Syrup days / 甘い日々
それからすぐに、ヴァルスミアでは樹液を採り、甘い蒸気が濛々と立つ日々が見られた。
ちょっとした、水桶狂騒曲の始まりでもあった。
エクレールがハンターを集めた時は、単なる採取仕事と思っていた者たちは、交代で村にビール造りに行こうと思っていたのだ。それが、こちらも酒になるかも、それも今まで飲んだことのない酒、と聞いた瞬間に俄然やる気を見せた。
三週間毎日の仕事だ。ちょっとした稼ぎになる。
シロップもまあ嬉しい。それが高く売れて領の財政が潤い、おまけにシロップで『金熊亭』の肉料理のソースがおいしくなるのは歓迎だ。
でも、酒とは重要さのレベルが違う。酒は生活になくてはならないものだ。
この機会を逃す腕の悪いハンターが、このヴァルスミアにいるわけがない。
そんな勢いで森に入っていく猛者ばかりだ。
「今日は俺が『一番桶』を括り付けるぜ!」
「若造が何をいってやがる。おい、俺は十も桶を見つけたぜ」
「お前、昨日どこの村までいったんだよ?」
「さあ、今日も酒造りだ!へっ、俺にかなうわけないだろ」
リンはそんな勇ましい、桶取り付け班のハンター達を、工房の前でライアンとオグと一緒に見送った。
「オグさん、酒造りじゃなくて、樹液採取ですよ?それにそんなに酒にはしませんよ?絶対ダメです」
両脇に立つライアンとオグを、交互に見上げながらリンは言い募る。
シュージュリーの情勢が悪くなってから、美味で有名だった蒸留酒が入ってこなくなった。
飲み仲間の二人が、できあがる蒸留酒を楽しみにして、どうせなら大きい蒸留の道具を注文するべきだ、と昨日もそんな話をしていたのを知っているのだ。
全く油断がならない。
二対一。ハンターも合わせると、数十対一だ。
「まあハンターのやる気がでているし、いいんじゃねえか。少しは造るだろ?うそは言っちゃいねえ」
「蒸留酒はうまくいっても、きっと皆さんの口には入らないですよ。各国の王族への進物用になるだろうって、ライアン言ってましたよね?」
「ミードぐらいは、ハンターでもなんとかなるだろう」
「それに、またどこかの村から、水桶が消えたんじゃないですか?」
「みたいだな」
初日はまだそこまでのことはなかった。
館や、城壁の塔、街から桶をかき集めてきて、森の塔前の水場に集めると、それだけでもかなりあった。どこの家にも、予備の桶の一つや二つあるものだ。
『金熊亭』には大市の頃に増える滞在客の足湯用にと、ちょうど水桶を十ばかりも新しく足して、出番を待っていた。それもすべて借りだされた。
「だいぶホコリをかぶっているのもあるな」
「ええ、熱湯と塩でまずよく洗いましょう」
リンと手伝いの人間でゴシゴシと洗ったところで、ライアンが温風で乾燥させた。
「ええと、これはどこからでしたっけ」
「そっちの五つは北の塔だ」
「これはパン屋のだ、おい、そこ、混ぜずに置いておいてくれよ」
誰も桶に名前を書こうなんて思わない。染色の職人からもらった、落ちにくいという染料で、オグが桶の裏にせっせと名前を書きこんでいった。
そうやって作業をしている時に、染料を持ってきたエクレールが、ため息をついて言ったのだ。
「でも残念ね。この数だときっと足りないわね。あなた達のがんばり次第で、おいしいお酒が増えると思っていたのだけれど」
ハンター達の憧れのエクレールの、女神のお言葉だ。
これで大丈夫。たくさん増えるわよ。いい考えだったわね、と美しい笑顔で、こっそりとリンにささやき、エクレールはギルドの留守番に戻っていった。
どういうことだ?とハンターに詰め寄られたオグを残して。
「四本のバーチの木に水桶を括り付ければ、三週間後に桶一杯分のシロップになりますよ」
百分の一の量のシロップになる、というのがうまく掴めないハンターに、そう説明した。桶一杯のシロップはどのぐらいの酒になるのかを、諤々と言い合いながら、ハンター達は奮起したのだ。
それからだ。街から水桶が消えたのは。
使っている水桶も拝み倒して、借りてくる。しばらくの間、周囲の家、数軒で一個の水桶を共有することになった。
毎日どんどん増える水桶に、まず何度も洗って、名前を書いてから、としつこく言った。
乾燥だけは、火と風の両方の加護持ちじゃないと温風が出せないので、工房に運びいれてもらって、ライアンとリンが担当した。
桶を洗ってふやけた手を眺めながら、大変なことになる、とオグが言った意味が身に染みてよくわかった。
樹液の勢いがあるようになって、一日三回、森を見て回る班ができた。
