Winter has come. / 冬が来た。
リンがヴァルスミアの森に足を踏み入れた頃、ライアンとオグは船でウェイ川を遡っていた。
普通よりも多くの明かりを前後に灯し、シルフとオンディーヌの力を借りて進んでいく。
前方の暗闇を見透かすように睨むライアンたちの前に、ドルーがふわりと姿を現した。
「ふうむ。ここのようじゃの」
「「ドルー!」」
「久しいの、オーリアン、オェングスよ。標があって助かった。遠方へ飛ぶにはなかなかに難しくての」
ライアンはラミントンのオークから落ちた一枝を腰に差したままだ。
二人が慌てて頭を下げる。
「ドルー。お久しぶりです。ゆっくりお休みになれましたでしょうか?」
「思ったよりも眠いものだのう。じゃが、起きねばならぬ。……リンが森に入っておる」
二人が息を呑んだ。
「なんと!」
「リンは無事でしょうか!」
「無事ではあるようじゃの。周りを囲まれてはおるが、イームスが警戒しておる」
ライアンもオグもほっと息を吐いた。
「精霊が付いていますから大丈夫だとは思ったのですが、それならなぜ蛮行を止めなかったのか……」
ドルーが微妙な表情を浮かべた。
「シルフが言うには、リンは『ここは天国』と言って嬉しそうだったようでの。だから精霊たちは今も何か問題があるとは思っていないようじゃのう。リンも元気そうに歩いておる」
「「天国……」」
いったい何が天国だったのかはリンに確認しないとわからないが、とにかくリンは無事で、怪我などもないのだろう。
「ふうむ。どうやら、リンは真っすぐ我へと向かっておるようじゃの」
「聖域へ?」
ライアンとオグは顔を見合わせた。
「……何があったか知らねえが、一番いいんじゃねえか?」
「ああ。うまく誘導しているのだろうか」
「気を付けて来るが良いぞ。それまで我が見守ろう」
ドルーが姿を消すと、ライアンとオグはさらに船の速度を上げた。
◇
「冬にすればいい」
そうドルーは言ったが、リンには意味がわからなかった。
「……それは天の女神の仕事だと思うんですけれど」
「なあに。シルフに頼んで、この辺りを冬にすればいいのではないかの。リンはあの小さな箱で冬を運んでいるじゃろう?」
「! ……確かに運んでいますね。そっか。じゃあ水の祝詞も、いや、水面に吹き付ければ、なしでいけるかも」
ドルーが言うのは小型冷室のことだろう。
リンは使う祝詞を考えた。
今より寒くするなら『紅葉散らし』では足りないし、『冬至の月夜』だと多分凍ってしまう。
『瞬間ナントカ』は短時間でも危ない。
「やっぱり少し時間がかかっても『極寒の風』かな。よし」
リンは立ち上がり聖域の際まで来ると、跪いたままの者たちに声をかけた。
「今からこの場を冬にします。だから、その辺、その岩陰辺りに、薪となるような枝を集めてください」
シュージュリーの者たちは訳がわからず、顔を見合わせている。
そりゃあそうだろう。今から冬にすると言われたら、誰だってそうなる。
「水草に必要なんです。精霊のお力で冬が来ます。早く集めないと、凍えますよ」
リンは言い置いて、枝を集め始めた。
四人はまだポカンとしていたが、リンが枝を拾い始めると慌てて立ち上がった。
聖域の外に十分な枝が集まった。
一人が地に差していた松明を手に取るが、その前にリンが火を点ける。
「インフラマリオ」
小さな炎が立った。
シュージュリーの者たちが、驚きに目を見開く。
「なぜだっ!」
「どうして⁉」
「嘘。『加護の石』は、なかったわ……」
メイドがポツリといったのが聞こえ、リンはニコリとした。
聖域の真ん中に作られた枝の山に、抱えていた最後の枝を加えると、リンはこちらにも火を点けた。
「さて、やりますか。凍えないように」
リンは四人に声をかけると、跪いた。
「シルフ、水面に向かって凍える風を。フリジドゥス ヴェントゥス サトゥス デェイプソ……」
