Sylph’s flying message / シルフ飛伝
フィニステラでの茶の件について、アルドラからシルフが来ると聞いていたリンは、指定の時刻にライアンの執務室に向かった。
『シルフ飛伝』は、リンの部屋と執務室に分かれて、送受信の練習をしたきりである。
シルフを飛ばすといっても、実際に声を運ぶのは風だ。
『レコダレントゥラ ヴェルバ』で、言葉を風にのせ、『ミジット オブセクロ ヴェルバ ライアン』で、ライアンに飛んでいった。
受信する時は、耳元で送信してきた相手の声が、自分の名前をささやくのが聞こえたら、風の加護石を触りながら、受信の祝詞を言えばいい。リピート機能はないから、今から飛ばしてもいいかと事前予告をして、相手に準備をさせてから飛ばすのが、ほとんどだという。
ライアンという名前の他の人に届いたりしないのか尋ねたら、全く知らない人物には送れないらしく、シルフがそこは聞き分けるという。サラマンダーならどうなるかわからないが、とボソリと呟いた言葉もしっかりと聞こえた。
執務室に入ると、同じく呼ばれたらしいオグがすでに来ていた。
机の上には、普段そこにはない真っ白な彫刻が置かれていた。背中に羽がある、天使か女神といった感じの美しい女性の像だ。
「リン、今から見ることを他言してはならぬ。この像は風の加護を持たぬ者に、シルフ飛伝が使えるようにするものだ。この国の防衛上、重要拠点となる領には、必ず王の側近が入っている。そういった領に配られ、通常は領主のみが登録して使用する。アルドラからの連絡があるといって、父上より借りてきた」
これがシルフをイメージした像ということだろうか。
耳元に当てた手が持つ貴石は緑で、たぶん風の貴石だ。
どこかの美術館に飾ってありそうな優美な像だが、これならただの飾りのように見える。
「来たようだ。アチピタ デヴェルヴィス アルドラ ……カネティス」
ライアンは像に手を伸ばし、受信の祝詞を唱えた。
「皆揃っているかい? じゃあ、始めるよ。質問は終わってからだ」
大理石のシルフ像からアルドラの声が響いた。
「サヴォアに会って、茶の木のことについて聞いたよ。ああ、リンはサヴォアを知らないね。フィニステラの現領主さ。茶の木を栽培し始めた時は、茶がこの国に入り始めたばかりで、生産国は今よりずっと遠い国だったそうだ。今よりもさらに高額で、遠いからすぐには手に入らない。サヴォアは宰相だった時から、そういう所は抜け目がなかっただろ?生産をすぐに指示したそうさ。でも、遠い分、オリーブのように技術指導員が見つからなかった。それでも領主の指示だし、文官も農民も数年は特に注意したそうだが、オリーブと違い、茶は年々調子が悪くなっていったそうだ。……ここまでで質問はあるかい?」
ライアンがリンを見た。
リンはコクリとうなずくと、教わった通りにアルドラにシルフを飛ばしてみる。
練習以外、はじめて実際に使うので緊張する。
「レコダレントゥラ ヴェルバ!リンです。お茶の木はどこから手にいれたんですか?調子が悪くなった原因はなんでしょうか。ええと、ミジット オブセクロ ヴェルバ アルドラ」
無事に届いたらしく、すぐにアルドラの声が響いた。
ちゃんと届きました、というように、リンは師匠であるライアンの顔を得意げに見た。
「領内の山にあったそうだよ。ここもウィスタントンの様に国の端で、領都の港に南からの船が入る。生産国の商人がこれは茶の木だ、と教えたそうだ。虫が付いたわけでもなく、結局理由はわからなかったらしい。……リン、祝詞の前に、ええと、は要らないよ」
アルドラの声が笑う。
残念。ええと、まで記録されていた。
遠国から持ってきた木じゃないなら、環境にはあっていると思う。でもこれだけでは、さっぱりわからない。
「レコダレントゥラ ヴェルバ。アルドラ、ありがとうございました。ミジット オブセクロ ヴェルバ アルドラ」
「当時担当した文官の記録があるんだ。大市の後半に領の文官がそっちに行くようだから、その時に持って行ってもらうよ。……こういう時に、リンの『スマホ』があるといいねえ。雷が絵も送るんだろう?」
シルフ飛伝は何もなくても送れるから、こっちの方がよっぽど便利だと思う。
絵は送れないがしょうがない。『スマホ』で絵を送るには、送受信二台と雷がいる。たぶん他にも何か必要だ。
「サヴォアは、もし茶の木を育てられるなら、便宜を図ると言っていた。昔と違ってもっと近い国でも栽培しているから、ここでもできる、と今でも思っているようだよ。領内にはまだ茶の木は少しあるみたいだよ、私の島にはなさそうだけどね。まったくね、オグが一晩で帰っちまったから、大変な目にあったよ。遅くなって悪かったね」
アルドラの報告は以上だった。
記録があるなら、ぜひ見てみたい。きっと何かわかるだろう。
それに、今はもっと近い国でも栽培している、というのも興味深い。
お茶の栽培にまた一歩近づいた気がする。
「一晩で十分だぜ。残っていたら茶の木探しに、俺とグノームを走らせるに決まってるじゃねえか」
オグがアルドラの最後の言葉に、眉をひそめて言う。
グノームだけじゃなくて、オグも走らせるところがアルドラだ。
「よく帰れたな」
