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The Spirit of an Old Oak /ドルー

「ありがとう。シロ。来てくれて」


 温かくてモフモフだ。

 金熊亭のタタンがお風呂に入れてくれたのだろう。リンの知らない石鹸の香りがする。 

 首筋に顔を埋めてすんすんと嗅いでいたら、頭に響いていたシロの唸りが止まった。

 ハッとリンは顔を上げる。

 そうだった。シロとの再会を喜んでいる場合じゃなかった。

 イームスたちと約束した以上、ここで男たちを野放しにするわけにもいかない。

 リンはシロに片手を置いたまま、すっと立ち上がった。


「騙してはいないわよ。私が使った薬花が、ここで採られたものなのは本当」


 リンは聖域の外へ流れ出している小川を指した。


「水草で『水の鳥花(ウォーターバード)』という名前です。花の蕾が鳥の形をしているらしいのだけど、見たことは?」

「……ない、と思う。おい、食べたことあるか?」

「水草はどれも苦かった気がする」

「うまかったら覚えてるはずだから、うまくなかったんだろうな」

「わからないわ」


 互いに顔を見合わせて首を振っているが、記憶に残るかどうかのポイントは、どうやら味らしい。


「蕾が開く前に採取をして、そのまま水の中で保管。光に当ててはダメって教えてもらったけど……」


 誘拐犯たちが小川へと駆け寄るのを見て、リンも聖域の中央、ドルーの足元へと向かった。


「……ただ、今あるかどうか、だよね」


 聖域の外から、どれだ、見えるか、どの水草だ、と、騒いでいるのが聞こえてくる。

 ドルーの前に立って、リンはペコリと頭を下げた。


「ドルー、お騒がせしています。森を荒らさないように注意しますので」


 リンも聖域の湧き水を覗きこむが、揺れる水草は見えるが蕾や花の気配はない。


「やっぱりダメかな」

「……リン、今度は何を探しておるのかの?」


 リンがパッと後ろを振り返った。


「あっ! ドルー!」


 久しぶりのドルーだ。

 いつものように穏やかな笑顔を見せてくれている。


「お会い出来て嬉しいです。ドルー、お加減はいかがですか?」

「ホッホッ。このまま春まで眠るかと思っておったがの」


 ドルーはシュージュリーの者たちにチラリと視線を投げた。

 彼らにもドルーの姿は見えるらしい。

 全員驚きを顔に表してこちらを見つめていたが、慌てて跪いた。


「それで何を探しておるのかのう?」

「水草の蕾を。『水の鳥花』できれば、なかでも銀色をした『水の銀鳥花(シルバーバード)』だともっといいのですけど……。まだちょっと早いみたいですね」

「ううん? そうじゃの、精霊どもが渡って遊ぶ花なら、そろそろ季節かと思うがの」


 今日も聖域に数多く漂う精霊に目をやるが、湧き水にいるのはオンディーヌだけのようだ。他の精霊は、今のところドルーの髭に潜り込んだり、リンの背中でなにやらしている気配がする。

 

「水温が下がったらってことだったので、そろそろ咲くかと思ったんですけど」

「あの者たちに渡すのかの? イームスが警戒しておったが」


 ドルーの視線が聖域の外で跪く者たちに向いた。

 

「……ドルーは、どこまでご存じなのでしょう?」

「ホッホッ、そうじゃな、森の木々が見聞きしたことはすべて知っておるかのう」

「すべて」

「そうじゃの。シルフどもも森をよく通り抜けるしの」


 ドルーが彼らに向かって歩み寄った。


「この者らが何度も森へ来たことも、水を汲んで歩いたことも、我を探していたことも知っておる。リンを無理やりここへ連れてきたことも」


 言われた者たちはビクリとして、さらに頭を下げた。


「……それに、我への祈りも聞こえてきたのう」


 全員がハッと顔を上げ、そしてまた慌てて頭を下げた。


「お願いです。どうか、どうか陛下にご加護を」

「どうか……!」


 口々に加護を願いながら。


「そういえば……」


 リンも、春の大市の時、男が森の前で毎日のように祈っているのを見たことを思い出した。ずいぶんと真剣に祈るな、と思っていたことも。


「リンはどうしたいかの?」


 一瞬返答に詰まった。

 本当にこれがいいことなのかがわからない。


「……彼らが取った方法は悪すぎて、かばい様がありません。でも、私は今のところ傷つけられていないのと、ここには私が連れてきたようなものなので」

「薬を渡すのかの?」


 額を地面に付けるように下げている者が目の前にいる。

 その姿を見ると、リンの胸の中がざわざわする。


「いろいろ、許したくない思いがあるんです。結婚式という大事な思いのこもった日に私をさらったこの人たちにも、シュージュリーの国にも。私の周りにはエストーラから逃げて来た人が多くいます。身近な人を失い、傷つき、不安の中で耐えて、生き延びてきた人がいるんです。その人たちが、シュージュリーの皇帝に薬を渡すことをどう思うだろうって」


