Epilogue / エピローグ
幸せな二人を。
ふっと意識が浮上して、ライアンは自分が執務室にいるのに気づいた。
適当な書類を手に長椅子に座ったつもりだったが、どうやら眠っていたようだ。
明け方、さすがにリンは眠気を覚え、部屋に上がった。
あのような事件の後に一人にするわけにもいかずと、都合の良い言い訳を考えてライアンは工房に籠った。
気分も高揚し、全く眠気は来ないと思ったが。
「さすがに少し眠ったか」
工房から外の水場へ出ると、オークの枝が水桶に差してある。
「……グノームか?」
見やればコクコクと肯いている。
顔を洗えば、だいぶスッキリとした。
日も大分高くなっている。けっこう深く、長く眠ったのではないだろうか。
秋も深まり今は花も見えないが、ここに住むのであれば、リンの好みを聞いて庭も整えたいものだ。
そんなことを考えていると、パタパタという足音が聞こえてきた。愛しい声と一緒に。
「ライアーン、ライアン? ……あ、ここでしたか」
執務室のドアが開いているのに気づいたのだろう。工房を抜けて、裏庭まで出て来た。
「すごい寝過ぎたかも」
リンがすでに空高くある太陽に顔を向けた。
下ろしたままの黒髪に光が反射している。天の女神とはこのような姿をしているのかもしれない。
「……いや、私も今起きたところだ。『金熊亭』で朝食、いや昼食を取ろう。その後で聖域に、ドルーに御礼と結婚の報告に行かないか?」
結婚の報告のところで、リンの頬が真っ赤になった。愛しくて、ついその頬に手が伸びる。
象牙のように滑らかで美しく、でも象牙とは違って温かく柔らかい。
「そういえば、昨日、ドルーが途中でいなくなっていて……。御礼も言えなかった」
「ああ。恐らくまた眠りにつかれたと思う。昨夜も、私たちが到着するまでリンを見守るということだった。このまま春まで眠られるのだろう」
「まだ夏の疲れが残ってるんでしょうか」
リンはずっとドルーを見かけないと気にしていた。今も眉をひそめ、心配気だ。
安心させるように、頬をそっと撫でた。
「そうだな。だが、心配はいらない。毎年冬にはウトウトと眠りにつかれる。それが少し長くなるだけだ」
「そうなんですね?」
「ああ。森の様子は常に感じていると思う。ほら、リンやアルドラが来た時は、気づいて起きただろう? だから報告に行けば喜ぶだろう」
「そういえば、森の木々やシルフがドルーの目や耳の代わりなのかもしれません。良かった。……なんだがお腹が空きました。『金熊亭』でがっつりソーセージを食べようかな」
リンが嬉しそうに肯いた。
◇
ある目的で、オグはリンの家へと急いでいた。
ちょうど『金熊亭』から出てくるライアンとリンの姿を見つけ、ふうっと息を吐いた。
一つ目の目的は達成だ。
「そんなに慌てて、どうした?」
応接室に通され、ライアンが早速尋ねてくる。
リンはお茶の用意をしに、二階へと上がったようだ。
「……ギモーブが慌ててやってきてな」
「兄上が? あの者たちに何かあったのか!」
ライアンが焦るのを片手で抑える。
「違う」
オグはチラリと階段の上に視線をやり、身を前に乗り出した。
声を落とす。
「なあ、お前、昨日帰らなかっただろ?」
「……それが?」
「館で騒ぎになってるらしいぞ」
「は? なぜだ」
「なぜだ、じゃねえよ! こんなことがあったし、公爵の一行も早々にラミントンから戻ったらしいぜ。で、館に戻ったらお前もリンも姿がない。 確認したら塔にもいない。お前がリンを送っていったのはギモーブが知っているが、家から出てくる姿を見た騎士はいない」
「で?」
「早朝に着いたシムネルたちにも、そのまま休めと伝言して、お前は会っていねえだろ?」
「ああ。風を一晩操ったんだ。報告などは後でいいと伝えたが」
「まあ、そんな報告を全部合わせると、お前はここで過ごしたんじゃねえか、ってな」
「チッ」
ライアンの眉間に皴が寄り、舌打ちが聞こえてくる。
「で、大騒ぎだ。公爵とシュゼットは盛り上がってるし 夫人の方は真っ青になってるそうだ。周囲もソワソワとして落ち着かないらしい。あの時館に連れてくるべきだったかと、ギモーブは頭を抱えてたぞ。何か知らないか、と俺のところへ来たわけだ」
二人がすでに起きていてくれて、心からほっとした。
籠られていたら、とても踏み込めたもんじゃない。
「言っておくが何もないぞ。リンは三階で、私は執務室で休んだ」
「だからってなあ……」
そこへ、リンが降りてくる足音がした。
「オグさん、お昼はもう食べてるんですよね。すみません、今、ここには食べられるものが何もなくて」
そう言いながらカップを配る。
「ああ、大丈夫だ」
