The howls / 声
居間の床にペタリと座り、夕食後のまったりとした時間を、リンは楽しんでいた。
シロの毛に指を突っ込んで撫でてやり、ついでに顔も押し付ける。暖炉は暖かく、傍らには一杯の茶があり、このままシロに頭を預けて寝れそうだ。
他の皆は厨房で食事中だろうか――――――。
ピクリとシロが顔を上げ、立ち上がり、リンの頭を落っことした。
「シロ、ひどいよ」
シロの様子がおかしい。
「あ、どこいくの!」
喉の奥でグㇽㇽㇽゥと一回唸った後、階段を駆け下り、正面のドアの前をうろうろする。
外に出たいのか、と、リンがドアを開けたとたんに飛び出し、喉をそらして遠吠えを始めた。おぉぉぉぉう、うぉぉぉぉうと数回、サイレンのように長く吠える。森からもシロの仲間だろうか、遠吠えが戻り、声が揃って辺りに響き始めた。
シュトレン達も外に出てきた。アマンドはリンの肩にマントをかける。
「シロが、突然飛び出して。仲間もそろって吠えているようで、様子がおかしいんです」
塔からも騎士が出て、森の様子をうかがっている。ライアンもその中にいた。
遠吠えをぴたりと止めたシロが、森の中に真っすぐに駆け入った。
「あ、シロ!待って!」
「森の木も、ざわざわと音を立てていますな。リン嬢ちゃま、家の中に入った方がええ」
ライアンがリンに近づいた。
「リン、家に入って、決して外にでてはならぬ」
「でも、シロが森に」
「シロはするべきことをしている。心配いらぬ。君はとにかく一歩も外にでるな。シュトレン、リンを頼む。フログナルド、大隊の三分の一を出す。工房の前後にも二名ずつ護衛を立てよ。シムネル、館とハンターズギルドに連絡を。私は騎士と共に森へ入る」
そう言い置いて、ライアンは周囲に指示をだしながら森へ向かった。
「リン様、さあ、早く家の中へ。恐らく森への侵入者です」
リンは思わず森を振り返った。
塔にも森の入り口にも火がたかれ、空に月がなくとも明るい。騎士やハンターも行き来して騒めいている。
応接室の窓近くに椅子を置き、張り付いて動かないリンに、ブルダルーがワインを温めて持ってきてくれた。シナモンにクローブが入って、スパイシーで、レモンの風味もついている。蜂蜜を多めにいれた、リンの好みの味になっている。
「ありがとうございます。師匠」
「ご心配なさらなくとも大丈夫ですよ、リン様。ライアン様は武官としても優秀です。王都の士官学院を、見事な成績で卒業されておりますから」
アマンドの言葉にリンはキョトンとした。
「ライアンは精霊術師だけでなく、騎士もするのですか?」
「いえ、どちらかというと騎士を従えるほうでございますね。立場はフログナルドの上官にあたります。士官学院は、まあ仕方なく、です。精霊術師ギルドのお偉方が、賢者見習いにお教えできるようなことはないでしょう、と精霊術の学校に入学許可がでなかったのです」
「精霊術師のトップに当たるだろう賢者見習いを拒否する、精霊術師ギルドですか。なんだかよくわかりませんね」
「見栄か保身かわかりませんが、私も当時は憤慨したものです。ライアン様は卒業試験を難なく合格されましたから、あながち間違いではないのですが。卒業したと同等の精霊術師資格だけは得て、その期間を士官学院に通われたのですよ」
シュトレンがリンの手から、空になったカップを受け取る。
「ですから、リン様ご心配なさらず、お休みになってください。アマンドがお仕度を手伝いますから」
ホットワインでも神経は落ち着かず、とても眠れる気がしなかった。
それでもリンは立ち上がり、言った。
「眠れません。何かをしていないと落ち着きませんから、工房で銅鍋を磨いてきます」
「銅鍋、でございますか?」
「ええ、厨房の鍋は師匠が磨いていますけど、工房のは気になっていたのです。最近私がよくお借りしていますし、この際ピカピカに磨き上げてきます。師匠、小麦粉とお酢、それから塩を少しずつ下さい」
三つを混ぜてペースト状にして、布に付けてせっせと鍋を磨くと、曇っていた銅赤色がきれいに蘇っていく。ひとり黙々と、十数個の鍋を磨いてすすぎ、乾いた布でふき取って、少し落ち着いた。