 ローロの顔が、クグロフやブリンツの顔が思い浮かんだ。


「この人たちの幼い頃の話を聞きました。でも、シュージュリーも、エストーラの人びとを同じような状況に追い込んだんです」


 リンは大きく息を吐いて続けた。


「でも、火にあぶられるような熱の苦しさはまだ覚えていますし、病気の家族を見ているだけというのは辛いんです。それに、シュージュリーの皇帝に薬が渡れば、これ以上の侵攻を止められるのかもって。……それで迷ってしまって」


 来年の夏はマチェドニアが襲われるだろうと警戒していた。

 それが止まるかもしれない。

 だから悩むのだ。


「ヒトとは迷うものじゃからのう」


 ドルーが自分の長い顎ひげを撫でると、髭からグノームが落っこちた。


「精霊とヒトの大きな違いじゃ。ヒトは常に迷っている」

「……精霊は迷いませんか?」

「ふむ。じゃのう。ヒトが迷うのは、そうじゃな、善なのか悪なのか、が多いの。今のリンもそうじゃな」

「そうですね。私が皇帝に薬をあげたとして、じゃあ、それはいいことなのか。でもエストーラの人たちにとってはそれは許せないことなのかも」

「我ら精霊にはヒトの善、悪は難しいの」

「ええ」


 迷うリンの視線の先に、ドルーの髭に出たり入ったりして遊ぶ精霊がいる。

 リンがふっと微笑んだ。


「ふふっ。……精霊の行動は快、不快が基本でしょうか。好きか嫌いか、楽しいか楽しくないか」

「迷い悩むのは辛いものじゃ。選んだ後もそれが良かったのかわからぬし、すぐに不安が襲ってくる。我はこの国ができる頃からずっと、ヒトが変わらず思い悩むのを見て来た。リンにとって良いことが、他の誰かには悪いかもしれんの」

「ええ。だから選ぶのも怖いのです。ドルー、薬をあげてもいいものでしょうか」


 ドルーが決めてくれれば、そんなずるい気持ちがリンの中にあった。


「この者らが大事な者のために悪と言われることをやるのも、リンが誰かのためにと思い悩むのもヒトであるからじゃな。我にはそのすべての心の動きがヒトらしく、愛おしく思えるの。我らにはないものじゃ」


 ドルーが地に伏せている者たちを見やり、そして、リンを見て目を細めた。


「この者らも迷ったであろうの。リンも迷っておる。じゃがの、ヒトのすごいところは、迷い、悩み、恐れ、それでも光を目指して進むところじゃ。我は迷わぬが光を目指すところは、我と似ておる」


 ドルーがリンの頭にポンと手を置いた。


「リン。ここまで来たということは、決めたのではないかの? それでも迷うのは、ヒトらしい心の揺れ、優しさゆえじゃな」


 目が潤み、リンは慌てて下を向いた。


「……ローロやクグロフさん、スぺステラの人たちは許してくれるでしょうか」

「ふむ。スぺステラの者を起こしてこようかの? 聞いてみるが良い」

「えっ?」


 リンがパッと顔を上げた。


「ええっ。ダメですよ、ドルー、ご迷惑ですよ。真夜中ですもん」


 それに危ない。リンは聖域で守られているが。


「ホッホッ。それなら今は、リンの思う通りにやってみるしかないの」


 ドルーににこりと笑われ、リンはぐっとお腹に力を入れるとコクリと肯いた。

 もう一度聖域の湧き水を覗き込む。


「……思う通りと言っても、蕾もないし。いきなり手詰まり? 『銀鳥花』はともかく、普通の『水の鳥花』の方だったら薬事ギルドにあるかなあ?」

「……大丈夫じゃ。もうすぐ応援が来るじゃろうて」


 水面を眺めてブツブツと呟くリンに、ドルーがボソリと言った。


「えっ?」


 リンは座ったままクルリと振り返り、後ろに立つドルーを見上げる。


「いや、なんにもじゃ。リン、蕾がなければ、つければよい」

「はっ?」


 何だろう。どこかで聞いたことがあるようなフレーズだ。

 いや、あれはパンがなければ他のものをってことだったけど、これは他のものじゃなくて、蕾そのものをつける? まさか、そんなことが……。いや、建国の一枝があの大木になるのだから、木の精霊はそんなこともできるのだろうか。

 リンがぐるぐると考えていると、ドルーが言った。


「冬にすればいい」

「はっ?」

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