Walsmire 1 / ヴァルスミア 1
リンが目を開けると、四本脚のフォーポスター・ベッドからかかる、ピンクの天蓋カーテンのドレープが一番に目に入った。
「うん、夢じゃなかったんだね、残念」
天蓋付きのベッドは初めてだけれど、実用的だった。
カーテンで覆っただけで、ベッドから暖かさが逃げない。昨夜は部屋の中でも息が白かったから、これがなければ布団をかぶっても震えただろう。
枕元のスマホで時間を確かめると、すでに九時を回っていた。この時間が、この地の時間とあっているかはわからないけれど。
チラリと見ても、当然だが、圏外と表示されている。
リンはため息をついた。
いつもの習慣でスマホを枕元に置いて寝たけれど、電源を切ってしまう。旅行に持って行ったモバイルバッテリーはあるけれど、ここでは写真を撮るぐらいしかできないのだから。
ゆっくり寝かせてくれたのか、誰も起こしには来なかった。
車が走るような、外の音も聞こえてはこなくて、思いの外、静かだ。
天蓋のカーテンをあけ、明かり取りの窓から入る光で、部屋の中を見まわした。
白の漆喰の壁に、天井と壁に太い木の梁が並ぶのが見え、その濃い茶色がアクセントになっている。壁には今は火の消えた暖炉があって、ヨーロッパでよく見る、古民家のような内装だ。
ベッド、壁のタペストリー、床のラグ等のファブリックはピンクと赤と白で、花柄やリボンでかわいらしく整えられている。
この家の女の子の部屋を貸してもらえたのだろうか。
部屋の雰囲気に、何度も洗濯をしてくったりとしたスウェットの、自分だけが馴染まない。
しっかりと眠れたせいか、生来の好奇心が戻ったようだ。
リンが部屋のあちこちに目をやりながら、ベッドから降りたところで、寝室のドアがノックされた。
「リンさま、失礼いたします。ドアを開けてもよろしいでしょうか」
昨夜から続く「様」をつけて呼ばれることに、もぞもぞと落ち着かない気持ちになりながら、答えをかえすと、入ってきた小柄でふっくらとした女性は、スッと腰と目線を落とした。
「おはようございます。この館の前にある宿屋のおかみで、ノンヌでございます。侍女の代わりに、リンさまのお仕度の手伝いに上がりました」
「お、お仕度の手伝い!? いえ、あの、自分でできます。身体を洗いたいので、浴室の使い方だけ教えていただければ……」
昨夜は手桶にお湯をもらい、やっとのことで顔だけ洗い、ベッドにもぐりこんだ。
茶畑にいたおとといからお風呂に入っておらず、髪も洗っていない。空港で顔を洗って歯をみがいたけれど、さすがに限界だ。自分が汚くて嫌になる。
湯あみをなさるのでしたら、浴室はこちらでございます、と、続きの部屋に案内された。
床はきれいなモザイクのタイルで、ここにも小さな暖炉がある。楕円形のバスタブの脇に長椅子が添えられ、隣のワゴンの上にリネン、水差しやグラスまで揃えてある。
「この館はもともと大賢者さまがお住まいだったので、精霊道具を揃えていらっしゃいますし、ほとんどのお部屋に暖炉もございます。水の石がここにありますから、これで水を貯められます。あとは必要なだけ湯を足して、湯温を調整すればいいだけです。冬に外の水場にいくのは大変でございますよ。それでも水の豊富じゃない街もあるといいますから、このヴァルスミアは精霊のご加護で恵まれておりますよ」
そう得意気にノンヌは言う。
とりあえずお風呂に入るには、湯を沸かしてバスタブに入れるという、古典的な労力が必要だとわかった。
また精霊のご加護がでてきた。
それにしても、精霊道具に、水の石とは一体なんだろう。
「浴槽の準備はほとんどできておりますから、リンさまはお待ちの間、お着替えのご用意をされてはいかがでしょう」
リンの恰好もまずいだろうが、着替えといっても、重いバックパックに服はほとんど入っていなかった。
お茶をぎっちり詰めるために、着替えは最後郵送に回して、下着とTシャツがそれぞれ数枚と、パジャマ代わりのスウェットを残しただけ。
自分でも女子として、こりゃだいぶまずいだろうと思うぐらいだ。
旅行用のミニシャンプーにソープ、小分けにしたローションやクリームを入れたトラベルポーチを残したのが、ギリギリ最後の女子としての意識かもしれない。
頭の上までお湯に浸かって、シャンプーとリンスで髪を洗い、歯を磨き、ミディアムロングの髪を簡単にまとめる。
軽く化粧をすると、やっといつもの自分に戻った気がした。
お風呂に入っている間に、部屋はきれいに整えられていた。
天蓋カーテンは綺麗なドレープをつくって、寄せられている。窓の鎧戸もすべて開けられて光が入り、目の前には昨夜歩いた森が見えた。
昨日と変わらないジーンズにセーターの恰好で、オフにしたスマホをポケットに突っ込む。
