The first day of the great market / 大市の最初の日
迅速な、でも重要な会議の後にリンが衝立の陰からでると、ウィスタントン領の商台はすでにきれいに整えられていた。
館から持ち込んだという家具を使っており、真っ白なクロスの下にのぞくテーブルの脚は、細くカーブしており、優美な模様が刻まれている。
天幕の外から人が中を見れば、まず手前側に様々な形のブラシ、石鹸、クリーム、ヘアトニック等が、ずらりと並ぶのが見えるだろう。
天幕の奥側は、まるでどこかの貴族の応接間のようだった。
会議を行った衝立の前には、飴色に使いこまれた、美しい細工のキャビネットが二つ設置され、その前には応接用のテーブルと椅子、長椅子まであって、簡単な商談ならここでもできる。
そこがヴァルスミア・シロップに、砂糖、薬草茶の場所だった。
キャビネットはガラス扉で、華やかなピンクの薔薇が描かれた、真っ白な磁器の壷とティーセットが並べてあるのが見えた。壷には薬草茶が入っているのだろうか。
商談のお客様がきたら、お茶を入れることができるようにも整えられている。
リンがお茶の場所を眺めていると、リンの後に衝立からでてきた、薬事ギルドのマドレーヌが説明してくれる。
「そちらのお茶のセットは、カリソン様が、薬草茶のために必要でしょう、とお貸しくださったのです」
ご領主夫人の私物だった。どうりで豪華なはずだ。
割らないように気を付けなければ。
「販売は、どのようになっていますか?」
同じように側にいた、商業ギルドのトゥイルに聞いた。
「ウィスタントンの領民が個人で買い求めるのであれば、どれもさほど問題はありません。砂糖は買う者があまりいないでしょうが、砂糖と薬草茶は量り売りです。シロップは個人向けに、すでに量って壷に入れたものが、前の商台に置いてあります。文官とギルドの者で、常に四名がここにいるように手配しておりますので」
「薬事ギルドからは、職員三名がこちらに入ります」
「七名が詰めるのですか。多いですね」
「裏の在庫の補充もございますし、ギルドとの連絡係も必要でございますから」
「リン様には、お時間のある時に、商品の説明をお手伝いいただければと存じます」
リンの仕事はあくまでもお手伝いだ。
「リン様、もしよろしかったら、こちらのお味見をいかがですか?」
マドレーヌが壷を差し出した。
手を突っ込んで一つ取り出すと、丸くコロンとしたメレンゲクッキーだ。
「ブルダルー様達がいろいろ試して下さいまして。これはヴァルスミア・シュガーを使ったものです。卵白と砂糖だけにしたそうで、砂糖の味を試してもらうのに、丁度いいと存じます」
さくシュワのメレンゲに仕上がっていて、口の中で溶けていく。
ヴァルスミア・シュガーは、ただ甘いだけでなく、風味もとてもいいのだ。
「販売もしますか?」
「ええ。形もかわいらしいですし、前の商台にガラス瓶に入れて飾ろうかと。こちらも量り売りです」
館の厨房でがんばっているそうで、これから種類も増えそうだ。
風の精霊術師の方が、毎日厨房にお手伝いに借りだされているそうですよ、と、マドレーヌはいたずらっぽく笑った。
早く師匠に泡だて器を作ってあげないと、と思うリンだった。
風の術師のためにも。
前方のブラシが並ぶ一角に、小さなテーブルが作業台として置かれ、そこにはクグロフがいた。
彼はここで、ブラシの背に美しい模様を描くことになっている。
ブラシの製作作業を見せる、デモンストレーションだ。
今も彼は、花の絵に石をはめ込んで、青い色を付けている。
「リン様、おはようございます」
「クグロフさん、とうとう販売まで来ましたね!」
「はい。私がここに座っていいものか、どうも場違いな気がしておりますが」
嬉しい、でも照れくさい、といった顔をしている。
「大丈夫です。お客さんも実際の作業を見られたら、嬉しいと思いますよ。えーと、ガレットさんも来られるんですよね」
「はい。師匠は、午後からこちらに入ります」
ガレットはここで作業はしないが、なんといっても旧エストーラ公国の大公お抱えの職人だ。
この国にも、他国にも顧客は多かった。
このような大市の期間は、顔見知りも来るかもしれない。今はヴァルスミアにいると広め、注文を取るためにも、天幕に入ってもらうことになっていた。
「リン、今日はここにいるのだろう?」
ライアンがシムネルと打ち合わせを終えたらしく、『風の壁』を解除して、衝立の陰からでてきた。
「一刻程、商業ギルドに行くが、なにかあったらマドレーヌ達に聞いてくれ。シルフを飛ばしてくれても良い」
