Kouglof ’s past / クグロフの過去
二度目の社交儀礼の講義が終わったあと、リンはギルド長室で、オグと一緒にクグロフの到着を待っていた。クグロフから、注文がいくつか出来上がったので納品とご相談を、とのことで、ライアンとオグに同席してもらって確認するのだ。
「リン、今日の講義はどうだった?」
「そうですね……。私、不格好でした」
「ぶふっ、不格好ときたか」
立って歩くだけでも、視線の向け方、頭の位置、と、注意するところがたくさんあった。それを気にしながら歩くと肩や腰に変に力が入り、とても滑らかに歩くどころではない。
「まだ肩がこわばっている気がしますよ。先生も笑っていらして、家で練習の課題がでました。次回は、今日習った姿勢で座ってお茶を飲む、です。私のお茶を持ち込む許可をいただいたのですが、お茶の味はわからなくなりそうですね」
「貴族の女性は、よくお茶会という名の、ゴシップ会をしてるもんな」
「ゴシップ会。恐ろしいですね。行きたくない場所です」
エクレールあたりがこの発言を聞いたら、目が吊り上がりそうだ。オグ視点の女性のお茶会のイメージなのだろうが、リンにしても持っているイメージに大差はない。お茶を飲んでそのお茶について語りあう、なんていうのは同業者しかいない。大抵盛り上がるのは、恋バナとゴシップだ。
「クグロフが力を入れて作っていたみたいだから、ブラシは楽しみだな」
「ええ。私もクグロフさんにお願いしたいことがあったから、ちょうど良かったんですよ」
「またブラシを増やすのか?」
「違いますよ。精霊の加護石をライアンにもらったので、それの加工です」
「お、精霊術師の講義が始まったか。しばらく大変だな。俺も苦労した」
「すでに古語でつまずいていますよ。加護石の出番がまだ先になりそうなので、加工を先にお願いしようと思って」
家の応接室でクグロフが並べた木工製品は、どれも見事な出来だった。
リンが一番驚いたのが、クグロフが作ったことがない、といっていたブラシだ。
木皿と籠はどちらかというと、手作りの温かみがある、素朴で実用的なものだ。ブラシはシンプルだが、柔らかな曲線を描いた、優しい仕上がりになっている。リンの手のサイズで作ったからか、どこか女性的だ。
オークを丁寧に削り、オーバル型につくられた背の部分は滑らかに磨かれ、ブラシ部分は猪の毛がしっかり、きれいに入っている。穴に角度をつけるのが苦労するだろう、といっていた部分もうまくいったようだ。
「いくつか試作を繰り返しまして、やっと納得のいくものができました」
クグロフも頬を緩めている。
「これでよろしければ、仕上げをして納めさせていただきます」
「仕上げといっても、今のこの状態で完成でもいいぐらいじゃないですか?」
実は装飾を入れたいのです。こちらをご覧いただけないでしょうか、と、丸めていた一枚のデッサンをクグロフは開いて見せた。
花弁の大きな、白い花が数輪描かれている。
「これは、フォレスト・アネモネか?よく描けている」
ブラシの背の部分に、この花を白と金で描きたい、とクグロフは申し入れた。
「私のいた街は、ここのようにすぐ近くに森があって、三月には一面に白い花を咲かせたのです。父の工房の印章にもなっておりました。花弁は大きく華やかで、それでいて色も白く慎ましやかで、可憐で女性らしい細工のモチーフとしても、よく使っていたのです」
クグロフの父は、シュージュリーに侵略されて今は存在しない国だが、エストーラ公国の大公お抱えの金細工師だったという。
「エストーラの職人は装飾品にしろ、家具にしろ、繊細で優美な細工が巧みと有名であった。周辺諸国の王族にも顧客がいたはずだし、この国の王都の職人も留学していたのではないか?」
「はい。ボスク工房といい、そちらは年の離れた兄が継いでおりました。私は同じお抱え職人でも、最終的に家具製作の方へ進んだのです。繊細な絵柄や金細工は兄の方が得手なのですが、私もこのフォレスト・アネモネは、それこそ小さい頃から描いてまいりましたので」
「ヴァルスミアの森も、春にはこの花で白い絨毯を敷いたようになる。森の春を象徴するような花だな。クグロフ、この花の花弁を、六枚から五枚に変えることは可能だろうか」
「もちろん、可能でございます」
「この森の中でも、なぜか聖域に咲くものだけは花弁が五枚になるのだ。夜空の星が地上にある、と言って精霊がはしゃぐ花で、儀式にも使う。リン、どうだろう。君のブラシの背に描いてもらってもいいのではないかと思うが」
