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A philosopher and the water purifying stone / 賢者と水の浄化石

 三月の満月は、真夜中の頃に数時間だけ、聖域の湧き水に月の光が届くらしい。

 深夜近くになり、儀式用のマントを羽織ったライアンと聖域に向かった。


「リン、今夜は聖域で、美しいものが見られるぞ」


 一歩聖域に踏み込んで、すぐに何のことか分かった。


「うわ、これ、フォレスト・アネモネですよね?」

「ああ、これが君の花だ」


 五枚の花弁の白い花が、一面に絨毯のように広がっている。大地に白さが加わって、聖域の明るさが増すようにも見えた。

 ライアンも目を細めてみている。


「月の光でこんなに青白く、光って見えるとは思ってもいませんでした。外ではここまで広がってもいなかったんですよ」

「ああ。精霊が夜空の星のようだ、と喜ぶのがわかるだろう?人が多く入る場所には少ないな。森の奥に入れば大きな群生地が増えてくる。聖域も踏み荒らされないから、数が多い」


 それからライアンは、数本のフォレスト・アネモネをリンに摘ませると、フォルト石とギィの枝と共に湧き水に沈めた。


「水の浄化石の儀式だが、祝詞が長い。まずは見ていてくれ」


 ライアンの口から、美しく詩的な祝詞が紡がれた。


「夜の闇に天の女神の光遍くいきわたり、そのお力を示されんことを。水の精オンディーヌよ 浄化の光を心に取り入れ、清冽な水の加護をもたらされんことを。アウレア クラルス テネブラエ……」


 途端に水面にさざ波が立ち、水の中のフォレスト・アネモネがクルクルと踊り始めた。白くキラキラとした光が、湧き水からあふれるように、辺りに満ちる。


「うわあ、すごい」


 聖域に広がった光が、すっと水の中に引き込まれた。

 覗き込めば、『水の石』のような精霊石がすでにできている。

 できあがった水の浄化石は、ライアンにもらった四つの加護が入った浄化石のように、内側から光を放つようだった。リンのブレスレットと違うのは、水の浄化石には青白い光だけがほのめいている。


「なんで水の祝詞だけ、お祈りみたいな長い言葉が、前にくっついてるんですか?他のは古語だけで、もっとシンプルなのに」

「知らぬ。昔の賢者が造った祝詞、そのままだ。アルドラが教えなかったか?オンディーヌに恋した賢者がいたと」


 確かに聞いた。でも、浄化石の話はしていなかった。


「え、同じ賢者?それは聞きましたよ。オンディーヌに恋焦がれて、山のようにオンディーヌの像を彫ったから、王都の河沿いには、今もあちこちにその像が飾ってあるって。それしか聞いてませんけど」

