしょうか」
南の城壁に向かって、マーケットプレイスを出ると、様子が変わってくる。
小さな布を張っただけの店や、覆いもなく商台だけある所。地面に直接広げている者もでてくる。
買い物をする人も増えて、人通りが多い。
皆、楽しそうだ。
「リン、何か欲しい物があったら言ってくれ。シュトレンに多めに持たせている」
「私、そんなに無駄遣いしませんから、必要ないですよ」
「反対だ。無駄に使えと言うのではないが、欲しいものがあったら、なるべく買ってくれ」
腑に落ちていないリンに、ライアンは説明した。
「領民はもちろん、ここには各地から物を売るために人が集まっている。買える者がしっかり買う方が、彼らはより助かる。冬の間に作った商品を売りに来ている者も多い。買うのが仕事だ」
そういうものなのか。
「わかりました」
リンも顔を知っているハンターが、奥さんと毛皮を出していた。その横には皮革製品の職人だろうか、鞄や帽子を並べている。
ライアンに気づいて、一斉に頭を下げた。
「柔らかく光沢のある毛で、良いのはあるか?」
「それでしたら、このマルテがいいでしょうね」
「ライアン様だったら、この黒なんか、髪が映えると思いますよ」
ハンターの奥さんも力を入れておススメする。
「他の色もあるか?」
「ええ、ございますよ」
台の上に黒、茶、ベージュ、白、と様々なマルテの毛皮がでてきた。
「リン、冬のマフだ。どれがいい」
「え!わたし?どれと言われても……」
いきなり振られて、とっさに答えがでない。
毛皮を選んだことなどないのだ。
奥さんが手助けをしてくれ、ひょいひょいと肩にのせては色を見る。
「肌に合わせると黒も良いけど、この白銀あたりが髪に合うかねえ。まあ、どちらもお似合いですよ」
「それなら、その二つと、私の分の黒を頼む。館からは人が来たか?」
「ええ、昨日、回られておりましたから」
そういってライアンは毛皮を買い、隣の皮革職人に預けた。
「これを『レーチェ』と相談して頼む」
「かしこまりました」
あっという間に毛皮を買ってしまった。
二つも要りません、と、リンは口まで出かかったが、『買うのが仕事』と思い直してがまんした。
それからもライアンは、毛皮だけでも、あちこちの店に声をかけながら買い求めていった。
ハンターは一人ではないのだ。
館にも運ばれるようなので、きっと使用人の人達の分も入っているだろう。
『買うのが仕事』も大変である。リンは、次の冬は日替わりで毛皮を着ないといけないと、覚悟した。
今日は『毛皮買い出しツアー』だったろうか、とリンが思い始めた時、やっと毛皮ゾーンを抜けた。
予め心の準備をしておいた方がいいだろう。
次のゾーンは、シルクの買い出しツアーになるかもしれない。
「ライアン、領内の産業って、他にどんなのがあるんですか? シルクとかないですよね?」
「シルクはないな、欲しいならシルクで有名な国があるから、そちらへ……」
いや、そうじゃない。
「領内にないならいいんです。じゃあ、どんな出店があるんですか?」
「毛皮、木工に鍛冶製品、貴石が多いだろうか。秋には羊毛に、土地独特の薬草が多くでてくるな。領地の大半は森で、領内の産業は厳しい。南の山岳地帯で牧畜が行われているが、さほど大きくはない。ああ、ちょうどグノーム・コラジェが取れる辺りだ」
「じゃあ、領の経済は大変じゃないですか?」
「そうだな。対外的に売れるものは、材木、毛皮、貴石、この土地の薬草といったところか。生産物の質は大変良いのだ。古く、守られてきた土地だからか、石と薬草に珍しいものがあって、殊更高く売れる。あとは聖域があるから、それで何とか補ってきた。今までは」
なんかかなり厳しい感じじゃないだろうか。
「水の浄化石や、加護石ですか?」
「あれらは国が販売を管理する精霊道具となるが、全く領に利が入らないわけでもないのだ」
聖域は国の聖域という認識だが、聖域の管理費として、利益の一部が領にも入るという。
「寒い思いをして作るのはライアンなのに、国が持って行くんですか」
「聖域に入れる術師が、今代はこの領の領主一族というだけだな。国の術師であるとの意識を、常に持たねばと思っている」
つい領を優先しそうになるから、なかなか難しいのだ、とライアンは苦笑している。
「だからこれまでリンが作ったものは、領の経済に大きな助けになる。また何か新しい物を思いついた時は、先に相談してくれ。領や国を超えた取引になる場合、調整が先に必要になる」
「わかりました」
また何か作ってもいい、というお墨付きだ。
いつも直前、大急ぎになるから、せめてそれだけは気をつけようと思う。
「北からの難民に、知識や技術がある者もいた。領内の産業の質も上がっていくだろう」
