番外:挨拶
エピローグのすぐ後。
王都に連絡が入る前の話です。
「緊張してきました……」
館の門を馬車がくぐってから、リンは左手を握ったり開いたりしている。
ちなみに右手は、並んで座るライアンに取られたままだ。
「何度も来ているのに」
「全然状況が違います。け、結婚の許しを貰いに行くんですから緊張も特別です」
リンの口から結婚という言葉が出て、それだけでライアンの心はシルフのように舞い上がる。
現実を確かめるように、つい握っているリンの手を指でさする。
「許しもなにも、大歓迎されると思う」
「そうでしょうか」
「ああ。どちらかというと、待ち構えているだろうな」
ライアンの脳裏に、大騒ぎをしそうな家族の顔が浮かんだ。
それにも緊張したらしく、はあ、とリンはため息を吐いた。
「それに緊張というなら、私の方が大変だったと思う」
「最後は頷いてくれましたよ?」
「それまで動かずにじーっと見ていただろう? 『俺への挨拶はどうした』と言われてる気がした。あの緊張感はない。最後の頷きも、あいまいな感じではなかったか?」
話しているのはシロのことだ。
聖域のドルーに結婚の報告に行った。ドルーの姿はなかったが、シロがやってきた。
そのシロがライアンの前に座り、じーっと見つめて動かなかったのだ。
ライアンはシロを相手に背すじをピンと伸ばし、それはもう言葉の限りを尽くしてくれた。側で聞いているリンが恥ずかしさに震えるほど。でも、ライアンの気持ちがよくわかって、リンは幸せでふわふわとした気分にどっぷりと浸かっている。
「まあ、シロにはこれからもわかってもらえるように努める。……あとはアルドラだな。最難関だ」
「ふふっ。アルドラだって喜んでくれると思いますよ? まずその前にご家族です」
館では、まず出迎えたセバスチャンに無事を喜ばれた。
「リン様、ご無事で本当にようございました」
「ご心配をおかけました」
「父上と母上は?」
「家族のサロンに。皆様そろってお待ちでございます」
セバスチャンの後ろには、館の使用人が並んでいる。
シュトレン、シムネル、フログナルドがほっとした顔を見せ、アマンドはもう泣きそうだ。ブルダルーまでが厨房から出てきている。
「皆さん、本当にご心配とご迷惑をおかけいたしました」
「迷惑などと、とんでもない!」
「ご無事でよかった」
「お顔を見て、ほっといたしました」
口々に声がかかり、それに頭を下げて礼を言う。
「行こう」
「はい」
ライアンの手に背を押された。
「お!」
「まあっ!」
「きゃ……」
「しっ!」
ざわりした気配に後ろを振り返ると、並ぶ使用人が一斉に頭を下げる。
それに頭を下げ返して、リンは執事の案内に従った。その後ろで囁かれる声は聞こえずに。
「おい。見たか?」
「もちろん」
「手が腰、手が腰っ!」
「前より距離が近いわよねっ!」
「抱えこまれるようだったじゃない?」
「まだ昨日のお疲れが抜けていないのかも……」
「違うわよ! ライアン様の視線、甘いじゃない! リン様から外れなかったわ~」
◇
家族のサロンには、ウィスタントン公爵夫妻に、ギモーブ夫妻、それからシュゼット、と全員が顔をそろえていた。
「来たかっ!」
「シュトロイゼル様」
待ちかねたウィスタントン公爵が立ち上がり、カリソンになだめられてまた腰を下ろした。
「父上、母上、リンが無事に戻りました」
「この度はご心配とご迷惑をおかけ致し……」
リンが挨拶を述べる前に、シュゼットが飛びついた。
「リン、ああ、リン。良かったわ。本当に心配していたのよ! どこも怪我はしていない? ああ、良かった」
シュゼットはリンに抱き着き、ふと離れて顔を見て、またぎゅっと抱きしめた。
無事を喜んでくれるその姿に、リンもそっとシュゼットを抱きしめた。
「ありがとうございます。ええ。怪我はなく」
「もう。ライアン兄さまったら、皆で心配していたのだから、館へ連れてきてくだされば良かったのに!」
シュゼットは今度はライアンを見上げて、文句を言う。
「リンが疲れすぎていてね。休ませる判断をした」
「あら、本当に休ませた……」
「さあ。ライアン、リン、こちらへ」
シュゼットの言葉を遮って、待ちきれなくなったシュトロイゼルが招いた。
サロンで出されていたお茶は、リンが公爵に販売した紅茶だ。
カップから薔薇の香りがふわりと香る。
香るはいいが、どうやらライアンは甘々継続中らしい。ライアンの左手が自分の右手を探しに来た。皆の前でと内心焦るが、ここで振り払うのも違う気がする。
あちらこちらからチラチラと視線が飛んでくるのを無言で耐え、お茶の華やかな香りを楽しんだ。
「本当に、顔を見てほっとしたわ。無事で良かった」