「わかりました」
「外を見て回るなら、必ず護衛を連れていくように」
「大丈夫です。今日はここにいます」
その後も、商業ギルド内のウィスタントンの部屋は二と三番だ、とか、自分が戻るまではオグがここにいるだのと、注意事項を言って出て行った。
過保護ここに極まれり、だ。
背丈はその辺のティーンエイジャーに負けるが、もうとっくに成人しているというのに。
石畳にも森の道にも向かないが、ヒールの靴でも作ったら少しは違うだろうか。
すでに天幕の準備は整っているので、在庫の場所や、商品の値段を確認していると、目の前を行き来する人が増えてきた。
ウィスタントンの領民は、マーケットプレイスから外れたところにある、中小規模の天幕 ―― 商人や工房の個人店舗 ―― で買い物をする人が多いらしい。国や領が出店している天幕は、格式が高く感じるようだ。
例外は、各地の食べ物が味わえる屋台のエリアで、混雑が引かない人気スポットとなる。
それでも、せっかくの大市だからと、マーケットプレイスにある各地の天幕をめぐって、この辺りでは手に入らない食品や美しい工芸品を眺めて楽しむ。
ウィンドウショッピングだ。
自領の天幕は、特に珍しい物があるわけでもなく、毎回チラリと眺めて通り過ぎていくだけらしい。
ところが、今回は違った。
自領の天幕なのに、自分達の知らない新商品ばかりなのだ。
夫婦者らしき、若いカップルが寄ってくる。
「ねえ、見て。石鹸だって。でも種類がずいぶんあるわね」
「新しい『ウィスタントン石鹸』ですよ。それぞれが違う香りです。試してみてください」
リンはすかさず声をかけた。
「へえ、おススメはどれ?」
「女性には、このリラックス&ベッドタイムのシリーズが、お肌に優しくて、フローラルですよ。男女共に人気なのが、スパイシーでホットな、ラブ&センシュアルです」
「ほんとだ。いい香りがする」
「俺はこっちだな。スパイスの」
男の方が値段を見比べる。
「やっぱりスパイスは高けえな」
「そうね。でも、甘くておいしそうな香りだし、私も気に入ったかも」
「ま、大市だしな。奮発するか。これ、下さい」
「はい、ありがとうございます!」
最初のお客さんだ。
会計は商業ギルドの人にお任せだ。薬事ギルドの職員も、石鹸を油紙に包む。
「香りが好みだったら、同じシリーズでクリームも、おいしいお茶もありますからね。石鹸はお休みの前日にでも、使ってみてください。……これも新商品のお菓子です。良かったら、お一つどうぞ」
メレンゲクッキーと、1/2バーチサイズの壷に入った、ヴァルスミア・シロップも、売り上げに追加となった。
特に蜂蜜が高い今、高騰する前と同等の価格に抑えたシロップは、大変喜ばれた。
ピンときた。大市だしな、この言葉が売り上げがあがるキーワードだ。
特別な機会は、財布の紐がゆるむ。
売るぞ。久しぶりの商売だ。
リンはにっこりと笑った。
次は、マーケットプレイスを出たところで小物を売る、という他国の商人が、自分の店を開ける前にと、様子を見て回っていた。
「見たことがないもんだな」
「ええ、新商品ですね。ブラシといいまして、髪をとかすんです。艶がきれいにでますよ」
「造作も美しいじゃねえか」
「職人は旧エストーラの者なんですよ」
「おお、エストーラなら納得だ。じゃあ、お前さん難民かい。大変だったなあ」
クグロフがその言葉に、ペコリと頭を下げる。
「新しい土地で頑張って、新製品を作ったんですよ。どうでしょう」
商人は、ブラシを手に取り、重さや造りを確認するように見ている。
「ああ、形も優美でいい。柄に入った花の意匠も綺麗じゃねえか」
「エストーラの、ボスク工房って言うんです。このフォレスト・アネモネが工房の意匠だったんですよ。お兄さんと生き別れてしまって、探してるんです。おじさん、あちこち商売で回るんでしょ?どこかでボスク工房の者にあったら、弟がヴァルスミアにいるって、伝えてください」
「ボスクだと?有名な細工工房じゃねえか。わかった、そりゃあ協力しなきゃなあ。……ブラシは国でも売れそうだ。他にも面白そうなのがいろいろあるようだが、商談はできるかい?」
「はい。もちろんですよ。トゥイルさん、商談希望の方です」
そう、こうやって商品と一緒に、どんどん工房の話を広めてゆくのだ。
そしたらきっと、見つかるはず。
「さ、私達もリン様に負けないように、がんばりましょう」
マドレーヌが皆を鼓舞した。
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