なんの茶かは知らないが、リンの茶はいつも香りが良くて、うまい。渇いた喉に染みこんでくる。
リンがライアンの隣に落ち着いたとたん、ライアンが口を開いた。
「ああ、オグ。リンと私は、夏に結婚を考えている」
「ブーーーッ」
飲みかけた茶を噴いた。
「な、何だと⁉」
リンがティーポットの下に引いていた布を引っ張り出し、渡してくれた。
慌てて口周りを拭いたが、自分がどんな顔をしているか。
オイオイ、たった今聞いたのと違うじゃねえか。
「お前、何もないって……」
「昨夜、そう話をした」
ライアンの横に座るリンに目をやれば、こっちはちょっと俯き気味で、耳まで真っ赤にしている。
これはどうやら本当らしい。
「そうか」
ライアンもとうとう決めたか。
「おめでとう。心よりの祝いを。ドルーと精霊の加護を二人に」
「ああ。ありがとう」
ありがとうございます、と、リンも小さく呟いた。
ライアンがリンの背を支えるように手をやると、二人は俺を忘れて目の前で見つめ合った。
これなら館の騒ぎはこのままでいいのか? どうせもっと騒ぎになるだろうし。
「まだどこにも報告してねえんだろ?」
「まず聖域に行こうと思っている。その後に館だな」
「それだけじゃねえだろ。アルドラだって」
ライアンが遮った。
「シルフで言うようなことでもない」
ライアンが避けようとする気持ちは、よくわかる。嫌になるほどわかるが、それで済むわけがない。
「あのなあ、すぐにも王城へ連絡が行くぞ。そしたら婆さん、あっという間に聞きつけるぜ。そっちの方が面倒だろ? 先に言っといた方がいいんじゃねえか?」
アルドラどころか、すぐにフォルテリアス全土にシルフが知らせるだろう。
ライアンが大きな息を吐いた。
「考えておく」
「エクレールやクグロフたちも大喜びするだろうな」
「あ、そうなんです。クグロフさんたちには早く言わないと」
リンが横に座るライアンを見上げた。
「そうだな。ここの家具にすぐ取り掛かってもらえると良いが」
「ここに住むのか?」
「ああ。その方がリンにも良いだろう。もちろん館の方も整えるが。……そうだ、リン。聞くのを忘れていた。ここに住むのなら庭にも手を入れたい。何か欲しいものがあるか?」
「庭も、ですか……? あ、小さくて良いので薬草の乾燥室が欲しいです。スぺストラで見て、あったら便利だなって」
「乾燥室。他には?」
「そうですね。来年の夏にはもうちょっと野菜も薬草も増やしたいなって」
「……それは畑だな。それ以外に、花などは?」
オグは一生懸命笑いをこらえた。
リンが天井を見上げて、考えこんだ。
「うーん、ちょっと庭を見ながら考えてもいいですか?」
そう言ってリンは立ち上がると、裏庭へと出ていく。
「ク、ククククク……」
オグはとうとう我慢できずに笑い始めた。
「ウハハハハ、結婚を記念して贈る庭だろ? 乾燥室や野菜畑ってな、新しいな!」
ライアンがため息をついた。
「いや、まあ、それもリンだ。王都で父上たちの庭も見たはずだが、全く思い当たっていないようだ」
俺たちもリンのいる裏庭へと向かう。
リンは裏庭の中ほどに立ってキョロキョロと見回していたが、裏口にいる俺たち、いや、ライアンに気づくと笑顔を見せた。そして、遠くから楽しそうに声を張り上げる。
「ライアン! 王都の寮にあったチーズ醗酵室とかいいですよね。あ、そうだ! 燻製室もいいんじゃないですか? そしたらライアン、毎日好みのチーズが楽しめますよ」
「そうだな」
ライアンが本当に、本当に幸せそうな笑顔をリンに向けた。
「オグ、あれがリンだ。リンの名を冠した花の庭を館や王都、いや、国中に贈ってもいい。だが、こんなに楽しい庭を考えるのはリンぐらいだろう。きっと、ここだけだ」
ライアンの視線はリンから動いていない。そして、その声は愛に満ちて、満足げだ。
ライアン良かったな。お前のそんな顔を見られるとは思わなかった。
だが、お前、公爵にそっくりだったんだな。
◇
オグに館に顔を出すことを約束させられた後、リンとライアンは聖域へと向かった。
途中で森の奥からシロが姿を現し、リンの横を歩き始めた。
お風呂の時以外は甘えなくなったシロが近寄ってくれるのは嬉しい。昨夜のことがあって心配してくれているのかもしれない。
「シロ、森はどうだった? 変わりはなかった?」
リンはここぞとばかりに、シロの頭を撫でた。
昨夜、冬を呼び込んだからだろう。
聖域周辺の木々は多くの葉を落とし、冬の姿を見せている。
穏やかな晩秋の光が聖域を満たしているが、どこか寒く感じるのは気のせいではないだろう。
ライアンは早速、火を焚いている。
聖域に行くのだからと二人とも賢者のマントを羽織っている。リンは風が入らないように、マントの前をしっかりと握り締めた。
