Hot Spring 4 / 温泉 4
ラミントンの領城は周囲より高い崖の上にある。海も北の大地も見通すことができ、外敵の侵入も防ぎ易いだろう。昔の砦と城壁の半分は崩れてしまったが、なぜこの場所が砦の地として選ばれたのかがよくわかる。
夜が明けたばかりの今、そんな高所にある砦跡に海風は強く冷たく吹き付ける。リンは賢者見習いのマントをしっかり巻きつけ直すと、銀色マルテのショールに首をうずめ、両手をマフの中に突っ込んだ。
そしてライアンの後ろに立ち、こっそり風よけにする。
目の前では領主であるラグナルの挨拶が続いていた。
「………賢者ライアン様、見習いのリン様のおかげで、グノームの御業が揮われ、麗しきオンディーヌの恩恵を得られることを大変光栄に思っている。皆にも忙しい時にこのように集まってもらい、感謝する。働きに期待する」
これから麗しきオンディーヌの恩恵、つまり温泉施設をガガガッと建てるのだが、リンが当初考えていたよりも大きな施設となる。
砦跡だけではなく、領城の反対側や街の近くまであちらこちらを変化させるため、早朝からこの付近への出入りを制限したようだ。
ライアンとオグを中心に、土の設計図を担当した術師たちがゴゴゴッとするのだが、他にも大勢の土と水の術師が手伝いに集まってきていた。もちろんリンもガッツリとメンバーに入れられている。
「それでは始めよう。先の組み分け通り、持ち場に向かってくれ。シルフで開始の合図を送る」
ライアンが術師たちに命じると、ひとりを残してほとんどが動き出す。
残った術師にライアンが目で合図すると、引き受けてその場を先導しはじめた。
「じゃあ、こちらはあの向こうへまいりましょうかの」
土の術に影響がない場所にテーブルと椅子が並べてあって、そこに見学するラグナルを案内した。
テーブルには地図が広げてあり、ラグナル、ライアン、リンが着席すると、一人のこった術師が今日の流れを説明し始めた。
設計図を作りに来ていた一番のおじいちゃん術師、先生と呼ばれていた彼は名をエンガディナといい、ラミントン領の土の術師代表を務める人物だったらしい。
「今日は下を流れる水脈より遠いところから始めます」
エンガディナの指が地図に描きこまれた水脈をたどった。
「まず、岩山の麓、街に近い場所に誰もが使える足湯の施設。こちらが上手くいけば、街中に足湯を増やしたいものですな」
男女に分かれて二つの足湯ができるようだ。
「その次に砦跡からだと少し離れた場所ですが、こちらが男湯」
今度は城から少し下った海沿いの場所を指した。
「……これって崖の途中、に見えるんですけど」
リンが呟けば、エンガディナは笑顔でうなずいた。
「見晴らしが大変ようございますよ」
見晴らしは確かにいいだろう。
温泉で命の洗濯と聞いたことがあるが、その命が飛ばされそうな場所だ。
「ほら、男湯には打たせ湯を作ることにしたろ? ここはちょうど段差があってそれを利用できる。大丈夫だ。これで見るよりは崖っぷちから離れてるぜ。ま、嵐の時には勧めないけどな」
この配置を考えたオグが、自信たっぷりに言った。
「なるほど……」
「それから今いるこの場所が女湯。ご要望をたくさんいただきましてな。そちらに合わせた配置になっておるのです」
ラグナルの目がチラリとリンを見た。
かなり細かく希望を出したことは確かだ。
でも途中で涼むためのチェアや、マッサージルーム、パウダールームなんかは必須だと思う。女湯には打たせ湯をなくして、こういったスペースを入れてもらった。
「最後、こちらが、ご家族用の施設となります」
ウェイ川を望む、海からは少し離れた場所に家族風呂ができる。
