Did his best / 精進
聖域から戻ると、リンはスマホを取りに、ひとり自室に戻った。ついでにアルドラに、と作ったオイルと、浴室の水と火の石を入れた籠 ―リンのお風呂の石セット― も、一緒に持つ。
ゆっくりと『金熊亭』の階段を上がっていた二人に追いつき、リンはノンヌに足湯用の水桶を借りて、後ろをついて行った。
部屋に入ると、アルドラは手首の加護石のブレスレットを手の方へずらし、片手で加護石をパッ、パッと触り、サラマンダーを使いながら暖炉に火を入れ、燃え立たせた。シルフを使い、天井近くの暖かい空気をかき回して、下方に送っている。
「やれやれ、これだけ長い間外にいると、どうしても膝が痛むねえ」
右ひざに痛みが走るらしく、さすりながら腰を下ろした。
「アルドラの加護石も、ブレスレットなんですね」
「ああ、石が多いとね、これが一番便利なのさ。石ひとつなら、指輪やペンダントにする術師も多いけれどね」
「あ、アルドラ、足湯を用意します。一緒に使えるように、このオイルも作ってみたので、試してみませんか。……ライアン、すみません、少しの間、廊下にでていてください」
リンはさっさと水桶に水の石をかざし、祝詞を言い、水を貯めている。
「リン、なんだね、そのバカみたいな大きさの水の石は」
「ライアンと聖域で水の石を作ったら、この大きさに。えと、これ、なかなか水が減らないんですよ。予備の石もあるから、せっせと使っているんですけど」
そう言いながら、アルドラに石をポイと渡して見せる。
「アルドラ、森も精霊もリンに甘いので」
「甘いのは、さっきもドルーを見てわかったがねえ。これはなんとも」
「偶然できた風呂用の石です。これも外部には秘匿しています」
「ライアン、アルドラが足湯の準備をしますから、部屋の外へお願いします」
太ももまである長靴下を脱がないとならないから、さすがに男性の前ではできない。
「足湯とはなんだ?」
そういえば、ライアンにはまだ伝えてはいなかった。
「見ればわかります。とりあえず、呼ぶまで外で待っていてください」
リンはさっさとライアンを部屋から追い出し、水をちょうどいい温度に温め、アルドラの準備を手伝った。
ドレスの裾を下までもどして、ライアンを呼び入れる。
「何も変わっていないように思えるが」
「見えていないだけですよ。ドレスの下で、お湯の中に足をいれて、ふくらはぎまで温めているんです。四分の一刻ぐらいで、身体中が温まります」
「リンがノンヌに教えたらしいけれど、本当に楽になるんだよ、なぜか腰や肩までね」
「工房では、やっていなかったな」
「ええ。家にはお風呂もあるし、教える機会がなくて。シュトレンに伝えて、夜眠る前に、ちょっと熱めのお湯でやってみてください」
「試してみよう」
リンはオレンジ色の花が入ったマッサージオイルの瓶を、アルドラに見せた。
「それは『狼殺し』の花のようだね?」
「ええ、すごい名前で、ライアンに聞いたときには驚きましたけど。毒も薬になるってことですよね。兵士に使う鎮痛薬のように、効果を高めていないんです。それでもマッサージすると気持ちいいし、十分かと」
「兵士の薬はひどい傷痍の時にのみ使うが、これはそこまで強くはないのか」
アルドラが了承したので、リンはオイルを手に取って温め、ふくらはぎから膝にかけてマッサージする。
「薬だと普段使うのに強すぎることもあるでしょう?私の祖母はこれでマッサージしてあげたら、膝の痛みが少し楽になったんですけど」
アルドラのドレスを直し、騎士さんの筋肉痛や関節痛にもいいと思うので、試してみてください。これもギルドで検証ですかねえ、と言いながら、手を洗っているリンを、アルドラは面白そうに眺めた。
「さ、リン、茶の木の絵を見せておくれ」
スマホを取り出し、ずっと切っていた電源を入れる。
「それはギルドカードのように見えるが」
「えーと、これは、むー、一番説明が難しいですね……」
「もしや、また雷か」
「雷だって?」
「ええ、アルドラ。リンの国の術師は、天の眷属の力を取り入れる方法を知っているんですよ」
「驚いたね。どうやってやるんだい?」
「私も知らないんですよ、残念ながら。これは、雷とシルフは確実です。テレビとはちょっと違うんですけど、それよりも上かなあ。まあ、いいや、見てください。これより中身の茶の木の方が大事です」
バッテリーは少ないけれど、写真を見せるぐらいは大丈夫だろう。
「これが茶畑です。木の高さを低く整えてあります。もし、自然にある茶の木だったら、このように大きくなっていることもあります。この白い花が、茶の木の花」
指を滑らせ、葉や花の形も拡大して見せるリンに、二人は言葉もでない。指に滑らかなよくわからぬ物体。なぜこのように小さな中に、自然をそのまま写し取ったかのような、美しい絵が入っているのか。そしてなぜその絵が、リンの指示で動くのか。茶の木どころではなく、意識はスマホにある。
「わからぬ」
「よく、見えませんか?」
「いや、なぜそのように細かな、美しい絵がそこに。それになぜ動くのだ。シルフが飛ばしているようにも見えぬ」
