番外:未来へ繋ぐ
遅くなりました。
とうとうこの日を迎えた。
リンはドレスに着替え、部屋でひとりその時を待っている。
午前中から慌ただしく、入浴にマッサージ。昼食を控えめに取り、少し休んでからアマンドやレーチェ、館から派遣された侍女たちに取り囲まれてヘアメイクに着替え。
自分で言うのもなんだが、今までで一番美人に仕上がっている。
鏡を見てリン自身が驚いたぐらい、ばっちりだ。
屋内は静かで、表の喧噪がよく聞こえてくる。
先ほどから馬車の音が続いている。工房の少し手前で停まり、列席者を吐き出しては戻っていく。
それを聞きながら、この一か月の騒ぎをリンは思い出していた。
リンがやったことと言えば、ライアンと一緒にアルドラや王太子にシルフで連絡をとったことと、温泉に持っていく茶葉を選んだことぐらいだったが、当然のことながら周囲は大変だった。
各地への連絡に始まり、列席者の調整に挙式と宴の準備。
ひとつ良かったことは、大市の最中だったことから、ある程度招待客をもてなす準備ができていたことだ。リンの食事処と菓子処はそのまま残されて、招待客に楽しんでもらうことにした。
大変なのは、空っぽだった温泉地もそうだ。
衣類や食料、生活用品を運び込むのに、信頼のおけるハンターも動員された。オグ自身もヴァルスミアと温泉地を数往復したらしい。
「ついでに庭も仕上げたぞ。設計図通りにな」と言っていたから、見るのが楽しみだ。
そんな忙しく、でもどこか浮かれた空気の中、発覚したのは、ライアンは本当に二人だけで温泉地を訪れるつもりだったらしいこと。
「せめてアマンド、シュトレン、ブルダルーは連れていけ」と説得され渋っていたようだが、「温泉ではなく離宮に滞在し、数日に一度来るぐらいで良い。最初の三日は顔を出すな」と条件をつけて了承したらしい。
「すまない。せっかくの新婚旅行が」と、しょんぼりと戻って来たライアンはかわいかったし、リンが話した異世界での結婚を再現してくれようとしたことも嬉しかった。
「み、み、み、三日って宣言しちゃったの⁉」と嬉し恥ずかしい思いもした。
リンがあれこれを思い返していると、階段のきしむ音がして、扉が叩かれた。
◇
シュトレン、フログナルド、シムネルを従え、ライアンは森の前でリンを待っていた。
「リン」
「ライアン」
お互いに見つめ合ったまま、続きの言葉がでない。
ライアンが最初に息を吐いた。
「……ああ、リン。父上が母上を称えるようにはいかないようだ。言葉にならない」
「……私も同じです」
ウエディングドレスはやっぱり白がいい、とリンは願った。
普段ドレスにあまり意見のないリンの願いを、レーチェは大喜びで聞き出して行った。
上品なAラインのドレスは、豪華な刺繍と軽やかで繊細なレースで美しく飾られている。モチーフはリンの花、五枚花弁のフォレスト・アネモネだ。
ブラマンジェレースのトレーンが足され、長い裾を引いている。ブーケは精霊が保存したフォレスト・アネモネで、オークの枝が添えられた。
ライアンは光沢のある薄いグレーを選んだ。
ジャケットは金糸、銀糸の刺繍が見事で、胸元にフォレスト・アネモネを一輪飾っている。
頭上の冠はドルーが気前よく落としたオークの枝で、その葉は秋を迎え黄金色に輝いている。もうひと月経つが、色褪せず、葉が落ちもしないので、これにもなんらかの力が働いているらしい。
二人とも背にはネイビーブルーの賢者マントを羽織っている。リンのトレーンとは少しバランスが悪いのだが、さすがに屋外をマントなしで歩くには寒すぎた。
「月の光に白く輝くフォレスト・アネモネの精のようだ。美しく、清らかで」
「うう、ちゃんと言葉にできてるじゃ……」
「全く足りない。健気で、可憐で」
「ええと、その、……ありがとう。ライアンもとてもかっこいいです。オークの冠も似合って、森の王みたい」
ふっとライアンが笑みをこぼした。
「リン、正解だ。ライアン・キースと言う名には『小さき森の王』という意味がある。賢者となる私に、この国の礎であるヴァルスミアの森を守るという意味で、父上がくださった名だ。……行こうか」
ライアンがリンにエスコートの手を差しだした。
