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A bitter cup of the reality / 現実の渋い杯

 木陰から現れた男は、リンより少し年上だろうか。

 欧米人のように彫が深く、リンを睨んでキツイ顔をしている。その鋭さがなければ息を飲むような、端整なハンサムだった。美人といってもいいかもしれない。

 肩までかかる白銀の髪が、月の光をチラチラと弾くようで、まるで後光が差しているように見える。


「イケメンだけど、コスプレ? 夢を見ているとしか思えないほどキレイだけど」


 ポロリと口にしたとたんに、男が眉を寄せた。


「言っていることはわかるが、理解ができん。イケメンとは、コスプレとはなんだ」

「えっ、いえ、ごめんなさい。その部分は忘れてください」


 お互いに違う言葉をしゃべっているようなのに、なぜか通じている。


「異国人か? なぜこのような時刻に森にいる?どのように聖域の結界を超えたのだ。何が目的だ」


 次々と詰問されるが、なんと答えればいいのだろう。

 リンだって状況を飲み込めてはいないのに。

 相手を落ち着かせるように、リンはゆったりと答えた。


「ごめんなさい。自分でもわからないんです。ここはどこでしょう。 旅から戻って、こうやって木に手を置いて、顔をあげたらここに。……聖域に結界って聞こえたけど、森の境とか、そういう意味、ですよね?」


 まさか自分が、実際に『ここはどこ』などと言う羽目になるとは、リンは思ってもいなかった。

 『私は誰』の部分がわかっているだけ、いいのかもしれない。


「いや、ここは確かに聖域だ。……精霊の、許しがない者は入ってはこれぬ」


 そう言うと、男は少し考え込んだ。

 聖域に結界、その上に精霊ときた。


 男は見惚れるようなハンサムだけど、真夜中に森の中でコスプレをしている、アブナイ人かもしれない。

 ゆっくりと遠ざかるように数歩後ろに下がったところで、逃がさないというように手首を取られた。


「――! ――?」


 こんどは男の言葉が全く理解できない。

 ぞっとした。引き抜こうとした自分の手が、震えているのがわかる。


「嫌!なにを言ってるのか、今はわからない。手を放して!放してってば!」


 そのままそっと男に手をひかれ、また木に手を当てるよう促された。


「こうすればわかるか? 加護があるようだが、ドルーの客人か?……話をするには、ここは寒すぎる。とりあえず森を出て移動だ」


 男は白く息を吐き、オークの大木を見上げた。


「ドルー、できれば私の工房へお越し願いたいのだが」



 コスプレ美人に手首を取られたままで、リンはついて行くしかなかった。

 自分がどこにいるのかも、なんでこうなっているのかもわからない。


 森の気温はだいぶ下がっていて、今着ているコートでは全く用を成していなかった。襟元や袖口、裾から冷気が入ってくる。

 荷物は重く、肩に食い込んで痛い。今頃は赤くなっているだろう。

 寒さと痛さ、自分の吐く息が白く見えるのに、泣きそうだ。

 本当なら今頃は、家で温かいお風呂にゆっくりつかって、買い付けたばかりの梅山(メイシャン)高山(ガオシャン)(チャ)を飲んでいたはずなのに、なぜ凍えて歩いているのだろうか。


 男が握っている手からだけ、ほんのりと温かさが伝わってくる。

 連行するというよりは優しく手を引いてくれていて、別の状況だったら、このハンサムと手をつないで歩くのは、舞い上がるようなシチュエーションだったかもしれない。


 でも今は疲れすぎて、ただただ休みたかった。



 雪に埋もれて盛り上がった木の根を隠している、不安定な足元に注意しながら、二、三十分程も歩いただろうか。

 木立が途切れ、森を抜けた。

 街灯はないが、月の光で森の外は十分に明るく、建物が浮かび上がって見える。

 目の前に灰白い石を積み上げた、重厚な造りの高い塔が見え、その前に二人の男が立っていた。

 一人は濃い緑のローブをまとった老人で、印象的な白く長いあごひげが、有名な指輪物語の魔法使いか、赤の衣装を着ていないサンタクロースかってところだ。

 もう一人は、ピンっと背すじを伸ばした、完璧なバトラーとしか言えない格好をしていた。

 バトラーが森からでてくる二人に気づくと、一歩前にでてすっと頭を下げた。


 うん、もう完璧。

 この人の名前がセバスチャンじゃなければ、かえっておかしいかも、と現実からズレたことをぼんやりと考えていると、三人の話が簡単に終わったらしく、塔の向いにある家に案内された。