「そこですか……。雷が光と影を連れてくるときに、その場所の景色がそのまま見えるように運ぶのです。動くのは雷のいたずらです」
リンはもうヤケだ。電気にカメラ、スマホの説明なんて無理だ。仕組みを知らないまま使っていたのだから。動画を撮っていなくてよかった。絶対に説明できない。
「天の眷属ばかりだねえ」
横からのぞきこむライアンにスマホを渡し、スワイプの仕方を教えると、右に、左に、人差し指を動かしている。
「本当に惜しいことだ。神の力をとどめる、詳細な魔法陣が仕組まれているに違いないが、ここに書かれてある文字すら読めぬ」
「あの、外側ではなくて、お茶の木を見て欲しいのですが」
「ん?これはリンのご家族、お父上か?」
最後の茶畑で撮った、陳さんが製茶中に、こちらを見て笑っている写真だった。
「いえ、お茶農家の人です。……私の家族はこの二人です」
スマホのホーム画面にしてある、父と祖母の写真を見せた。
「リンに、口元が似ているか」
「……ご家族は、リンがこちらに来て、さぞ心配なさっているだろうねえ」
「いえ、家族はもういないんです。これもだいぶ前に撮った写真で」
――――――この写真も、もうすぐ見られなくなるかな。
そんな思いで、じっと見つめる。
「リン、島に帰ったら、茶の木をグノームに探させる。シルフがフィニステラにあると、伝言したなら、あるはずだ。それで、もし見つかったら、リン、一緒に島に住まないかね?」
「え?」
「あの島は私が王からもらったもので、私が領主みたいなもんなんだ。今は島を維持してくれる者が少し住んでいるが、大昔に捕虜を隔離した島で、誰も住もうとしなくてね。気楽だよ。暖かくて、海があって、ダックワーズのような獣料理のできる料理人はいないけど、魚はおいしいね」
「魚……」
「ダメです、アルドラ。リンはまだここで学ぶことがありますので」
「古語も祝詞も、私の元でもできるだろう?聖域の守りは、今までだってライアンで十分だよ。薬草もあるし、もし茶の木が見つかったら、自分の好みのお茶をつくればいいじゃないか」
「お茶……」
「っ、アルドラ、ずるいですね。リンの好きなものを、そのように並べるなんて」
「リンが来れば、おいしいお茶が飲めるし、話し相手もできる。痛む膝にオイルをつくって、マッサージまでしてくれたんだよ。今まで弟子にはさんざん苦労させられたんだ。最後にこんないい弟子が欲しいじゃないか」
「アルドラ、それが本音ですね?リン、聞いてはならぬぞ」
大賢者と弟子の言い争いは、それからしばらく続いた。
茶の木の写真のことはすっかり忘れ去られたようだ。
「リン、アルドラの島に行きたいと思うか」
『金熊亭』を出てから、ボソリとライアンが尋ねた。
「正直、わかりません。アルドラは簡単に言っていましたけど、お茶をつくるのって、時間がかかるんです。薬草茶や石鹸でも、これから手配がいるでしょう?それでも、薬草の収穫ができる夏ぐらいまでには、少し目途が立つじゃないですか。お茶はうまくいっても、最初の収穫までに五年ぐらい必要と思います」
リンは茶畑に何度も滞在して、手伝ったことがある。でもそれは、あくまでも手伝い、だ。経験者がいない状態で、どれほどのことができるか。
「そのように時間がかかるものか」
「ええ。だって、木ですよ。森を育てるのにも、時間がいるでしょう?……あれ?もしかして、精霊の力で時間が短縮できるとか」
「土地に手を加えることは可能ではある。だが、精霊は自然の状態を好むし、土地への負担がだいぶかかる。成長の促進も同様だ」
「この国の南は気候がだいぶ違うんですね。茶の木が見つかったら、アルドラの島へ遊びにいくのもいいかもしれませんね。魚も食べられるし、お茶も個人で楽しむぐらいなら、作れるかも」
「この領での栽培は無理なのか?」
「気温のことだけでいえば、案外寒くても茶の木は育つんですけど、ここはちょっと寒すぎると思います。あと環境が合わないと、商売になるほど成長しないんですよ。自生している場所があるなら、まだ可能性はあります。どちらにしても、経験者なしではできるかどうか」
「そうか」
「ライアン、気にしないでください。自然のものですから、しょうがないです」
「リン、この地は君を必要としている。薬草茶も石鹸も、館で会合が始まったばかりで、蜜蝋のこともこれからだ。ブルダルーに言って、フック・ノーズも用意させよう」
ライアンは必死だ。
アルドラはいつも精霊のように自由に動く。ライアンが成人して『賢者見習い』から『見習い』の文字が取れた時も、聖域をまかせて、さっさと引っ越していった。リンを話し相手に欲しいと思えば、きっと連れていってしまう。オグとふたりでかかっても、幼い頃からアルドラに勝てたことは一度もないのだ。
頼めば、他にも海の魚が手に入るやもしれぬ、とブツブツこぼすライアンは、なんてかわいいのだろうと、リンは眺めた。
「それに、領のことだけじゃない。君がいなくなると、私も、私の」
言葉に詰まるライアンを、じっと待つ。
「……私の髪を結える者がいなくなる」
「……ええ。それは確かに、一大事ですよね」
残念だ。
アルドラの言う通り、ライアンにはまだまだ精進がいるのかもしれない。





