閑話:Golden Bear Inn / 金熊亭
「リンちゃん、いらっしゃい。今日はわざわざありがとう」
ああ、やっと慣れてきたかねえ。
ダックワーズさんだって私に敬語じゃないんですから、ノンヌさんもリンと呼んでください、と言われたのだけれど。ダックワーズは、なんでこの不愛想が客商売に婿に入ったんだか、って思うぐらい、もともと無口だろう?私は若い頃、館に行儀見習いにも行ったし、工房の賢者見習い様に敬語じゃないなんて、落ち着かないけれどさ。
まあ、リンちゃんって呼んだら、パアって明るく笑った顔がかわいかったし、いいのかね。
「ノンヌさん、こんにちは。タタンちゃんの具合はいかがですか?」
「ありがとう、リンちゃん。タイムの蜂蜜漬けをいただいて、助かったよ。蜂蜜に溶かしたら、薬も嫌がらず飲んで、もうすっかりいいんだ。おとといから食堂の手伝いにも戻れたよ」
「薬って、酸っぱくて苦いっていう、シロップですか?」
「ああ、苦くはないけど、酸っぱい粉薬なんだよ。スプルースなんだけどね。春なんか、若芽をそのまま食べられる。その時も酸味はあるけど、薬はそれを粉にして、さらに濃縮してあるからねえ。まあ、そりゃあ子供は嫌がるよ。蜂蜜に混ぜたら、なんとか、ね」
「スプルースは食べたことないかもしれません」
「おや、そうかい?ここの裏庭にもあるし、森にもたくさんあるから、春には楽しめるんじゃないかい?酢漬けにして香りも付けるし、蜂蜜とシロップにしても、獣肉に合う森らしいソースになるんだよ。ダックワーズも、ここに来てから知ったらしいが、得意でね」
蜂蜜がこう高くなっちゃ、厳しいかもねえ。ここは肉も狩ったのが使えるし、パンも水車が裏庭にあるから、おいしいものを安くだす、って評判の食堂なんだが。
「春が楽しみですね。ダックワーズさんは、今日は狩りですか?」
「ああ、ローロとタタンを連れて行ってるよ。タタンは、外に出たくてしょうがないらしくて」
厨房に案内して、リンちゃんに予め必要だって言われていた、灰汁、ラード、タイムを取り出した。
「灰汁を煮詰めるんですけど、身体につくと、大やけどをするかもしれません。目に入っても危ないです。だから、手袋を必ずして、タタンちゃんも覗き込まないようにしてください。もし肌に付いたら、酢で中和ができます」
それからはリンちゃんと、午後中おしゃべりをすることになったよ。
だって、灰汁を煮詰めるのに三刻以上かかるなんて、思わないじゃないか。
裏庭のスプルースも見にいったし、上階の宿泊部屋も案内した。水車を動かしたら、あんなに喜ぶとは思わなかったね。今まで工房の麦を挽く時は、ブルダルーさんが麦を持ってきていたけど、今度は自分が持ってくると言っていたよ。
「これからまず一日置くんです。ある程度固まったら、型から抜いて切り分けてください。そこからさらにひと月は熟成、乾燥して、やっと使えます。でも、今回はそれだとすぐに使えないので、ちょっと精霊の力を借りますね。えーと、確か、シッカ サト ケレリテル」
驚いたねえ。こんなに近くで精霊術師の技を見ることはないから。
リンちゃんは本当に賢者見習い様だったんだねえ。
「工房でも、半分は自然乾燥を試してるところです。これで好きな大きさに切り分けて、使ってください。厨房でも使えるし、小さくして、お客様のお部屋に置いてもいいかもしれませんね。女の人は喜ぶんじゃないでしょうか」
「それはいいかもしれないねえ。ここは食堂としては有名になってきたけれど、部屋の方は空いていることが多くて。やっぱり街の中央とか、街門の近くの方が、便利で旅の商人にはいいんだろうねえ。冬は特に旅人も少ないし、もっと宿泊があるといいのだけれど」
「ここは食事も安くておいしいですし、何か簡単に、他と違いがでるといいですよね。石鹸は、ラードを買わなくてもいいんでしょう?」
「ラードも買えば高いけど、ダックワーズはハンターの腕もいいからね」
「ふふふ、ノンヌさんの自慢のご主人ですよね」
良すぎるほどの亭主だと思っているよ。本人には言ったことがないけれど。
「えーと、こちらの人は、朝にお湯を使うでしょう?」
「そうだねえ。うちは浴室はないけど、希望のお客さんには大きめのたらいとお湯を、部屋に持って行くよ。そうじゃなくても、朝は身体を拭くから、各部屋にお湯を配るね」
「ちょっと他と違うことをやるのに、『足湯』を夜にしたらいいと思うんですよ」
「夜に身体を拭くのかい?」
「水桶に半分ぐらいのお湯をいれて、足だけ浸すんです。四分の一刻ぐらいの間でいいんですけど、身体が温まってよく眠れます。長く歩いた人の足の疲れも取れるし、寒さで凝り固まった身体もほぐれますよ。そのお湯に、タイムを一本入れてもいいですし。ダックワーズさんの薬草のストック、かなり量があって、びっくりしました」
「ああ、兄弟が国で薬草園をやっているからね。大市の時に、まとめて持ってきてもらっているんだよ」
「ノンヌさん、ちょっと足湯を試しませんか?」
そういってリンちゃんは、さっさと水桶にお湯を準備してくれて、私も支度をして足を浸したんだけれど。
その気持ちよさったら!
予備の毛布を膝からかけてくれて、少しぬるくなったらお湯を足して。
庭のスプルースまで採ってきてくれて、リンちゃんは働き者だねえ。
スプルースの香りがお湯から上がってきて、足だけなのに身体じゅう温まった気がするよ。
「気持ちいいでしょう?足は毎日良く働くから、ご褒美ですよ」
まだライアン様にも教えてない方法だっていうじゃないか。いいのかねえ。そんなのをやっても。
「だって、披露する機会がなかったんです。今度教えてあげようかなあ」
ああ、それがいいよ。私も今夜ダックワーズに用意してあげないとねえ。





