Unexpected encounter / 思いもよらぬ出会い
長い一日だった。
いや、すでに二日目の深夜をまわる。
昨日の茶摘みから昼夜通しの製茶作業を見学し、楢橋鈴はそのまま朝八時半発のバスで梨山を降りて、桃園国際空港発羽田行きのLCC最終便に乗りこんだ。
ローコスト キャリアは制限も多いけれど、今回みたいに最終日に山から降り、その足で飛行機に乗りたい場合には助かる。比較的不便な早朝や深夜発着の便もでているからだ。
長時間、ガタガタと揺れ、蛇行しながら下るバスに耐えた後の飛行機移動。
体力的にきついけれど、途中で一泊することなく家まで帰りつける。
満月でいつもより明るい道を、家をめざして少し前かがみに歩きながら、今回の旅を振り返る。
秋摘み、冬摘みの茶葉を仕入れに数か国を回り、最後が台湾だった。ほとんどの茶葉は別途郵送してもらったけれど、年末商戦用に少しでも多く欲しいからと、欲張ってぎっちり詰め込んだバックパックが背中にのしかかっている。空港で量ったら十七キロあった。茶葉もコンパクトにまとめて詰めると、けっこう重い。
「リンじゃなくて、カバンが歩いているよ」
背負うとリンのお尻の下まで隠れるカバンに、陳さんは笑った。
薄手のダウンコートの上からストラップが肩に食い込み、痛みを感じていても、寝不足で頭がフラフラとしていても、大満足の仕入れにニンマリとしてしまう。
ショップの常連さんの好みを考えながら、早速明日にでもショップサイトにあげないと、と考えながら家まで来た。
アパートの前にある古木に片手をつき身体を支え、背すじを伸ばし、ジーンズのポケットの鍵を探ろうとしたとたん、目の前がふらりと揺れる。
さすがに疲れていた。気の抜けない仕入れ旅の最後に、徹夜と移動はきつかった。
まずはゆっくりお風呂に入って、お茶を一杯飲んで、さっさと寝なくちゃね、と頭をあげ、あるべきものを見失ってしまった。
月の光が強いので、かろうじて真っ暗ではない。その中でみても、なにも見えない。いや、見えてはいるけれど、見えるはずのものがないのだ。
目の前にあったアパートが見えない。街灯も消えている。
薄ら白い闇の中に黒い木立が続き、アスファルトだったはずの足元には、うすく雪が積もっていた。
頬に当たる風も痛く感じて、リンの吐く息もだいぶ白く濃い。
鼻に冷気が入り、ツンとした。
「ここ、どこ……?」
そびえ立つ大木に手をついたまま、ほんの少し前に足を出した途端に、叩きつけるような低い声が聞こえ、前方の闇から浮かぶように、目立つ人が現れた。
精霊術師であるライアン・キース ウィスタントンは、秋分から春分の日までの半年の間、月に一度、満月の夜に森で時を過ごす。
ウィスタントン公爵が治めるこの地は、フォルテリアス王国の北東辺境に位置しており、公爵領は同時に辺境伯領として、国境線を守る重要な役目を担っている。
その領地は広いが、人は少なく、大半は森で覆われているのではないか、と、他国に揶揄されるほどである。
領都であるヴァルスミアのはずれも、そこはもうヴァルスミアの森と呼ばれる大森林で、この国の建国当初から神聖視されてきた場所だった。
今ではこの地を辺境と呼ぶが、フォルテリアス王国はこのヴァルスミアに礎を置き、森の精霊の力を借りて南に広がっていったという。
領民でさえその森の果てを見たことがないという程の深い森は、自然の要塞だ。
敵は惑わせて通さず、領民には豊かな水と大地の実りの加護を与えるといわれ、大切にされてきた。領地の半分が森であってどこが悪いんだ、と、この地に住む者なら言うだろう。
その森の中、オークの木の精霊であるドルーの聖域にある湧き水で、月の光を『水の石』に取り込み『水の浄化石』とする、精霊儀式が行われる。
秋から春の満月の夜、そして幸運にもその日に空に雲がかからなければ、という条件で。それ以外の季節には、湧き水まで光が落ちてこないのだ。
この地では森のご加護もあって、水は清く、浄化の必要もないが、フォルテリアス国内でも場所によっては『水の浄化石』を必要とする領地がある。他国ではもちろんだ。
清き水のない場所に人は住めない。
だからこの石は国内・国外に輸出され、領にとっても、国にとっても生活の基盤であり、また重要な通商材料でもある。
十一月の満月の今宵も、ライアンはひとり森に入った。
護衛をつけるように言われるが、どちらにしてもこの聖域にはライアン一人しか入れないのだ。
夜に溶けるような儀式用のネイビーブルーの襟の高いマントは金の縁取りがされ、左腕の辺りにウィスタントンの紋章が刺繍されている。オークとヤドリギの枝が交差し、四大精霊と王冠が描かれた紋章は、この地の起こりをよく表したものだ。
足の甲を覆うほど長い、ベルベットのような艶のあるマントの肩に、ライアンのシルバーにも見えるプラチナブロンドの髪がかかり、揺れる。
「オンディーヌ、シルフ、私の髪で遊ぶんじゃない。いつも言っているだろう?」
ライアンは精霊に呼びかけた。
精霊はライアンの光輝く白銀の髪が大好きで、結わえて留めると引っ張ってはずしてしまうし、髪の上を滑っては遊び、引いては飛び降りる。
精霊に気に入られているため、むやみに切ることもできない髪だ。一度自分でざっくりと切ったときには、精霊にすねられて街中がひどい目にあった。
少しくせのある髪は胸の前まであって、儀式の時には留めていないと邪魔だが、精霊のご機嫌のためだけに髪はくくらずに流している。
……非常にうっとうしいのだが。
湧き水に、水の石と、ヤドリギのギィの枝、この地に咲く五枚の白い花弁の花を沈め、祝詞を唱えはじめた。
ライアンのテノール声が聖域に響く。
「夜の闇に天の女神の光遍くいきわたり、そのお力を示されんことを。水の精オンディーヌよ 浄化の光を心に取り入れ、清冽な水の加護をもたらされんことを。アウレア クラルス テネブラエ コンキリオ アニムス アルカヌム アド アルヴェス アクア プーラ……」
水の精霊が月の光の中で遊び、踊り、水をかき回し、ギィの形を水の石に取り込んで浄化の石ができるのだ。祝詞と共に湧き水が輝き始め、今夜の月光のような白い光が周囲に満ちた。
ライアンは、ふと結界の中に、自分以外の知らない誰かの気配を感じて、緊張した。
「どういうことだ」
 