ライアンに教えてもらった『極寒の風』の祝詞だ。
祝詞が進むにつれ、シルフが湧き水と小川の上に集まって来た。上から水面めがけて急降下し、すれすれのところで、ヒュンッと音を立てて水平に飛び去る。
水辺にいたオンディーヌはシルフの勢いを避け、草葉の陰に隠れた。
ヒューッ、ヒュゥゥゥ、と叫ぶ音に、背すじがゾクリとする。
跪いていたリンは立ち上がり、パタパタと足踏みを始めた。
「だめだ。やっぱりこういう時は……。ドルーちょっと中へ失礼します」
リンはドルーに断ると、オーク根本にある洞にかがんで入った。
洞の隅には木箱が一つ置いてある。
毎月一度は『水の浄化石』で月待ちをする。そのお供にリンが準備したものだ。
畳まれたひざ掛けを取り出すと肩に羽織り、中に収められた、さらに小さな箱を開ける。
中は聖域用のお茶セットだ。
小さなケトルに、蓋杯とカップが五つ。リンとライアン、それから、ドルー、精霊、アルドラのためのカップだ。
「ライアン……」
リンは取り出したカップをまた置いて、ライアンにシルフを送った。
「『ライアン、リンです。誘拐されましたが聖域に避難しています。ドルーも、シロも一緒です。シュージュリーの者が、すぐ側に4名。森の外にもいます。彼らの事情を少し聞いています』」
「『リン、無事か。ドルーに聞いて、そちらに全速力で向かっている。聖域からは絶対に出るな』」
「向かっている……」
すぐに戻ったライアンの声を聞いて、リンはほっとした。
ライアンがくる。もう大丈夫だ。
ケトルを持って洞から出ると、湧き水にかがみこんだ。
じっと見るが、まだ水草に蕾の付く様子はない。
やっぱり長くなりそうだと思いながら、水を汲んだ。
お茶はドルーが好むプーアル茶だ。
「ドルー、良かったらお茶をどうぞ」
「リンの茶はひさしぶりじゃの」
嬉しそうにするドルーにカップを一つ渡し、その側に、精霊用にもう一つ置く。
リンは二つのカップを木蓋に乗せると、小川を覗き込んでる男たちに声をかけた。
「カップが足りませんけど、分け合ってどうぞ。まだ時間がかかりそうですから」
カップを渡すと、自分もシロにくっついて湧き水近くの石に腰かけた。
自分のカップで手を温めれば、冷たい森の香りと温かい茶の香りが交じり合って鼻に届く。
一口飲んでふうと吐いた息は一瞬白く浮かび、すぐに風に流れた。
聖域の秋が落ち、冬が来た。
リンの目の前で大きなオークの葉が舞い、カサリと音を立てる。
「ドルー、寒くしてしまいましたけど、大丈夫ですか?」
「なに、外も間もなくであろうよ。春まで眠るだけじゃ。問題はない」
ドルーはカップに口を付け、聖域の外に目をやった。
シュージュリーの者たちは、まだ伸びる茎さえ見えないのに、蕾はまだかと水面を見つめたままだ。
「……見つかるとよいがの」
「『水の銀鳥花』はダメでも、『水の鳥花』なら」
ドルーが首を振った。
「火は火であろうとするために、力が強いでのう。リンと同じものがいいように思うのじゃ」
「火は火であろうとする……」
リンが首を傾げた。
「大地は動かずにそこにあり、水は天より落ち、地に沿って自然と形を作る」
ドルーの説明に、リンがうなずいた。
「風は姿がなく、そこに留まろうともしない」
風は今も甲高い音を立てているが、確かに自分の髪や葉の揺れ、枝の動きで風を感じるが、見えはしない。
「じゃが、火は火であるために形を保たねばならんの。それゆえにその力は強い」
「あー、なんかわかるような……」
二つの焚火は風に揺れながらも燃え上がり、形を作っている。
形をなくせば消えてしまう。
「火の加護を受けた者が苦労するのもそのためじゃのう」
「もともとの性質がそうだということですね。じゃあ、これからも火の術師はずっと……」
ドルーがうなずき、リンはため息を吐いた。
春が来た、な感じの日にこれを書くのは、違和感がありました。