難しい話をしながら歩いていると、いつの間にか城壁の近くまで来ていた。
南門の向こうからアヒルが数匹、お尻を振って歩いてくるのが見えた。
足には布を紐でとめた、簡単な靴を履いている。
大市にはアヒルも来るのか。
「アヒルが靴を履くのを、はじめて見ましたよ?」
「近くの村から歩かせるから、足を保護したのだと思いますよ。この市で売るのでしょう。この時期は卵もよく生みますから」
アマンドが教えてくれた。
ヒョコヒョコと歩いていたアヒルが、シロに気づいて、大慌てで羽をバタバタして、後ろに戻り始めた。
人間はシロを見慣れてきていたが、アヒルはダメだった。
シロは「アヒルなんて襲いませんよ」と、言った顔で大人しくしている。
シュトレンとアマンドが、慌ててアヒルを追いかける農民と騎士を手伝いに、走っていった。
「ああ、しまった、まずい」
「戻りながら、道の反対側を見ていこう」
道の反対側は工芸品などが多かった。
これもライアンは少しずつ買い上げていく。
リンが興味を示したのは、自分達で採取した薬草を売っている、夫婦者の店だ。大きな瓶に入った透明な石が置いてある。
「これはなんでしょう」
「岩塩だな」
「塩ですか。師匠が使っているのは粒状でしたから、海の塩だと思っていましたけど、あれも岩塩だったのかな」
「ああ、すでに砕いてあるのだろう。海塩ができるまでは、これも多く領外へ売られていたそうだ」
「すみません。削ったのを見せていただいていいですか?いちばん細かいのを」
手のひらに少し載せてもらい、舐めてみる。
家にあるのと同じ塩のような気がする。
塩は海の物とばかり思っていたから、領内産だとは思わなかった。ここでは海塩が領外からの『輸入品』となる。
「えーと、ライアン。すみません。これ、買います。ちょっと試したいことがあるので」
どのぐらいですか?と、店の男性が袋を取り出した。
「塊のは瓶に入ってるのは、できればすべて欲しいです。削ったのは粉状のいちばん細かいのと、その上のを、五バーチぐらいずつ。……あの、それだけ買っちゃっても大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。まだ宿にありますから」
ライアンの買い物っぷりに、リンも全く負けていない。
リンもライアンも少しずつ袋を抱え、店の男性もウィスタントンの天幕まで、一緒に運んでくれた。
大きな荷物を抱えて戻ってきたリンに、皆が集まる。
ちょうど昼食休憩の交代の時間らしい。天幕には人が多かった。
マドレーヌがひとつ袋を受け取ってくれた。
「何をお求めになられたのですか?」
「岩塩です。マドレーヌさん、これでスクラブの石鹸ができるかな、と思うんですけど」
「スクラブですか?」
「ええ。週に一度ぐらい使うと、肌の余分な皮脂を落とします。肌も柔らかくなりますよ。ミントと合わせても香りがすっきりしますから、これから夏に、あと皮脂の多い男性にもいいかなと思って」
エクレールと交代に来ていたオグがあきれた。
「それで、その大荷物になったのか」
「ライアンの買い物程ではないですよ?それに美容にも塩は効くんです」
美容と聞いて、マドレーヌだけではなく、エクレールやその場の女性も食いついた。
「リン、塩をどう美容に使うの?」
「その大きな結晶はお風呂に入れたら温まるし、デトックスになるんです。ツルツルに表面を削ってもらったら、背中のマッサージとかにも使われるんですよ。その細かいのは油を少し混ぜて、膝とか肘をこするとツルツルになるし、あと、お腹とか腰のあたりを、マッサージするといいかなと思って。いろいろ試してみます」
だいぶ気になるらしく、リンはお腹や腰の辺りを、手でクルクルと触りながら話している。
「まあ、試してみたいわね」
「そうですわね、エクレール。せっかくですから。どこか良い所がないかしら」
「この時間は公衆浴場も混まないと思うから、貸し切ってもいいと思うけれど」
「公衆浴場はダメだ」
ライアンの制止が入った。
「あら。じゃあ、ここからなら、『レーチェ』が近いわ。上の私室を借りましょうか。彼女も興味があると思うから」
するすると話が決まり、リンはエクレールとマドレーヌに挟まれ、休憩に入る女性メンバーに囲まれた。
このまま連れていかれたら、まずい気がする。
ブラの時は下着までだったが、今度は剝かれたらすっぽんぽんだろう。
浴室で、マッサージのお試しなのだから。
「ライアン……」
「私には止められぬ。セバスチャンでさえ、女性は止められないと言うぞ」
なぜ、ここに執事の名前が出てくるのだろうか。
リンは混乱しながら、頼りにならないライアンを恨めし気に見た。
 





