The dawn of the great market / 大市の始まり
工房に籠ると言ったライアンは、本気だった。
シュトレンに様々な大きさの箱や瓶の用意を言いつけた後、シムネルに『シルフ飛伝』を送ると、彼はすっ飛んできた。
「大丈夫です。今日は皆、大市の準備で、まだ各ギルドに残っているでしょう。今から行ってまいります」
事情を話すと、明日の早朝に会合を設定するために、大変いい笑顔で出かけて行った。
「ああ、また直前になってしまいました。さすがに皆さんに申し訳ない気分」
「気にしなくとも良い。話を聞けば、全員が私と同じ行動をとるだろう。それよりこちらだ」
執務室に入り、『火の温め石』作成の時に行った、様々な実験と検証結果の紙を取り出した。
そのおかげで、石の大きさによる効果の範囲、持続時間などがすでに分かっている。
「この検証には時間がかかったが、今回はその分短縮できるな。リン、私は魔法陣を仕上げるから、違う大きさの『冷し石』を作れるか?『温め石』と同じ、極小から、小、中、大のとりあえず四種だ」
「魔法陣って、そんなに早くできるものですか?」
「ああ、すでにサラマンダーの陣があるからな。いくつかの精霊記号を書き換えるだけだ。それに今回は二つの石の片方だけ使用することもないので、シンプルになる」
「わかりました。……ライアン、石を作りますから祝詞を教えてください」
ドルーには秘密にしてもらったが、結局ライアンに、古語を使わなかったことがばれてしまった。
少し、じっと見られたが、お互いに忙しいので何も言われずに作業に戻る。
「シルフ、お願いします。フリジドゥス ヴェントゥス サトゥス デェイプソ……」
ライアンの考えた祝詞は、全然シンプルではなく、大変長いものだった。
昔の術師が考えた祝詞と違い、『シルフ、清らかな乙女よ 聖なる御加護を』のような修飾語がないのに長い。
きっと古語のリストを見て、あのまま聖域で数時間悩んでも、リンには思いつかなかっただろう。
それを考え出したライアンはすごいのかもしれない、と今更ながら思った。
シュトレンは家と塔を漁って、大量のガラス瓶、陶器の壷、薬草用の錫缶に銀缶、木箱を見つけてきた。
それぞれに適した大きさの『冷し石』を入れ、温度で色と状態が変わるという樹脂の皿を入れた。冷室でも使われている温度管理の樹脂だ。
明日の朝には、ある程度の結果が出るという。
「リン、もう休め」
「もう少しがんばれますよ」
「後は、精霊術師ギルドや王宮に提出する書類を仕上げるだけだ。実験結果も朝まではでない。明日は初日だ。休むといい。私もすぐに終わる」
書類書きに役立たずなリンは、そのまま執務室を後にした。
待ちに待った、大市の開催初日だ。
どこの天幕でも、早朝から家具や荷物が運びこまれて、商台に飾られていく。
出入りも慌ただしく、喧噪に満ちている。活気があふれるどころではない。街全体が興奮しているようだ。
リンもせっせとウィスタントン領の商品を並べ、その後は時間があったら、あちこちの天幕をのぞいてみよう、とワクワクしていた。
――――――そのはずだった。
リンは自領の天幕の一角で、衝立に区切られた奥の在庫、休憩場所に立ち、会議に参加していた。
館での商品会議に出ていたメンバーは、ブルダルーとダックワーズの料理人コンビをのぞき、全員が揃っていた。
どちらにしても初日なので、全員が一度はここに顔を出すのだ。
皆が部下に指示をだし、時間を揃えて、裏に集まっていた。
ライアンはまず、その場を『風の壁』で囲み、外に声が漏れないようにすると、『シルフ払い』でシルフに外に出てもらうようにお願いした。
その厳重な様子に皆が驚き、一気に緊張する。
『シルフ払い』など、領主会談ぐらいでしか使われるようなことがないのだ。