森の小道は案の定、精霊が力を揮ったようだ。積雪は吹き飛ばされ、薄い雪の絨毯を敷いている。
森に入ってすぐ、リンは気付いた。
「あれ、森の中の方が暖かい?」
マントを着ているとはいえ、もともとは夏に着る予定だったドレスだ。
小道の両脇に篝火が並んでいるとはいえ、ここまで暖かいものだろうか。
「新しい『温風石』はなかなかいいだろう?」
「ふえ? あ、ここにも? 凍える覚悟はしてきたんだけど……」
顔を上げて辺りを探すと、ライアンと目があった。
エスコートの手がぎゅっと握られ、引き寄せられる。
「大事な花嫁を凍えさせるわけにはいかない。心も身体も温めないと」
「んんん――――⁉ ライアン、ちょっとは手加減してっ!」
耳元でささやかれた言葉に、リンの頬に血が上った。
見下ろすライアンは楽しそうだ。
「くくっ。慣れないな、リン。色づく頬は愛らしいが」
「甘々がパワーアップしてるじゃないですか。さらりと受け流せるようにがんばってるのにっ」
「愛しき女性にさらりと流されてしまうのは悲しいが」
「だから、そういうとこですよっ」
以前にも増して仲の良い二人は、騎士たちが並ぶ間を抜け、聖域にたどり着いた。
聖域を人が幾重にも取り囲んでいる。
一番外周はヴァルスミアの人々。スぺステラの村人の顔も見える。知った顔がニコニコとしているのを嬉しく思いながら近づけば、人々は一斉に頭を下げた。
その内側は各地の領主たちだ。夏の大市や社交で話をして、ここにも見覚えのある顔が並んでいる。
聖域に一番近い場所にウィスタントンの領主家族が並んでいる。その横にタブレットもいた。秋の滞在をひと月延ばしてくれた。
反対側には国王と王太子夫妻だ。
揃って王都を離れていいのか確認したら、王都よりヴァルスミアの聖域の方が大事だとかなんとか。どちらも留守番をしたくなかったので、こうなったらしい。
繁みをぐるりと周って聖域に入れば、ドルー、アルドラ、シロが待っていた。
「おお、きたか。どうれ、ふうむ。番となるのがわかるのう。二人とも良き気をまとい、輝いておる」
ドルーが嬉しそうに声をかける。
「ドルー、人はそれを婚姻を結ぶ、夫婦になるというのですよ」
聖域の中にも篝火が焚かれ、ネイビーブルーのカーペットまで敷かれている。
トレーンの端をアルドラが受け取り、綺麗に広げておろしてくれた。
「ドルー、本日はありがとうございます」
「始めるかの?」
リンとライアンがドルーの前に立つと、ドルーはぐるりと周囲を見回した。
「古に我はヒトと友誼を結び、ヒトが今も変わらずここにあることを嬉しく思う。大地の慈愛に託された種は春とともに芽吹き、遍く注がれる光と雨によって夏に勢いを増す。秋には次代へ繋ぐ実を結び、冬となれば実が落ち種となり、また眠るように地へと環る。終わりは始まり。我らもヒトも同じじゃ。これを繰り返し、命を次代へと繋ぐ。……そしてここに新たに後の世へ命を繋ぐ二人がいる」
ドルーがリンとライアンに向き直った。
二人は向かい合うように立ち、互いの手を取り合う。
「私、ライアン キース ウィスタントンと」
「リン ナラハシは」
「「良い時も悪い時も 富める時も貧しい時も 健やかなる時も病める時も 互いを愛し、敬い、慈しみ、死が二人を分かつまで共にあることを誓います。そして加護をいただいた精霊とともに、次代へ渡すまでこの地を守り続けることを誓います。フォルテリアスは、これからも精霊とともに」」
「うむ。この地は古より祈りと誓いの場じゃ。我もヒトも共に祈り、誓い、思いを後世に繋いで共に歩んできたのじゃよ。これから先も共にあろうぞ。我らの祝福と加護をオーリアンとリンへ。そして愛しきヒトへ」
ドルーが右手を二人の前に掲げた途端、森が震えた。
そうとしか表現ができなかった。
ぶわりと精霊たちが舞い上がり、飛び回る。吹き込む風に浄化の炎は揺れ、水は波紋を残し、苔むした樹木の枝が背伸びをした。枝葉に積もった雪が落ち、森に白いベールを掛ける。
「うわあ」
聖域を中心に木々が蠢き森の隅までドルーの意思が通り、それを見届けるとドルーはライアンとリンに包みこむような笑みを見せ、それからすっと姿を消した。
それはこの場の全員が、普段精霊を目にすることがない者も、目にし、耳にしたらしい。
