To the Sanctuary / 聖域へ
馬車から小舟に乗せられた。その後、また次の馬車。
こうやって乗り継いでみると、精霊の力を借りての移動は速く、そしてとても楽なのだとわかる。
二度目の馬車では口を開く気力もなく、ただ目を閉じて座っているだけだ。
「着いたぞ。これでウェイを渡れば、ヴァルスミアだ」
男の声に、リンはパチリと目を開いた。同時に意識も目覚めた気がしたので、知らないうちに眠っていたのかもしれない。
辺りは真っ暗で、馬車に下がるランタンのオレンジ色の火だけが周囲をぼんやりと照らしている。ヴァルスミアの灯りも城壁も見えない。
道中鐘も聞こえなかったから定かではないが、夜はだいぶ深いのではないだろうか。
「……さすがに城門は通れませんからね」
キョロキョロと見回すリンに、馬車の御者が声をかけた。
乗り物を変えるたびに誘拐犯の仲間は増えていき、今は八人になっている。
「頼んだぞ」
「気をつけろよ」
「ああ。これで連絡する」
男がランタンをヒョイと上げた。
馬車や船の側に残る者がいて、結局リン以外に四名がヴァルスミアの森に渡るようだ。
「……ここはどこだろう」
リンが周囲を見て、眉を寄せた。
森のどこかであることは確かだが、ランタンの灯りは心もとないし、見覚えは全くない。耳を澄ませても、人の声は聞こえない。
「奥であることは確かだな。まあ、ウェイ沿いを進めば街に出る」
「それはそうでしょうけど」
というより、それ以外には怖くて進めない。森の中央に進めば、方向さえもわからなくなってしまいそうだ。
「じゃあ、右ね」
歩きだそうとした時、カサリと小さな音がして、光に照らされた白く長い鼻先が見えた。
「シロッ!」
リンは一歩前に出たが、ピタリと止まり、息を呑んだ。
「……違う」
光の輪に入って来た白狼は、シロよりだいぶ大きい。リンの作った首輪もしてない。よく見えないが、目も違うように思う。
そしてなにより、リン達に向かってガルゥガガガガルゥと威嚇の声を上げている。
左右を見れば、やはり狼が行く手を塞いでいた。
「きゃっ!」
「ヒュッ」
「しまった! また狼だ!」
「くそっ! またかっ!」
全員が腰のナイフを抜く。
「ちょっと待って! 何やってんの!」
「どけっ! こいつらはしつこいんだ」
「当たり前でしょっ! イームスは森の守護者。不審者を見張りに来るのは当たり前っ! ちょっとナイフを引いてっ!」
リンは前へ出ようとする男たちを抑えた。隣では、メイドまでが小さなナイフを構えている。
「下がって。静かにして」
リンは一番大きな狼の目をしっかりと見た。
「イームス。騒がせてごめんなさい。私たちを通してくれますか? ドルーの所に行きたいの」
「ばかなっ。そんなことがわかるわけねえだろ」
「ちょっと黙ってて! ……大丈夫。イームスは賢いんだから」
シロの仲間だ。もしかしたら家族かもしれない。
リンを見つめたまま、目の前のイームスはまだ喉の奥で警戒音を発している。
ダメか、と思った時、リンの肩からグノームがヒョイと飛び降りた。
だが、飛び降りた先はイームスの鼻先だ。
「えっ」
そのまま滑り落ちそうになり、鼻に掴まり必死によじ登ろうとしている。
「グノーム。それはちょっとイームスがかわいそうだから……」
イームスは寄り目になり、口を半分開けては閉じ、少し動揺しているように見える。
グノームのおかげで威嚇が止まった。
同じようにうなっていた左右のイームスにも、シルフとサラマンダーが、こちらはしっかりと頭に着地している。
「グノーム。おいで」
そっと手を伸ばしグノームを助けると、オンディーヌが代わりにイームスに飛び乗った。彼女は無事に着地している。
リンはイームスの前にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「イームス。森を荒らさないように約束します。この人たちにもちゃんとさせるから」
リンを見つめていたイームスがふっと顔をそむけ、高く長い遠吠えを上げた。途中で二匹が加わり、遠くからも別の声が響いてくる。
イームスは連絡し終えると、三匹そろってまた暗い森に姿を消した。
「ふう。どうなるかと思ったけど」
リンと同じように周囲からも息がこぼれる音がした。全員ナイフを持ったままだ。
「それ、危ないからしまって欲しいんですけど」
「あ、ああ」
「イームスがこれだけすぐに来たってことは、ここはだいぶ森の奥なのかなあ。まあ、いいや。行きましょう」
前に二人、後ろに二人、四つのランタンで足元を照らされるが、それでも躓きそうになる。
光の輪の外は真っ暗で、先が見えない。
「ねえ。さっき、こいつらはしつこいって、まただって、言ったでしょ? もう一年近く前だけど、真冬の森に侵入者がいるって騒ぎになったの。それもあなたたち?」
「……たぶんな。他に侵入者がいたかは知らねえよ」
「何が目的なのか不明だって言われてたけど。そう。あれもなのね」
「一番初めの情報が、聖域の水だったからな。さんざん加護と精霊術師の素晴らしさを語られた」
リンは、はあ、と、ため息をついた。
森への侵入、盗み、誘拐。考えるだけで頭が痛い。
春の大市で捕まえられていたら、話しだいではこんなことにはなっていなかったのではないだろうか。
まあ、この人たちも皇帝の不調は絶対言えなかっただろうけど。
ぼんやりと考えながら足を動かしていると、突然目の前が明るくなった。
ハッと目を上げれば、開けた土地に枝を広げた木々が並んでいるのが見える。
鼻に届いた甘い香りに、リンが声を上げた。
「りんご! 良かった。ここからなら、私でも場所がわかる」
今度はリンが先に立ち、森の中へ、聖域を目指して歩いていく。
リンが足を止めた。
「……ねえ。シュージュリーの皇帝は、薬が手に入って身体が動けば、軍を止められる? 東に向かっている軍を止められる?」
振り返って、見回す。
「ああ。身体が動くなら、俺たちが止めても陛下は動く」
「ええ。もともとの体調不良も軍とやり合って。そして、二度目で動けなくなりました」
「軍のすべてが暴れているわけではないのです。陛下のために動く者も多い。必ず止められるでしょう」
その言葉を確かめるように、リンは一人一人の顔を眺めていく。
リンと最後に目のあったメイドは、黙って深く頭を下げた。
何が正解かわからない。
ライアンたちに怒られるかもしれない。
リンは彼らに背を向けた。
「この先が聖域なの」
リンは、いつものように繁みを回って、聖域に足を踏み入れた。
目を閉じ、ふうっと長く、お腹の底から息を吐く。
大丈夫。ここはもう安全だ。もう大丈夫。
ああ。熱いお茶が飲みたい。
「なっ。これはっ」
「行き止まり?」
「こっちもダメだ」
「えっ。どうして?」
リンの背後が騒がしくなった。
くるりと向き直る。
「聖域は禁域でもあるの。入れるのは、すべての精霊の加護持ちだけ」
「なっ! おい、だましたのか!」
男がリンに向かって踏み出そうとするが、前に出れずに横を向いてしまう。
「くそっ! どうする」
「そんなばかなっ!」
「ここまできたのに」
「……そう。そこまでは聞いてなかったのね」
四人の背後に白い影が見えた。
「シロッ!」
今度こそシロだ。
シロはさっと四人の脇を抜け、リンの前までくると男たちに向き直った。
喉の奥で低く唸っているが、リンは気にせずにシロに抱き着いた。