「ああ、緊張しなくてもいい。全領地が集まっている場だし、公開前なので念をいれているだけだ。今日は皆が忙しいのだ、手短かに行おう」
ライアンは四種類の『水と風の冷し石』を台の上に取り出し、カチリと打ち合わせながら、話し始めた。
「『火の温め石』と同様の使い方をする、『水と風の冷し石』だ。昨夜からの実験結果も良好。ほぼ推定通りの結果がでている」
「今度は『冷し石』ですか……」
「またリンだな?!」
リンが皆の顔を見回すと、驚愕、困惑、唖然、の顔と様々だ。
「それはつまり、氷なしで冷室が作れるということでしょうか」
最初に察したのは、精霊術が使われることも多い、薬事ギルドのマドレーヌだった。
その声に皆が、その小さな石の使い方と意味を理解して、興奮を顔に表す。
「夏場の食品の保管にいいですよね!」
「輸送にもだ。魚も肉も、少し遠方からでも問題ないだろう」
「薬の保管にも最適ですよ」
「医者が、熱のある患者に使えるのではないですか?」
「大市のような場所でも、冷たく冷やせるということですね?」
ライアンがその声すべてにうなずいた。
「魔法陣もできている。精霊術師ギルドや王宮に、これからシルフを飛ばす。すでに『温め石』の前例があるので、問題が提起されるとは思わぬ。今週中に通す予定だ」
「「「「今週ですか?!」」」」
何人もの、悲鳴のような声がそろった。
リンはひたすら身を小さくしていた。
心の中で、ごめんなさい、ライアンがこんなに早く作るとは思ってなかったんですう、と言い訳しながら。
「この精霊道具に興味を持ってもらうのは、この春の大市が一番良い。これから暑くなるのだからな。秋の大市では遅すぎる」
全員の顔が険しくも見える、真顔になった。
「『冷し石』だけを考えるなら、ほぼできている。登録が済めば、大市でも使用可能だ。問題は器にある」
「器でございますか?」
「ああ。何に物を入れて冷やすのか、だ。職人が作るのにも時間がかかるだろう。昨夜の最初の実験では、木箱や陶器より、銀が一番結果が良かった」
「銀は金額的に難しいだろ?さすがに」
「ああ。次に冷えていたのが錫だったので、二度目に、金、銀、銅、錫、鉄で試したのだ」
なんと、ライアンは徹夜で実験を繰り返していたらしい。
今朝、執務室をのぞきこんだ時には良い笑顔だったが、いい結果がでたのだろうか。
「銅の結果が悪くなかった。これを見てくれ」
シムネルが手に抱えた木箱を出して、蓋を開ける。
「手を入れたら、よくわかるぞ」
「これはしっかりと冷えておりますね」
「ああ、本当に冷室の様でございますね」
「底に薄い銅の箱のようなものがあるだろう?触れるとわかるが、それが冷たいのだ。箱の中に小サイズの『冷し石』が入っている。木箱の内側にも、薄くした銅を貼ってみた」
ライアンは真夜中に工作までやっていたらしい。
「これをライアン様が作られたのですか?」
「ああ、グノームだ。工房の銅鍋を潰していくつか作ってもらった」
「『冷し石』そのままを木箱に入れては、ダメということですか?」
「それだけをどのような箱に入れても冷える。とりあえずはそれでも良い。だが、水の石からでる霧で、内部の湿気はより強くなるな」
『湖面の霧』でもやっぱり湿っぽくなってしまうのは、しょうがないのだろう。
「木箱に銅を貼る必要はないかもしれぬが、『冷し石』を銅の箱に入れた方が状態はいい。『冷し石』と収める銅箱で、組にして紹介するのが良いと思うのだが、この短期間で作れるほどの、十分な銅細工職人は見つかるだろうか」
「「「「見つけてみせます」」」」
売る気だ。
大市は商売の場だ。
初日から皆のやる気がそろった。
リンはムースを入れられる、ポータブル冷室を手に入れた。