湧き水を覗けば、開いた『水の鳥花』が水面に浮かび、今日も多くの精霊が渡り歩いている。
シロは近寄ると、興味深げに精霊たちを鼻でつついた。
「シロ、邪魔したらだめだよ。落ちたら危ないでしょ。……精霊が」
落ちるわけがない、と言いたげなシロの視線を受け、リンは言葉を付け足した。
リンの側にいる精霊たちも、サラマンダーは水辺を嫌って焚火に飛び込んだが、オンディーヌたちはいそいそと飛び降りた。
「グノーム、落ちないようにね」
オンディーヌは水に落ちても問題ない。シルフは落ちる前に飛び去るだろう。グノームだけがどうにも心配だ。
リンはライアンと共に、大きく灰茶色の枝を広げているオークの前に進み出た。
「ドルー、昨夜は本当にありがとうございました。とても心強かったです。それからすでにご存じだと思いますが、探していた蕾も見つけることができました」
リンは深々と頭を下げ、まず礼を伝えた。
ライアンがリンの手をそっと取る。
顔を見れば、ライアンはふっと嬉しそうに目元を緩め、それからオークを見上げた。
「ドルー、本日は御礼とご報告に参りました。私とリンは、これからも二人、共にあることを決めました」
二人で再度頭を下げる。
だが、ドルーが姿を見せることはなかった。
「やっぱり眠っておられるんでしょうね」
「ああ、でも大丈夫だ。声は届いているはず」
その時だった。
ゴトリと音がして、オークの枝が落ちた。
二人して無言で枝を眺め、それからお互いに目をやった。
「やはりな。リンにはオークがよく落ちる」
「これはライアンにではないでしょうか?」
「いや、リンにだ。私はすでにラミントンで一枝もらった」
「えっ! ……なんだ、お互い様ということですね」
ライアンがふっと息を吐き、オークの枝を拾い上げた。
「私たちの報告を喜ばれたということだろう。ドルーの祝福だ」
「ええ。嬉しいですね。……でも、どうしましょう。結婚式に使うには早すぎますし」
「私の枝をグノームが水桶に入れていた。王都でしたように、土に挿せとということだろう」
「え! それは嬉しいかも。ドルーが見守ってくださるようで」
「ああ、それにちょうどいい。リンの庭をあちこちに造らせる予定だし、まずこのオークは私たちの家と館に」
リンは何かがひっかかった。
「ん? ちょっと待って、ライアン。あちこちにって、私の庭って何ですか?」
「私からリンへの結婚の贈り物だが。昔はなぜ庭を贈るのかと不思議に思ったが、今なら理由がよくわかる。庭なら一年中、様々な表情を見せるだろう。……それを二人で楽しみたい。春も、夏も、秋も、冬も、リンと。永遠に、共に」
ライアンのきれいな青い目は、熱を帯びていつもより深い色だ。
昨夜からのライアンの高い攻撃力に、リンは息が止まりそうである。でも幸せなこの戦いに、負けるわけにはいかない。
リンも嬉しいのだから。
「ええ、ライアン。考えると幸せな心地になりますね。繰り返す季節を貴方と二人で、一緒に」
シロが顔を上げ、精霊たちがリンとライアンの周りに飛んできた。
リンがいたずらっぽく笑う。
「……違った。シロと、ドルーと精霊と、そして貴方と私。共に、幸せに」
「ああ。ドルーと精霊の加護をリンに。心からリンの幸せを願う。いや、私が幸せにしたい」
「……ドルーと精霊の加護を貴方にも」
リンは、ライアンに繋がれているその手にキュッと力を入れた。
そして一歩近づき、耳元で囁く。
「互いの熱が伝わるこの距離で。ずっと」
ライアンが息を呑む音が聞こえ、リンはグイっと引き寄せられた。
完結です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
「お茶屋さんは賢者見習い」は、初めて書いた物語です。
途中で、なんてことを私は始めたんだ! と何度思ったかわかりません。(笑)
ブックマークやコメント、誤字報告、ご評価、読んでくださる皆様に支えられて完結させることができました。本当に感謝しかありません。
最後は、少しばかりジャンル「恋愛」っぽくなれたでしょうか。
私のライフがごっそりと削られました。
一話前の後書きで書いたとおり、ここで一度完結としますが、書き落した話などを番外編、もしくは未来編として、たまにアップしたいと思っています。
次に書きたいと思っている物語もスタンバっておりまして、本当に不定期になると思いますが。
よろしかったらお待ちくださいませ。
本当にありがとうございました。
この物語が少しでも皆様の日常の息抜きとなっていたら幸いです。
心よりの感謝を。
そして、ドルーと精霊の加護を皆様に。
巴里の黒猫