 家は塔と違って、白壁にこげ茶色の木の梁が見えている。


 バトラーに手伝ってもらい、やっとバックパックを肩からおろして、腰を伸ばした。

 玄関のすぐ左手にある、案内された部屋には、壁に大きな暖炉があった。すでに火が入っており、その暖かいオレンジの色合いにほっとした。

 薪の時折はじける音が、静かな部屋に響いている。

 丸テーブルの椅子に腰を下ろすと、肩をさすり、みっともなくてもいいから、ぐでりと背もたれに背を預けて、リンは目を閉じた。

 頬にじんわりと暖炉の熱が伝わり、凍った自分が解けるようだ。


 サンタクロースのひげの老人がリンの頭をそっとなで、横の椅子に腰を下ろし、リンの正面にはハンサムが座った。

 屋内のランプではじめてこの男の目がはっきりと見え、まっすぐリンを見据えた目は、きれいなブルーをしている。

 コートを受け取り、暖炉の火をかき起こし、と休まず動いていたバトラーが戻り、お茶を配っていく。

 それを合図に重い身体を少し背もたれから離し、目の前の男を見つめた。


「簡単に状況だけでも把握したい。ドルーの加護を与えてもらったが、私の言葉はわかるな?」


 『ドルーの加護』の意味はわからないが、言葉は理解できる。

 リンは頷いた。


「私はライアン・キース ウィスタントン。精霊術師だ。こちらがドルー。向こうで支度をしているのが、侍従の「セバスチャン」」

「……セバスチャンを知っているのか?彼はセバスチャンの息子だ。シュトレンという」

「いえ、ごめんなさい。…‥‥知らない方です。続けてください」


 ライアンの話、というより尋問がはじまった。


「君の名前は?」

「楢橋鈴、リンです」

「どこからきた?」

「日本です」

「ニホン……。職業は何をしている?」

「あの、お茶屋さんです。お茶を販売しています。ちょうど仕入れをして帰ってきたばかりでした」

「商人か……」


 ライアンは少し考え込んで、続けた。


「リン、ここはヴァルスミアという街だ。君は先ほど、ヴァルスミアの森にある、結界で守られた聖域に侵入した。この辺りであの場所に入れるのは、私しかいないはずの場所だ」

「ヴァルスミア。……はじめて聞く名前です」


 ライアンはリンの表情で何かわからないか、とでもいうように探るように見ている。

 リンの黒髪と顔立ちは、この国では大変珍しかった。

 夜陰に紛れるためか、上から下まで漆黒を纏い、動きやすい変わった服装、背には大きすぎるほどの荷物を持っていた。どうみても敵国のスパイか、密猟中のハンターのような恰好である。


「最初は高位の精霊術師の聖域侵入を疑ったが、それにしては周囲の精霊も警戒はしていないようだし、ドルーの加護もあるように思えた。それでドルーが招いた客人なのかと思ったのだが……」


 そういうと隣に座るドルーに目をやった。


「オーリアンよ、なんとも不思議なことだが、我は招いてはおらぬ」


 独特の発音でライアンを呼びながら、ドルーは続けた。


「我でなければ、どなたか他の者、――大地か森の意思かのう」


 リンにはドルーの言葉の意味はわかっても、やはり内容が理解できなかった。

 大地か森の意思? 誰が招いたと言っているのだろか。


 言葉はわかっても、意味が理解できないもどかしさ。

 それなのにライアンは、どこか納得したような顔をしている。


「聖域も精霊も私には身近なものではなくて、よくわからないんですけど……。あの、あなたは精霊を信じているんですよね?」

「精霊はこの国フォルテリアスを造り、守るものだ。誰もがその加護を願い、敬う。精霊を感じる者も、感じられない者もいるが、存在自体を疑うものはおらぬ」


 リンはため息をつき、目の前のカップを手に取って、再度背もたれに身体をあずけた。

 腰も肩もだるく、目の奥から頭の芯が重く痛む。

 何度考えても今の状況は異常で、わけがわからない。


 フォルテリアスという国名は聞いたことがないけれど、名前も知らない国や民族があっても不思議じゃない。馴染みのない文化を警戒はしても、そういう場所もあるのかも、とはまだ思える。

 実際、孤立しているような山奥でお茶を作って生活する民族は、言葉も違い、生活様式や考え方も違った。

 でも自分が家の前から一歩も動かず、ここに来ていることは、全くありえない。


 そしてドルーが自分に触っただけで、言葉がわかるようになったことも理解しがたい。

 ドルーは本当にサンタのおじいちゃんで、ギフトをくれたのだろうか。

 この部屋の暖炉と煙突は、確かに入ってこられるほど大きい。


 ……まだ十一月だけど。


「私の知っている中に、精霊の加護があるフォルテリアスという国はありません。ここは私のいた世界とは違うみたいです。信じていただけるかわかりませんが」


 リンは自分でもおかしなことを言っていると思った。

 なんでこんな事になってしまったのか。

 のどが詰まりそうになる。


「あの、誰かが私をここに招待したのなら、もとの世界に帰してもらうことって、できますか?」


 ライアンは一度目をふせてから、リンをしっかり見て言った。


「残念だが、私には帰しかたがわからぬ」


 ドルーも静かに横に首を振った。


 誰も次の言葉を継がず、リンは手を温めていたカップから、一口お茶を飲んだ。

 タンニンが強く、ひどく渋い茶だ。

 リンには渋すぎた。


 シュトレンが部屋に戻ってきた。


「ライアン様。もう遅いですし、リン様はだいぶお疲れのように見えます。お休みいただいて、これ以上のお話は明日にされたらいかがでしょうか。上にお部屋の用意も整えてございますから」


 今の状況で、一番ありがたい助言だった。


念のため。Ryan (ライアン)=O'Riain(ドルーの呼び方)

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