「島の漁師が、笑いながら対岸まで船をだしてくれたよ。アルドラはいつもあの調子だから、逃げかえるヤツにも慣れてるんじゃねえの?」
その状況が簡単に想像できて、ニンマリしてしまう。
「ああ、アルドラの島な、十年前と大して変わりなかったぞ。前は、着いた時にはアルドラの家だけだったろ?今は数軒の家が増えて、漁師の港が少し整備されたぐらいだ。家の周りに畑が少しあるぐらいだな」
「土地はあるということか。リンに一緒に島に住んで、茶を育てろというわけだ」
「そんなこと言ったのか。……リン、行ったら大変だぞ。アルドラは精霊も使うが、人はその倍は使うからな」
「オグ、もっと言ってやってくれ」
遠慮がなく、相変わらずな様子の二人に笑ってしまう。
「さて、今日はこれだけか?大市の警備は、明日、各塔の騎士やギルド担当と合わせて確認だろ?」
「いや、もう一件ある。座ってくれ」
まだ長くなりそうだと、リンは話を聞きながら、お茶の用意を始めた。
今日のお茶は、台湾の梨山高山茶だ。
しっかりとしたボディ。長く口に残る花とフルーツの香りに、甘みの余韻が素晴らしく、リンの大好きなお茶の一つだ。
最後に行った畑の物で、今年はすこしクリーミーだったな、と思い出しながら、小さなティーポットにお湯を入れた。
このお茶ぐらいとはとても言えないけれど、いつかお茶が作れればいい。
「オグ、シロップだが、がんばってくれたおかげで、約二百三十八桶分のシロップになったそうだ」
「おお。一年目にしてはやったじゃねえか」
「それでだ。西のラミントン領にも、この技術を伝えたいと思っている」
オグが真顔になって、目を細めた。
「おい、ライアン、何を言っている?これはこの領の技術だろう?それを他に渡すのか?」
「西の森に、リンに言わせると、バーチの倍はシロップが取れる木があるらしい。境の村ではこちら側でも少し生産できるかもしれないが、西の森はほとんどがラミントン侯の領だ。連絡を取って欲しい」
オグがリンの顔を見る。
お茶を配りながら、うなずいた。
「メイプルという木があるのです。ドルーが西の森だと」
「だからといって、他領でも同じものを作らせるのか?」
「リンが風味はまた違うものだというぞ。西の森はここの森より小さいが、倍量ができるなら、同じように助かるだろう?」
オグがまたリンの顔を見る。
リンはまた頷いた。
「蜂蜜が産地で違うように、シロップも違います。メイプルは、樹液が水桶四十杯で一杯のシロップになるはずです」
「北東のこの領も、北西のラミントンも生活の厳しさでは、南とは比べ物にならない。ここと同じように難民も多いだろう。海があるから、まだなんとかなっているかもしれないが、若いご領主が難民救済の指示をだして、だいぶ私財をかけて無理をしているという情報がある」
オグは考え込んでいる。
「オグ、もどって弟を助けてやれとは言わぬ。それが良い事に繋がらないこともある。だが、領主の異母妹の夫が、ここの所だいぶ政治的に幅を利かせているとも聞いた。生産は来年になるが、ここで領主側に何か希望になるものが、あってもよかろう。その方を勘当した父上も亡くなられた。弟に、ラミントン侯に連絡を取ってくれ」
リンは、もったいないことに、梨山茶を吹きだした。
濡れた手を、慌てて拭く。
「ご、ごめんなさい。お、弟? 隣の領主がオグさんの弟?」
「俺は十年以上前に勘当されているから、今は平民だし、家とは一切関係がない。血は繋がっているがな」
「リン、精霊術師には平民もいるが、二つ以上の加護を持つものは、すべてが上位貴族の、領主一族の出身だ。アルドラは孤児で実際の出自がわからぬが、恐らく貴族だろう。リンが唯一の例外だ」
リンは例外だろう。この世界からの例外だ。
それでオグはライアンとも幼馴染で、この仲の良さなのかと、いろいろ思い当たった。
普段のオグの様子を見ると、領主の一族どころか、全く貴族らしく見えない。
どう見ても、ひげもじゃもじゃのハンターの方が似合っている。
「父上も技術を提供するのには賛成だ。昔から助け合ってきているだろう?」
「しかし……」
「もともとバーチのシロップを作る前から、この話をしていたんですよ。成功したら、隣の領に伝えようって。甘いものが増えるのは嬉しいし、メイプルのお酒が増えますよ」
「ああ。最初から携わったオグは、弟に教えてやれることがあるだろう?大市なら、侯もうまく理由を付けて、抜け出せるのではないか?」
「そうそう。水桶は予め用意しろ、とか、サラマンダーの素早い捕まえ方とか、教えてあげたらいいですよ。オグさんは来年春に、こっそりメイプルの技術指導にいったら、戻ってきてヴァルスミアでシロップ造りをお願いします。忙しいですね」
「リン、それはアルドラ並みに人使いが荒いのではないか?」
ライアンと二人でオグに畳みかけた。
弟が苦労しているなら、公式には無理でも助けたいだろう。オグは難民の一人一人にも気を配るのだから。
オグが両膝に手をついて、深く頭を下げた。
「感謝する」
「感謝なら、出来上がったメイプルの酒でいいぞ。飲み比べたいではないか。リンは、……そうだな。魚があればいいのではないか?」
ライアンの言葉に大きくうなずいた。
連絡は手伝うぞ、と、ライアンは執務机に載るシルフの像に手をかけた。