リンは最初に水桶を取り付けた木から樹液をもらう時に、カップを持って行き、一杯を汲んで、腰に手を当て飲んでいた。
「よし。今日の一杯。これで、きっとデトックスにも、ウェスト周りにも効いているはず。……といいなあ」
「リンさん、その水桶、空けます。この木、すぐ一杯になるから」
「ありがとう。ローロも飲む?」
「水があるからいいよ」
ローロは街に近い側の木の見回り、回収担当だ。
大人がどんどん森の奥に進むので、街のハンター見習いの小さい子達と、近場を橇を押して回っている。
樹液採取には、すぐに橇が活躍することになった。大きな酒造り用の桶を農村から借りてきて、橇にのせ、そこに水桶を空けてまとめて、こぼさないように街まで戻る。
シロップ造りは、樹液の採取から煮詰めるまでを、流れ作業で一気にやらないとならない。
二日目には自然に発酵しているのか、樹液の味が悪くなってしまう。
森の塔前には火が四つもたかれ、野営用の大鍋に回収した樹液が入れられる。
ここにサラマンダー使いの精霊術師と、手伝いの女性陣が待機している。これがシロップ造り班だ。
サラマンダーを使い、ボフっとすごい蒸気を打ち上げて、一気にオグがシロップにすると、手伝いの女性が樽に詰めていく。これの繰り返しだ。
初日はモクモクと蒸気を立てて、手伝いの女性に教えながら、煮詰めていたのだが、ハンターの気合と共に桶が増え、すぐに鍋の数が間に合わなくなった。
「リン、こういう時のために、精霊術があり、精霊術師がいるのだ」
そういうわけで、オグとサラマンダーが現在大活躍中である。
サラマンダーが手伝うと、シロップの色が濃くならず、きれいな明るいアンバーに仕上がるということがわかって、サラマンダーを褒めまくっている。
他にも火使いの精霊術師が何人か手伝ってくれているが、ちょうどいい加減のシロップになるように、サラマンダーを使える者がなかなかいない。最後はオグが仕上げる。
祝詞や術師の力が問題なのではない。単純に、シロップに仕上がる前に、隙をついて鍋に飛び込もうとするサラマンダーを、素早く捕まえられるのが、ライアンとオグなのだ。
これも精霊術師の腕といっていいのかどうか、悩むところだ。
鍋が出来上がると、シロがてってっと近づき、座っているオグの膝にひょいっと乗った。伸びあがって、オグの髭にじょりじょりと、気持ちよさそうに顔を擦り付ける。シロップの催促だ。
「シロ、オグさんと仲がいいのは、シロップを造る人だから?おかしくない?私がシロップをあげてるのに」
シロは精霊と同じように甘いものが好きらしく、できあがりの香りを嗅いで催促にくる。
「おう、シロはオレが優しいやつだって、わかってんだ。人徳だな」
「シロにわかるんだったら、狼徳?ひげに蒸気で、甘い香りがついているとか?」
毛布にも擦りつけているから、毛布の代わりかもしれない。
「オレがボスだって知ってんだよ、なあ、シロ。……リン、他の材料の砂糖は、結局どうなったんだ?」
「国に情報をあげて、王都で検討するんだそうです。農作の土地の問題で」
麦芽糖とてんさい糖があるとは知っていても、作り方まではしらない。それに農地が少ないこの領では厳しいので、国に持っていくらしい。
「すでに食べる麦で一杯だよなあ。まあ、シロップから砂糖ができて、良かったじゃねえか」
できあがったシロップをもらって、工房でライアンと試したのだ。
薄い琥珀色をした、シロップの風味が残る、滋味にあふれた砂糖になった。
「ええ、量が半分以下ぐらいになっちゃいますけど、売りやすいし、保存しやすいですよね。風味が上品で、大満足です」
そこにローロ達の樹液回収班、第二弾が戻ってくる。
「ローロはまだ酒も飲めねえのに、がんばってるよなあ。皆勤賞だろ」
「甘いものを楽しみにしているかわいい子が、近くにいるんですよ。そりゃあ張り切りますよね」
ローロの目標が、料理のできるハンターだってことは、ダックワーズにはとうぶん内緒だ。
工房から持ってきた小皿数枚に、鍋に残ったシロップをスプーンで落として入れる。
一枚はシロ、一枚は精霊、それから橇の子供達用だ。
皆が笑顔で舐めている。大人も子供も、領民も難民も。
桶をくっつけた木の数も順調に増えている。これで甘い物が食べやすくなるかもしれない。
クレープに砂糖を振るでしょ、フレンチトーストにシロップをたっぷりかけて、クッキーは師匠に火加減を見てもらって、と、鍋を眺めながら、リンは頭の中でスイーツのスケジュールを立てていた。
投稿を始めて一月。記念すべき50話目でした。読んでくださってありがとうございます。