設計図を見せてもらったら、砦跡にできる女湯もゆったりと作られている。これなら家族風呂はいらないかも、と言ったら、「それはそれ。これはこれ」らしい。
「今ご説明した順番で土の術を用います。最後の二つは一息に作り上げ、ほぼ同時に水脈を引き込みます。いいと言うまでは、ご領主様はこの場からお離れにならないようお願いしますぞ」
シルフがライアンに向かって飛んで来るようになった。
「全員配置についたようだ」
ラグナルを残して、皆が立ち上がる。
「では、ご領主様、良いですかな? ライアン様、リン様、本日はどうぞよろしくお願いいたします」
ライアンが連絡役の風の術師にシルフを送った。
しばらくすると、ぐらりと地が揺れ、その後に細かな振動が続く。
「おお」
ラグナルが目を見開いた。
リンもエンガディナも慌ててテーブルを掴む。同じく見学しているラグナルの護衛や近侍たちも足を広げ、揺れに備えるように体勢を低くする。
「けっこう揺れましたね。今のは一番小さい箇所で、ここからだと距離があるのに」
ラグナルが地図を指でなぞる。
「グノームの御業で大地に力を加えるのです。まあ、そうなるでしょうな。……大丈夫ですぞ。オェングス様のお描きになられた設計図は素晴らしいですからな。ご成長なされたご様子、誠に喜ばしく」
嬉しそうに目を細めるエンガディナに、ラグナルが笑みをこらえたような顔をすれば、オグの方はそっぽを向いている。
皆の前で挨拶をしたときのラグナルは立派な領主の顔をしていたが、今はリンの良く知る、兄大好きなラグナルの表情を見せている。
「……城や街は大丈夫でしょうか。来賓にも昨日のうちに知らせは出しましたが」
ラグナルが心配そうに言えば、エンガディナが心配ないと笑った。
「ライアン様が水脈と大地の様子を常に見てくださっております。これ以上にはなりますまい。ご来賓は、何か見えないかと今頃窓に貼り付いていることでしょう。見学希望を断ることの方が大変でした」
ライアンが一か所目の完了報告を受けた。
「リン、次の箇所からはもう少し揺れる。座っていたほうがいい」
「大丈夫。踏ん張ります」
地震は怖いが原因がわかっているし、グノームが付いている。
それに大地の揺れにはきっと誰よりも慣れている。
「では次だ」
ズズズ、ズンという縦揺れが続き、最後に大きく、ぐらりと揺れた。バリバリ、ガラン、ズ、ズズ、ドーンとぶつかるような怪音が響く。
「うわ、大丈夫ですか?」
派手な音にリンが聞けば、ライアンがうなずいた。
「必要のない岩が落ちているだけだ。ただ、早めに終わらせよう。リン、オグ、行けるか?」
まだ二か所目の完了報告が来ていないのに、ライアンが急かせ、リン達三名はテーブルから少し前に出て並んだ。
「私が水脈を確保している間に、リンは一気にグノームに力を。オグは同時に細部を詰めていってくれ」
「はい」
「ああ、わかった」
設計図はオグの手にある。リンの手には乾燥グノーム・コラジェの根が握られ、準備万端だ。甘味を付けて乾燥させたから、いくらでも食べられる。
「それでは、はじめようか。シルフを各所に飛ばす」
「あ、ちょっと待て! 何かおかしい」
横に並ぶオグを見上げれば、ウェイ川の向こうを見つめている。
その視線の先にずらりと人が並んでいるのが見えた。
「シュージュリー兵か」
「ああ。向こうの砦の守備兵のようだな」
ライアンもそれに気づいて、厳しい顔をしている。
ウェイ川の向こう岸は、こちら側より低くてよく見えるのだが、見ている間にも盾や弓を手に持った兵が走ってきて、列が伸びている。
盾をこちらに向けて構え、臨戦態勢だ。
「どうかしましたか」
後ろからラグナルの声が聞こえ、リンは場所を明けた。
「それが……」