クグロフにとって、この花は帰れない故郷の、思い入れのある花なのだろう。聖域にある花なら、入れてもらうのもいいかもしれない。実際、きれいだ。豪華なブラシになりそうだが。
「お願いします」
ライアンもクグロフにうなずき、クグロフの描いた花をみながら、ため息をつくと続けた。
「フォレスト・アネモネは、なかなか株が増えない花だ。これが一面に咲くということは、エストーラの森が古い森で、平和に大切に守られてきた証拠だ。そのような国が戦火に荒れ、今は存在しないとは、なんとも言い難い。……父と兄の消息はわかっているのか?」
「父はあの日、エストーラ大公への納品のために、国都へ向かいました。そこにシュージュリー軍が攻め入ったのです。大公の館は焼き払われ、父の消息は不明ですが、助からなかったのではないかと思っております。兄は材料の調達で国から離れておりました。国を離れる際、避難先を書いて残しましたが、その街からも追われここまで参りましたので、会えておりません。こちらに着いてから兄が材料を求めにいった先にも知らせをやりましたので、いつか会えると願っております」
相談があるということだったが、と促されたクグロフは、オグと目を見かわし、ブラシを製作して販売をしたい、という希望を伝えた。
「リン様からご依頼いただいたブラシは、素晴らしいものだと思います。作り方によっては、平民はもちろん、貴族の方にもお喜びいただけるような品になるかと思います」
オグがうなずき、あごひげを摩りながら言った。
「貴族向けは受注生産だろうが、春の大市で売れるようにしてやりたいと思うんだよ。街にとっても冬の仕事になる。ハンターはフォレスト・ボアの肉だけでなく、毛も売れるようになる。試作用の木片の調達で、街の木工ギルドにも協力を依頼したが、今後も続けて仕事をだせる。ウィスタントン領の新たな製品としたい、って言っていただろう?」
「ああ。十分すぎるほどのできだと思う。うまくいけば、街と城壁外の民の交流にもなるな。城壁外の民に、生活できる仕事をと思うが、街の者にも利があるようにできるのなら軋轢もないだろう」
「はい。技術に合わせて、うまく仕事を割り振れると思うのです。それで、あの、差支えなければ、製品にリン様のお名前を付けさせていただければ、と」
静かにきいていたリンは、突如話に飛び込んできた自分の名前に、目を見開いた。
「え!私?!なんで私?!」
「新たな製品に開発者の名前を付けるのは、よくあることでございますし、エストーラでも、大公妃様のお名前をいただいた、エリーザというご愛用の小物もございましたから」
作っているのはクグロフで、ましてや大公妃様の名前とリンを一緒にされてはかなわない。
「いえ、それは恥ずかしすぎるので、却下です。作っているクグロフさんの名前を。クグロフさんの苗字がボスクなら、クグロフとか、ボスクとかでいいんじゃないでしょうか」
あと、少し聞いていただきたいことがあるんですが、とリンは自分の考えを話し始めた。
「このブラシの柄の部分に、ボスク工房のフォレスト・アネモネの印章を刻んだらいいと思うんです。ブラシはどこでも取れる素材を使うから、きっとすぐ他でもつくられるでしょう?その時印章があれば『エストーラの高い技術を持つ、あのボスク工房の者がつくったブラシ』だって、区別されると思うんです。実際このブラシの仕上がりは美しいですし。そこにフォレスト・アネモネは、実は精霊にも愛される花だって一言添えれば、加護があるとはいかなくても、ウィスタントンらしい製品になるでしょう?ブラシを愛用する女性が、広げてくれそうな話だと思うんですけど」
それは城壁の外にでてから、どうやったら仕事をつくれて、どのように売ったらいいかと、ずっと考えてきたリンらしい意見だった。
「それに春の大市には、この国だけじゃなく、他国の商人も来るって聞きました。『ボスク工房の印章をつけた、木工製品のブラシ』を商人が運んでどこまでいくか。お兄さんが見たら、クグロフさんの製品だって、すぐわかると思うんです」
きっとお兄さんを早く見つける、手助けにもなると思うんですよね。だからいっぱい売りましょう、と言うリンの言葉を、クグロフは唇を引き結んで聞いていた。そうでもしないと嗚咽がでそうだった。
この地にたどり着いたのは、ここの皆が言う精霊の加護があったのだろうか。
「あの、それでしたら、ボスク工房の印章を、六枚から五枚の花弁のフォレスト・アネモネにさせていただきたいのです。この地だけに咲く花を印章にして、エストーラではなく、新たにこの地、ウィスタントンのボスク工房としてありたいのです」