「今日は顔色がいいね。安心したよ。昨夜は今にも倒れそうで。その、なんだ。昨夜はゆっくりと休めたかい?」
「ギモーブ様っ」
不用意な質問を繰りだしたギモーブの袖を、妻のケスターネが引っ張る。
ライアンが、邪推をしてオグを送りこんだ次兄を睨んだ。
「はい。家に戻ったら安心して、ぐっすりと。寝過ごしたくらいで」
「そうか」
ライアンがカップを置いた。
チラリと視線を流され、リンも姿勢を正す。
「父上、母上。ご報告があります。私とリンは、これからの人生を共に歩むことを決めました」
ライアンがそう口にした途端、サロンにいた全員が息をつめた。
一言も逃さぬよう、カタリとも音を立てない。
家族はもちろん、壁際に並ぶセバスチャンをはじめとした使用人たちも、壁と一体になろうと気配を消した。
「ドルーへの報告を済ませ、聖なるオークの一枝を賜っております。……シロにも理解を得ました。ぜひ、父上、母上にも、我々二人の結婚の許可と祝福をいただきたく」
ライアンがすっと頭を下げ、リンもそれに倣う。
その途端にサロンじゅうの雰囲気が緩み、わあっと爆発した。
まず立ち上がったのは父であるウィスタントン公爵だ。
「でかした、ライアン! そうかっ! そうかっ! 結婚か! そうか、其方にも……!」
「ライアン、リン、おめでとう。良かったわ。……本当に、良かった」
公爵夫人カリソンは、涙ぐんでいる。
「ライアン、いやあ、良かった~。おめでとう!」
「お兄様、リン! 嬉しいわ。リンが義姉になるのね」
「ライアン様、おめでとうございます」
「「「おめでとうございます」」」
「ああ、このようなお姿を見られる日が来るとは……!」
「良かったなあ。良かったなあ」
家族は立ち上がってライアンとリンを抱きしめ、使用人も喜びを爆発させている。
涙をこぼすものもいるが、皆が笑顔だ。
リンは皆からの祝福に心から安堵した。
興奮が冷めやらぬまま長椅子に落ち着いて、茶が入れ替えられた。
今度はたぶんマチェドニアの茶で、ちょっと渋みがある。添えられたのは。バターたっぷりのスイートポテトは滑らかで、これがまた茶によく合う。
「それは無理であろう」
どうやら中には、栗も入っているようだ。
リンが茶と菓子に集中しようとしているのは、目の前でライアンが家族と言い争っているからだ。
「さすがに来年夏至の婚儀は早いのではないか? 準備が間に合わぬであろう」
「そうですよ、ライアン。結婚の準備には時間がかかるものです。それに、新生活を楽しみに一つ一つ揃えていく、その準備期間もまた楽しいものなのですよ?」
公爵夫妻が言えば、シュゼットも応援する。
「そうですよ。お兄様。来年の夏は私の婚儀を司ってくださる約束ではありませんか。お兄様とリンが一緒に結婚したら、小さい頃からの約束はどうなるのです?」
「其方とフロランタンの婚儀は、夏至ではなく、夏の王都だろう? 問題ない」
「まあ! お兄様の婚儀も王都になるでしょう? 賢者二人の結婚式なのですよ。お披露目をしないわけにはいかないでしょう?」
「披露目はする。夏至にはアルドラに来てもらって、我々は聖域でドルーの前で婚姻の儀を行う。其方たちの婚儀は、予定通りに夏、王宮の始まりの一枝の前だ。私が執り行う。その後、披露目だ。それで問題ないだろう?」
再来年以降が良いのではという家族の薦めにも、ライアンは首を縦に振らない。
「なんだか私たちの披露目に紛れて、お兄様は適当にごまかしそうですけど……」
シュゼットがライアンをチロリと睨む。
「なんだ、ライアン。其方それほど婚儀が待てぬのか」
公爵がニヤリと笑ってライアンをからかえば、ライアンは真面目な顔で頷いた。
「もちろん。冬至でもいいと思っているぐらいです」
「冬至だとっ⁉ 今年のか? あとふた月もないではないかっ!」
「まあっ! そこまでっ?」
公爵は目を丸くし、シュゼットはなぜか嬉しそうだ。公爵夫人は額に手を当て、首を横に振っている。
リンは思わず隣のライアンを見上げ、スイートポテトの大きい塊を喉に詰まらせた。
慌てて胸を叩いていれば、ライアンが背の方を叩いてくれる。
「……ありがとうございます。もう大丈夫」
涙目のリンにライアンがティーカップを渡し、そのままライアンの右手はリンの手を取り、左手はリンの背中を撫でている。
もうリンしか見えていないようだ。
その様子に、公爵は天井を見上げため息を吐いた。
「はあ……。わかった。気持ちはわからぬではない。冬至の婚儀はまず無理だが、夏至については城にも連絡を入れておく。しかし、其方……」
自分にそっくりだという言葉を公爵は飲み込んだ。
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