「まあ、なんだ。祈るような祝詞を考えるような、ロマンチストな賢者だったのだろう。優秀だったらしいが」

「リン、君の番だが。さて、神々しい石はどうするか。大市でいくつか国の商談があるが、さすがに取引できぬサイズだ」

「……まあ、ですよね」


 またフォルト石を沈め、最初はライアンの後に付いて祝詞を唱えた。

 この祝詞は耳に美しいけれど、実際に口にするのは、詩情たっぷりでなかなか恥ずかしいものがある。

 ちらっとライアンを見ても、普段とかわらぬ顔で、淡々と祝詞を詠じているだけだ。

 リンがオンディーヌにお願いをして、大小様々なサイズの浄化石を作っている間、待っているライアンに、油紙に包んだフラップ・ジャックを差し出した。


「ヴァルスミア・シュガーとシロップ入りです。酸味のあるベリーを多めにしたので、甘すぎない感じに仕上がったので、ライアンでもきっと大丈夫ですよ。先に休憩をどうぞ」


 祝詞が終わり、リンもひとつを取り出し、口を開けた。


「リン、この頃シロップでいろいろ作っているだろう? つい最近ウエストや腰がどうとか、悩みを聞いたような気がしたが」

「……ライアン、せめて一口食べた後に言ってくださいよ」

「変わらないだろう?」

「変わりますよ、私の罪悪感が。砂糖ができて、今までたくさん使わないようにしていた反動がでたんです。大丈夫です。バーチ・ウォーターも毎日飲んだし。……たぶん」


 リンの声はだんだんと小さくなり、ライアンからも目をそらす。

 ライアンがリンの腰の辺りに視線を向けた。


「……リンは前が痩せているぐらいだったし、そのぐらいでちょうど良いと思うのだが」

「ライアン、腰の辺りを見ないでくださいよ。私お尻の上にお肉が付きやすいんですから。ちょっと、だから見ないでくださいってば!もう」


 慌ててライアンの顔の前で、手を振るが、その手をひょいとつかまれて遮られる。


「なにも問題はないぞ。せっかく作ったのだから、おいしく食べれば良い。このベリーとシロップの風味はとても合うな」

「もう。……そうします」


 喉がつまる気がするのは、口いっぱいに頬張ったせいで、後ろめたさのせいではないはずだ。

 さんざん食べた後だし、何をいってももう後の祭りだ。

 今日はさらに、館の晩餐会用に、ブルダルーと二人で春のデザートを作って試食会をする予定が入った。そんな魅力的な誘いに、誰がノーと言えるだろう。

 最近サラダにぴったりな葉野菜の芽が伸びてきたようだし、肉料理を減らして、サラダボウルにすれば――――――。

 カモミールと一緒に、裏庭の一部をサラダ畑にするべきか。

 雪も解けたし、せめてこれから、せっせと森の中を歩こうと、リンは心に決めた。


 三月の満月は、まもなく高度が低くなる。

 リンが祝詞を言う恥ずかしさが薄れるぐらい繰り返し、十分な数の浄化石ができあがった頃には、ライアンは両手でつかむぐらいのフォレスト・アネモネの束を持っていた。


「三月はここに咲いた花をそのまま使えるが、それ以外の月はない。今摘んで、また秋からの儀式で使えるように保存しておくのだ」


 摘んだすべての花を、湧き水にきちんと沈めた。


「オンディーヌ。ニジ フロールム プルクリトゥディネ クムラントゥル ティトリス クムラントゥラ ティトテア」


 今度はさざめきも、光も、何も出ずに終わった。

 リンは水の中から取り出した花の束を動かし、いろんな角度から見てみた。


「えーと、何も変わっていないように見えますけど」

「ああ、変わっていない。このままの状態で、花が来年まで保たれる」

「……プリザーブドフラワーができたって事ですか?」

「何というのかは知らぬ。この花はこのまま、工房に放っておいても、枯れも、萎れもせぬ。水もいらぬ。摘んだ時の瑞々しい姿のままだ」


 枯れも萎れもしない水?

 さっきフラップ・ジャックをのどに流し込んだ湧き水を、リンはまじまじと見下ろした。

 

「それって、もしかしてこの湧き水、えーと、不老不死の水ってことですか?」

「そんな怪しげなモノであるわけがなかろう?アルドラの顔にも、シワがあったではないか」


 リンは眉を寄せた。


「……ライアン、それ、とってもダメな発言です。エクレールさんにすっごく怒られますよ。女性のシワに触れてはダメです」

「……アルドラだぞ」

「女性です」

「以後、十分気をつける。……オンディーヌが、その花をそのまま残したいからやっているだけで、他の物が同じように朽ちないわけではない」

「ライアン、試したんですか?」

「私ではない。大昔だ。賢者の聖域研究が盛んだった時期があるらしい。精霊術師ギルドの図書室に記録があった。結局は、聖域の神秘の水である、で終わっていたが」


 朽ちない、美しさを保つことができる水。

 考えることは皆一緒らしい。


「まあ、確かに不思議の水ですよね」

「水は普通だぞ。単に精霊の気まぐれで、枯れない花ができたものだ。浄化石と同じように、始まりは偶然だ。繰り返せるように、祝詞が考えられたんだろう」

「浄化の祝詞と、同じ賢者ですよね?こっちのは、シンプルな祝詞なんですね」

「もともとの祝詞には、いろいろくっついていたぞ。オンディーヌを永遠の美しさを持つ花に例えるような、聞くのも恥ずかしい抒情的な祝詞だった。口になどとてもできぬ。全部を取り払ったが」


 そう。まるでどこかの領主が、その妻にささやいているかのような祝詞だった。


「あれ、残念ですね。ライアンがそれを言うのを、ぜひ聞いてみたかったですね」

 

 ライアンがさらりと口にした水の浄化石の祝詞だって、リンにしたら十分恥ずかしいものだったのだ。

 オンディーヌに恋焦がれた賢者の言葉だ。どれほどの思いが込められているのか。


「悪趣味だ。聞きたければアルドラに頼むといい。私に教える時も、人の悪い笑みを浮かべて教えてくれたぞ。……リン、花をしっかりと持っていないから、盗まれているぞ」


 指で示されて下を見ると、数輪のフォレスト・アネモネが、ふよふよと地面を歩いていく。


「あれ?」

「精霊が好む花だと言っただろう?」


 ライアンは花束をリンの手から受け取り、二つに分けた。


「これは君の部屋にでも飾っておけばいい。君の花だ」


 リンが初めて男性からもらった花束だった。

 

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