A surprising guest / 突然の訪問者
シロが外にでるのを見送り、家のドアの一番近くにいたのは、珍しくリンだった。アマンドは館にでているし、シュトレンは工房の執務室にいるだろう。
ゴンゴン、と大きく叩く音がしてドアをあけると、そこにはリンより小柄な、小さな魔女が立っていた。
濃紺の長いマントを着て、銀髪の上には同じ色のフードがかかっている。手にはゴツゴツとした長い杖だ。悪い魔女には見えないけれど、良い魔女にも見えない。
絵本と違うのは、足元にある、蔓で編んだようなバッグだろうか。かわいいピンクの大きなリボンが持ち手に結んである。
黒猫はどこだ、この杖が箒に変わるのか、とリンがジーっと見ていると、相手にも観察されていた。
「おまえさんが、リンかい?おや、今度の見習いは、髪は黒いんだね。珍しい」
「え、あ、はい。リンは私ですけど」
その魔女は言った。
「そうかい。よろしく頼むよ。私はアルドラだ」
「え、アルドラって、あの、前にここに住んでいた、大賢者の?!」
「ふん、賢者などと一度も名乗った覚えはないんだけどねえ。自分で言っていたら、おかしいだろう?」
ああ、確かにライアンの師匠だ。
「あ、あのっ、初めましてっ。ライアンをすぐに呼んできます!ライアン、大変、お客様ですー!」
慌てすぎて、アルドラをドアの前に置き去りにしたまま、工房まで駆け込んだ。ライアンの片腕を取り、ドアを指差す。
「リン、何を騒いで、……アルドラ。これは驚きましたね。訪問の予告は来ていなかったはずですが」
「文は王都から出したよ。面倒になって陸路を船に乗り換えたから、まだ届いていないのかもしれないね」
「シルフも使えたはずですが」
「ふん、細かいことを言うんじゃないよ。呼んだのはそっちだろう?連絡を受けて、わざわざ年寄りが、この寒い中遠くから出向いてきたんだよ。もっと敬ってもいいと思うがね」
「まだ口は十分にご達者のようで、何よりですが」
言い合いながら、二人で応接室に入っていく。
アルドラの杖はどうやら実用的な杖らしく、コツリ、コツリと音をさせている。
「私が連絡を入れたのは、ふた月以上前のことですよ。てっきりもう来られないもの、と思っておりましたが」
アルドラは帽子をポイっとテーブルに投げだしながら、椅子に座る。
「新たに聖域に入れるものが現れたので指導を、というなら、来ないわけにいかないだろう?道中であちこちの領主に捕まったんだよ。なんだねえ、この国はこんな老いぼれまで、まだ頼みにするらしいよ。面倒になって、王都を過ぎてから船にしたんだ」
そうか、この人がアルドラか。あの城壁を壊した『谷の姫百合』の。
ライアンとオグをこき使える、大賢者。
「シュトレン、悪いけどお茶を一杯もらえないかねえ。あと、館にも到着の連絡を入れておいてくれると、助かるよ。ああ、泊まりは『金熊亭』にするから、気にしないでいいよ。あそこで食べるのは久しぶりさね。ここの寒さはひざに辛いが、ダックワーズの食事は恋しくてねえ。私の荷物はドアの前のかばん一つだけだよ」
違った。ライアンとオグと、シュトレンも使える、大賢者だった。
そこにリンも入ることになるのだろうか。
「あの、お茶は私が入れます。ここでは私がお茶担当なので」
「そりゃあいい心がけだねえ。おいしいお茶がでてくるのが一番だよ。ライアンもオグも、渋い茶しかだせなくてねえ、私とは好みが合わなかったよ」
おいしいお茶のところだけは、リンにも同意ができそうだった。
『金熊亭』の食事を好み、お茶を楽しむ、味の好みがうるさそうなアルドラに、リンは杉林蜜香という紅茶を選んだ。台湾の紅茶だが、普段烏龍茶にする茶葉で紅茶を作ってある。とても濃い、森の蜂蜜のような深く甘い香りに、金木犀や、ライチにリンゴといった果実の香りものぞいている。
「これはおいしいね。飲んだことのない茶だよ。そうかい、リンの国はこんなにおいしい茶を飲むのかい。羨ましいねえ」
リンがお茶を入れる手順をじっと見ていたアルドラは、一口紅茶をすすって、満足そうに言った。
「それでライアン、リンはどのぐらい精霊を使いこなすんだい?見たところ、火の石の精霊道具で湯を温めているが、まだ古語の習得の段階かね」
「リンの古語の授業は一月ほど前に始めたばかりです。ただ、リンは少々特殊で、精霊の力は使いこなせそうですね。ご覧いただいた方が早いでしょう。リン、暖炉の火を消すように、サラマンダーに言ってくれないか?加護石を使わずに」
「サラマンダー、お願いします。暖炉の火を消してください」
すうっと、火がかき消えた。
ライアンは素知らぬ顔で紅茶を味わっており、アルドラは口をあんぐりと開けている。
「……驚いたね。精霊との交流の場である聖域ならともかく、古語も加護石も使わず、術者の言う通りに精霊が力を貸すなんて、初めてみたよ」
「普段は力を使うのに、古語と加護石を使うように練習していますし、このことは公にはしておりません。聖域ではもっと驚かれるかと思いますよ」
「これ以上にかい?」
「すぐ、そういうものだと慣れますよ」
「あれだけ使えるなら、火の石の精霊道具なんて必要ないだろう?」
「あれは、最初の頃、リンが火打石を使えないので、風呂のために作っただけです。それからお茶用に石の大きさを変えましたが、案外便利なのですよ」
「……サラマンダーの加護があって、火打石が使えないのは、ありえないだろう?」
アルドラもライアンと同じことを言ったが、でも火がつかないのだ。
ちょっと、やってごらん、と促され、シュトレンに石を借りてやってみる。
やっぱり何度やろうが、火花が飛ばない。
「ふん、この家はライアンが精霊を甘やかしているから、そうなるんだよ」
「リンの火打石とは、なんの関係もないでしょう?」
「サラマンダーが拗ねているんだよ。名前を呼んでもらいたいだけだね。やってごらん」
サラマンダー、と言って火打石を構えたら、火花がしっかりと暖炉に飛んでいった。
打ち付けるより前、フライング気味に。
「あんなに練習したのに……。そんな理由だなんて」
「ほらごらん。ライアンが精霊を甘やかして、機嫌をとるから、髪を引っ張ったり、じゃれて遊ぶんだね。私が精霊を使う時は、そこに並んで、皆大人しく待機しているよ」
「そうでもしなければ、毎日、仕事になりませんから」
「ふん。まだまだ精進が足りないってことだね。精霊をぴたっと使いこなして、術師として一人前だよ」
そうか。人によっては精霊のご機嫌が大事なんじゃないんだ。
「並んでいるんですか。私は姿が見えなくて、光のオーブが飛んでいるようにしか見えないから、残念です」
「リンの場合は、ライアンと逆だね。精霊がリンを甘やかしてるんだ。サラマンダーが赤い顔をより赤くして、身体をよじって、デレデレで、見ちゃいられないねえ、全く」
そう言いながらアルドラは、リンに見えない精霊を、二本指でつまみ上げた。