「リンさま、ご案内致します」
リンが一晩休んだ部屋は、家の三階にあった。
住居として使われていたという上階部分を通り過ぎ、現在はライアンの工房とされているらしい一階まで下りた。
昨夜と同じ部屋には、すでにライアンがリンを待っていた。
陽の光で見たシルバーの髪は一段と明るくキラキラと光り、目も南国の海のようなアクアブルー。本当にこの人はきれいだ。
ライアンの表情も昨日より柔らかい。リンを見て、ほんの少し口の端を上げる。
「おはようございます」
「おはよう。昨日よりだいぶ顔色もいいようだ。ゆっくりと休めただろうか」
「ありがとうございます。おかげ様でしっかりと眠れました」
早速出かけるという。
ここは工房で料理人がおらず、前のノンヌの店で食事をとり、街の様子も見せてくれるつもりらしい。
「その恰好ではいささか都合が悪い。人目を引く」
ライアンが見習いの時に着たというネイビーブルーのマントを、シュトレンが出してきてくれた。
子供の頃に着たものらしいが、今のリンにぴったりのサイズだ。
襟元にある金のタッセルを、シュトレンが輪に通し、綺麗に留めてくれる。
前を手で押さえれば、下の服がほとんどすっぽり隠れる。
スニーカーはもうしょうがない。
下を見つめて歩く、人生に絶望した人がいないことを祈るしかない。
工房を出ると、道の真ん中に屋根のかかった水場があって、水が湧き出て水路に流れていく。その向こう、森への小道を守るように丸い塔が立ち、奥に高い壁が続くのが見えた。
「この街はあのように城壁に囲まれていて、街道への入り口にはすべて門と塔があり、騎士が詰めている。ここは森が門の代わりで、あの塔は『森の塔』という。塔の隣が食堂兼宿屋『金熊亭』だ」
塔の前で、男性が二名待っていた。ライアンと同じぐらいの歳だろうか。
「リン、私の部下を紹介する。塔に駐在するから顔を見ることも多いだろう。この領所属の騎士で第二大隊 副隊長のフログナルドと、私の補佐を務める文官で、シムネルだ」
二人ともブロンドヘアだが、フログナルドはダークブロンドで、シムネルはグレーにくすんだ色だ。
フログナルドは黒の隊服を着て、左肩に群青のマントを羽織り、ピシリと背を伸ばして立っている。シムネルは上司の連れの変わった毛色の娘を、茶色の興味深そうな目で見つめている。
「フログナルド、シムネル、リンだ。ドルーの加護のある客人で、しばらくは工房に滞在することになる」
「精霊術師の方ですか。ヴァルスミアへ、ようこそいらっしゃいました」
「賢者見習いのマントが、お似合いですね」
精霊術師? 賢者見習い?
「いえ、あの、お茶屋さんです……」
この借りたマントのせいだろうかと思いながらも、一応主張しておいた。
『金熊亭』は昼時にはだいぶ早いのに、すでに半分ぐらいのテーブルが埋まっていた。
隣が塔だからだろう、騎士の隊服を着ている者が多い。
がっしりとしたテーブルもそれ用に作られていて、脇の部分に切れ込みが入り、隙間が開いている。フログナルドは腰の剣をそこに差し込み、席に着いた。
店内に充満している香ばしい香りに、リンは昨日の夕方から、何も食べていないことを思い出した。
きゅう、とお腹もしっかり催促している。
「森よ、ドルーよ。我らの命をつなぐ毎日の糧をお与えください。芽吹きと恵みに感謝をささげます」
食前の祈りを教えてもらって唱え、ボリュームたっぷりの皿の上を眺めた。
これがイチ押しだ、と言われて選んだ本日のおススメは、香ばしくグリルされた大きなソーセージで、ハーブで香りづけがされている。セージとタイムだろうか。
皮はパリっとプリプリに焼け、余分な脂が落ちていて、噛むと肉汁がじゅわりとあふれる。
付け合わせは、上に切れ込みを入れ、皮がついたままで焼かれた、ホクホクのジャケットポテトで、バターがとろけている。
りんごと栗を甘酸っぱく煮たものも添えてあり、途中で口をさっぱりとさせる。
ソーセージもジャガイモも、シンプルな味付けだけれどおいしく、お腹から温まった。
「おいしい。すっごくおいしい。それぞれ味がしっかりあって!」
「どれもこの領ではよく好まれる物だ。ジャガイモとバターは西の村から市に売りに来る。フォレスト・ボアに、栗、りんごも、この秋に森で採れたものだな」
これは豚肉じゃなかったのかと思いながら、給仕をしてくれていたノンヌに礼を言うと、彼女は顔をほころばせた。ふっくらとした頬に、えくぼがかわいい。
「お口に合ったようで、ようございました」
「ノンヌの夫のダックワーズは料理上手でね。『金熊亭』のソーセージは騎士にも、森に入るハンターにも人気です」
フログナルドも満足顔でカトラリーを置いた。