「おお……!」
「あれが精霊か!」
「私にも見えておりますわ」
「まあ、なんて神秘的な」
「ありがたや。ありがたや」
ある者は跪き、ある者は呆然と辺りを見回し、またある者は涙を流している。
リンとライアンも手を取り合ったまま森に力が漲るのを見ていたが、ライアンが慌てだした。
その視線の先はリンの背後だ。
振り返れば、精霊たちが広がるトレーンを滑り降りている。
「あっ!」
上から落ち、そのまま転がり落ちたのが楽しかったらしい。
次々と振るように落ちてくる。
「そこで遊んではならぬ! 少しでも布を傷つけようなら、わかっているな?」
ライアンがトレーンを持ち上げれば、遊んでくれるのかとさらに落ちてくる。
「あああ、飛び跳ねないの! もうトランポリンじゃないんだから」
「まったく、挙式が終わったからいいようなものの」
「ここまで静かだったから油断してました。あっ、シロ、噛んじゃダメ! グノーム? サラマンダー? その子をペッしなさい!」
列席者からクスクスと笑い声が聞こえた。
精霊が飛び、森が蠢く様子に心を奪われていたのだが、賢者たちの周囲から厳かさや神秘的な雰囲気は消し飛んでいた。
「今まで見えなかったが、いつもあの様になっておるのか……」
「あれならお兄様たちが困惑するのもわかりますわ」
「……ライアン、リン、先に行っておるぞ」
領主の合図を先頭に、列席者が一礼して帰っていく。
「やれやれ。二人の精霊は相変わらずだねえ。さ、私も先に行くよ」
アルドラは聖域を出ると、待っていたオグと一緒に歩きだした。
「ありがとうございました。なるべく早く向かいます」
「ご列席ありがとうございました」
リンは丁寧に頭を下げた。
静けさを取り戻した聖域で、リンは湧き水にフォルト石を沈めた。
挙式の後そのままライアンと二人で残って『水の浄化石』を作っている。終わり次第、館で催されている披露の宴に参加する予定だ。
主役が遅れていいのかと思わなくもないが、『浄化石』の作成は賢者の重要な役目でおろそかにはできないし、食べて、飲んで、どうせ自分たちが意識されるのは挨拶の時ぐらいだ、と言われて納得した。
まあ、今夜は月に雲がかかりそうで、たいして遅れずに向かえるだろう。
リンがふふっと笑みをこぼした。
「これ、二人の共同作業ですね」
「ああ、まあ、そうだが……?」
ライアンにはリンの意図したことがわからない。
「あちらの披露の宴では『ケーキ入刀』って言って、新郎新婦が二人で一つのナイフを持ってケーキを切るんです。『これが夫婦初めての共同作業』ってね。私たちはケーキじゃなくて『浄化石』をつくるんだから、賢者らしい共同作業です」
「ふむ。ケーキ入刀とやらもできるんじゃないか? ブルダルーと特別なケーキを考えていただろう?」
「ええ。つくりましたよ。ホールの後ろからでも見られるような高さのあるやつ。うまく守られれば入刀儀式もできるかもなんですけど……」
「守られるとは?」
「んー、精霊が突っ込まなければ。生クリームに落ちちゃった子がいたんですけど、どうやらそこから生クリームは甘いと知られたみたいで。お試しで半分ぐらいの高さのを作ったんですけど、見事に頭からずぼって」
リンは片手の指先を、もう片手に打ち付けるようにして見せた。
「一応対策として、精霊用に一回り小さいのを作ったはずです。でも、ほら、師匠は見えないから守りようがないし。厨房に風の術師はいますけど、シルフ以外の子は言うこと聞きませんからね。シルフだって突っ込みたいでしょうから」
「シルフ、精霊どもに知らせよ! ケーキには許可があるまで触れるなと!」
シルフも周囲の精霊も、プイッと顔を反らした。
ライアンは精霊をじっと睨み上げている。
リンはふうとため息を吐いた。
「ちゃんと皆の分もあるんですよ? 後であげますからね」
精霊たちが顔を見合わせた。あと一押しだ。
「でも突っ込んだら、ケーキダメになっちゃうからなあ。皆にあげられなくなっちゃう。残念ですね、ライアン」
「ああ、そうだな」
リンが視線をチラリと向けると、シルフが慌てて飛んでいく姿が見えた。
難しかった。
ドルーの意識を語るには私はまだ若すぎて。
あと1000年ぐらいたたないと。