工房の窓から森を眺める。
「ドルー、森の精霊、オンディーヌ、サラマンダー、シルフ、グノーム、どうぞライアンを守ってください。どうか怪我なく帰ってきますように。皆が無事に戻りますように」
リンが鍋を磨いていた頃――――――。
恐らく敵意ある侵入者だろうと見当をつけて、騎士が三班に分かれ、森に広がっている。
ライアンとフログナルドは、森の北側を、ウェイ川に沿って遡っている。
「この真冬の夜に、土地勘のない森に侵入するのは、信じられませんね」
「ああ。雪に慣れている北の者だと思われるが、わざわざ月のない新月を選ぶのだ。森の騒めきを見ても、良くない意図しか感じられぬ」
「帝国の南への侵攻は、ウェイ川を押さえて海への道ができ、収まったように思えたのですが」
「最近のシュージュリーはよくわからぬ。侵略を繰り返した皇帝もすでに高齢だろう。皇帝の命なのか、違うのか、偵察なのか、他に意図があるのか、見極めが難しい。門外の難民にも怪しいものはいなかったのであろう?」
「はい。ですがトライフルも、エストーラからの難民は、村や村長の名前、地域の様子などの話から、虚偽を申しているような者はいないと判断がつくようですが、エストーラ以外の者も、少数ですがおります。そちらはたとえ虚偽であっても、トライフルにはわからないと」
「警戒をしながら、保護とは。難しいことだ」
遠くに近くに、イームズが吠え、連絡をし合っている。それだけでもまだ森が警戒中なのがわかる。
かなり深くまで来たころ、シロが前方に現れ、ついて来いというように先に立ち、案内を始めた。
「ここか」
そこには小さな焚火の跡が残され、複数の足跡が周囲の雪に残り、続いている。
「見よ。オークの枝だ。火をたくのにオークを折ったか。この国の者でないのは確実だな」
「ライアン様、この足跡を追わせます」
「多めに行かせろ。かなりの数がいる」
森のさらに奥から、騎士の吹く笛が聞こえた。顔を見合わせそちらに向かうと、小川の脇に火を燃やした跡がある。こちらは焚火跡にも、足跡にも薄く雪がかかっており、今日のものではない。
「イームズに案内され、発見致しました。さらにこの奥、上流にも焚火跡があり、近くにフォレスト・ボアが殺してありました。肉を取られず放ってあり、ハンターではないと思われます」
「侵入は今夜一度だけではない、ということか」
「奥から近づいてきているようですね。偵察にしてはおかしいです。人数が多そうですし、普通このような森の奥ではなく、街近くに入るでしょう。いったい何が目的なのか」
「この者達は、向こうでオークを傷つけたのだ。次には森へ立ち入ることもできなさそうだが、目的が知りたい。今から一刻と区切り、ここより奥へと広がって侵入の形跡を見つけよ。ここしばらく深い雪は降っていない。まだ他にあるなら見つかるだろう。一刻たったら帰還して報告だ。侵入者に遭遇した場合は笛を。無理はするな」
リンは応接間の暖炉前で、さすがにウトウトとしていた。いつもならとっくに寝ている時間だ。
「リン様、お戻りになられましたよ」
その声でパッチリと目が開き、入ってきたライアンと目が合う。シュトレンがライアンとフログナルドに、ホットワインを渡している。
「おかえりなさい。どうでしたか。シロは一緒では?」
「侵入者の痕跡はあったが、詳しくは明日また探る。シロには森であったが、警戒中だ。まだ、起きていたか」
「ええ。鍋をピカピカに」
「よくわからんが早く休め。願いは届いている。私は怪我もなく無事だ。それだけ言いにきた」
首を傾げた。
「シルフに言付けただろう?ちゃんと届いた」
確かに神に祈るように、無事を祈ったが、どうしてだ。
「シルフの加護があるもの同士なら、祝詞でシルフが風を鳴らして、声を届ける。君の場合は祝詞がいらないのであろう」
リンは真っ赤になった。
アレを本人に聞かれるなんて――――――。
この国では、独り言は精霊から隠れて言わなければならない、と学んだ日だった。
メモ:この銅磨きペーストはピカピカになります。口に入るものしか使わないので、鍋を磨いても安心です。
 