横に並んだラグナルの前に、それ以上前に出るなと言うようにオグが手を突き出した。
対岸を見て、ラグナルも困惑を見せる。
「いったいこれは……」
ライアンがシルフを呼ぶと、対岸からすーっと風が吹き寄せた。その風に音が乗っている気がして、リンもじっと耳を澄ます。
リンの肩先にシルフが立つと、耳元で声が聞こえて来た。
『どぉぅしたんじゃあ』
『ふっしぃぎなおっとがぁ』
『ひぃやぃぃぁぁ。あぁれは、賢じゃぁじゃあ』
『にぃげるなぁ』
『まもっりをふっやせぃ。こぉっるぞーぃ。いっしが飛ぶぞーぃ』
少し独特の訛りがあるが、リンにも意味がわかった。
「あー……」
ライアンも、はあっと息を吐いた。
「どうやら警戒をされたようだ」
「警戒?」
「『賢者がいる。守れ、凍るぞ、石が飛ぶぞ』といった感じだな」
ラグナルの後ろに立っていた、エンガディナがふっと笑った。
「道理でしょうなあ。あの時はなんでも飛びました。向こう岸がこちらより低いのは大賢者様がだいぶ張り切られたからで」
リンは向こう岸に並ぶ兵にちょっと申し訳なくなった。
ここは砦跡だ。それも過去に戦場となり、崩れ、川の流れが変わったほどの。
突然異音が響き、砦に賢者のマントが見えれば、それは怖いだろう。また岩が飛んでくるかもしれないのだ。
「よく怯えずに、あのように並んで……。偉いですねえ」
相手の兵に心から拍手を送りたい。
アルドラに立ち向かったのだ。トラウマになっていてもおかしくない。
「リン、おまえなあ……。しかし、ライアンどうする? 向こうが怯えて弓の一本でも飛ばせば問題になるぞ」
オグが呆れた。
「それは困ります。結婚式のため、事前に人が集まることは伝えてあります。もし誤解されれば、こちらが嘘を吐き、戦のために兵を集めたと言われかねません」
ラグナルも即座に言う。
「『拡声』で事情を説明する」
「お願いできますか?」
ライアンがうなずいた。
「シルフ。ソーノス『突然騒がせたことをお詫びする。我々に侵略の意図はない。ここには新たな施設が建つ』」
ひゅっと鋭い風が吹き、シルフが向こう岸へ声を運ぶと、互いに顔を見合わせているようだ。
列の横から一人が前に出てこちらに向かって叫び始めた。
ライアンが指をくるりと回すと風の向きが変わり、声が響き渡る。
「『守備隊として伺いたい。そちらは新たな砦を作られるのか!』」
『ほっんとうかのぅ』
『うぅっそにきぃまってる』
『賢じゃぁがつっくるんじゃぁ。あっぶなぃぞぃ』
相手の代表の声だけじゃなく、並ぶ兵の声まで運んできた。
「信用されていませんね」
ラグナルが眉を寄せた。
「まあ、当然そうなりますかのう」
「警戒はされるわな」
「結婚が知らされているなら、それに関連したお祝いの建設だと言ったらいいんじゃないですか?」
「それがいいか」
「『いや、違う。結婚祝いの施設になる』」
『うぅっそじゃ』
『いぃわいにとっりでかぁ』
『あっらたな領っ主は戦ずっきかのぅ』
「『こちらに新たな入浴施設がつくられる』」
説明したらピタリと声が止まった。
「あ、納得してもらえたのかな?」
その後すぐにまた、ひと際賑やかな声が聞こえて来た。
『よっい祝いっで』
『ええのぅ。しっんこんじゃあのう』
『めっでたぃ』
『ほぅほぅ。ひっろいふぅろじゃろなぁ』
『ひっろぃふぅろがよいじゃろぅ』
『めっでたぃ。しっんこんじゃ。ふぅろはだいじじゃ』
「『理解した。ご結婚をお祝い申し上げる』」
こちらに手を振る者もいる。
皆、風呂好きだ。リンは嬉しくなった。
「はぁぁぁ。緊張が解けたのはいいのですが、なんだか別の大きな誤解が……」
ラグナルが聞こえてきた声に大きなため息を吐いた。





