Hot Spring 3 / 温泉 3
結婚式を控え、その準備と来客のもてなしに忙しいラミントン領主とその近侍たち、その式のために来ている賢者を、温泉のために拘束できるわけもない。
施設の土の設計図は自動的にオグに任された。
ただ、いくらオグが領主の兄だとはいえ、公には彼の名には線が引かれ、ラミントンから離れている。任せきりにするわけにもいかず、記録にその名を残すこともできなかったようで、術師ギルドから優秀な土の術師たちが派遣されてきた。
再会の喜びに揺れるシッポが見えそうな領主が兄と呼び、周囲の者もそのように扱っているので今更だと思うのだが、そういう面倒な体裁が必要らしい。
ただでさえ魔法陣で手一杯の忙しい時に浴場を建てると聞かされた土の術師たちは、最初は怒りをこらえて真っ赤な顔をしていたが、今では温泉施設に真剣に取り組んでいる。
別館とはいえ領城内に滞在しているリンとオグよりも前に、一番乗りで会議室にやって来ていた。
今日もオグとリンが座るテーブルの向こう側で、すでにローブを脱ぎ、腕をまくったくつろいだ姿をしている。
彼らの前には四角い土のブロックを使った部屋の模型ができていた。昨日までそんなのはなかったのだから、朝早くからやっているに違いない。
「我々はこれからも『濃霧 改変版』の陣を刻まねばならぬのです。それならば蒸気浴施設は必須でしょう!」
「ええ、ええ。あの悪魔の魔法陣を刻み始めてから、首と肩が騎士鎧のようにガチガチで」
「私もです。最近は背中まで覆われたようです。蒸気浴ならそれが解けるというではないですか」
「ギルドの会議室を三つ、四つ、潰してでも施設を作りましょうぞ!……オェングス様、良いですかな? ご領主様とギルド長に口添えをお頼み申しますぞ」
ここに来ているのは、あの悪魔の魔法陣を刻めるベテランの術師たちばかりだ。
当然オグのことも良く知っている。学友としてオグと王都で過ごした者がいるし、オグの幼い頃に精霊術の家庭教師を務めていた者もいる。
「わかった。わかった。昨日も聞いたぞ」
オグは自分の前に広げられた地図から目を離さず、彼らに向かってぞんざいに手を振ると、ぼそりと呟いた。
「……会議室は四つもないだろうによ。何度も同じことを繰り返すのは歳かね?」
「オェングス様、何か、おっしゃいましたかな?」
「いいや、なんでもねえよ。……チッ、シルフの加護はねえはずなのにな」
オグは彼らが来てからとても楽しくやり合っている。
「これがライアン様が調整された蒸気浴用の魔法陣ですが、この強さですと三か所の設置で足りるでしょうか?」
「いや、『火の温め石』との距離を取ったほうが効率が良いかもしれんの。座席の裏に……」
術師たちは、温泉施設の中でもとりわけ蒸気浴に夢中らしい。
温泉のない土地でも作れる施設だから、そうなるのも当然かもしれない。
見ていると、土の術師たちはブロックを浮かして模型の内装を変え始めた。
リンは次に側に座るオグに目をやった。オグは難しい顔で地図を眺めては何かを書き込んでいる。
「オグさんは施設全体の配置を考えるんでしたっけ?」
「ん? ああ。オンディーヌとグノームによるとな、湯脈は深い場所にあるが、広範囲にわたっているみたいだ。湯量もたっぷりらしいぞ」
「その地図がこれ?」
「そう。これなら寝湯だとか、打たせ湯とか、すべて作れるかもしれねえぞ。男湯と女湯も十分な距離ができるし、これなら高低差を利用して……」
オグが集中して線を引き始めたので、リンも自分の持ってきた紙を取り出した。
リンが昨日から取り組んでいるのは、おおまかな説明図だ。すでに口では説明してあるけれど、オグは寝湯や打たせ湯を見たことがない。下手をすると寝台のようなものや、滝行にぴったりなものを作ってしまうかもしれない。
リンの絵は設計図にはできなくとも、イメージぐらいは伝えられるはずだ。
「……んー、こんな感じでわかりますかね。オグさん、見てもらえます?」
リンが絵を渡すと、術師たちも気になったらしくテーブルを回って来た。
「ほうほう。ここに最初から段差があるのはいいですな。ふむ。これは窓枠か……?」
「……手すりのようにも見えますが。段差もありますし。これなら先生も安心してお使いになれるでしょう」
そうです。そうは見えないかもしれませんが、手すりです。
リンは心の中で呟いた。
「オェングス様といい、其方といい、人を年寄り扱いしおって!」
「とばっちりだ! ……リン、聞いてもいいか? 打たせ湯も寝湯もこんなに必要か? 一つありゃあいいんじゃねえか? これだと場所を取る」
術師たちに囲まれ、リンの絵をじっくりと見ていたオグが、自分の地図とリンの絵を見比べながら言う。
「えっ? 一つだと待ち時間ができてしまうというか、気を使いますよね?」
「待ち時間を減らすなら、やっぱり一つにしないとな?」
「ん?」
「ん?」
二人同時に首を傾げる。
「まさかっ! 絵が下手なんじゃなく、風呂が大きいのか!」
オグが何かに気づいたように叫ぶと、リンが眉間にしわを寄せた。
「私の絵はそこまで酷いんでしょうか……?」
「いや、うん。まあな」
オグはリンの顔など見ずに適当に返事をして、絵を眺めたままだ。そして、リンに恐る恐る問いかけた。
「……おい、リン、再度確認したいが、この温泉施設は男女で分けるんだよな?」
「もちろんですよ! 最初からそういう話じゃないですか」
「だよな! あー、焦った。ライアンの不機嫌な声が聞こえた気がしたぜ。じゃあ、やっぱり一つずつだろう」
「だからそれだと待ち時間……。あっ! えっ! そうか! うわっ!」
リンは一人焦る。そして、今度はリンが恐る恐る聞いた。
「そうか。そうですよね。お風呂って普通は一人で入るものですよね……?」
シュゼットやグラッセ、エクレールと一緒に数人でおしゃべりをしながら大きいお風呂を楽しむ、なんて、あるわけがない。だから寝湯も打たせ湯も一つでいいと言うわけだ。
まあ、ハンターたちは公衆浴場に連れ立って行っていたようだけれど。
「リン、待て。待ってくれ。俺が怒られる。あー、リンも一人で風呂に入ってるだろ? それが普通だよなっ?」
オグはひたすら焦り、術師たちは気まずげにリンから目を逸らした。
「ええ。大抵そうですね」
「たいていぃぃ⁉」
オグの声のトーンが上がった。
「シロと一緒の時もありますもん」
「あー、シロ! そうかっ。シロ。森のイームスであるシロ。そうだったな。はっはっは」
リンは不審者を見るような目つきでオグを見た。
「……ええと、なんで一つでいいのか、わかりました。でも、あの、ハンターや騎士の皆さんが仕事や鍛錬の後に汗を流したりする時は、一緒になることはありませんか?」
「あー、それはあるな。騎士宿舎には大風呂がある。ハンターズギルドの裏にある水場で水をかぶる奴もいるし。一緒になることもあるな」
「ふうん。じゃあ、男湯には大きな湯舟と複数の寝湯とか打たせ湯もあったらいいですよね」
「そうだなあ」
汗を流すならシャワーが便利だ。
『水の石』と違って、温泉のお湯を通すならシャワーも作れるかも、とリンは口元に手をやりながら考える。
オグはリンの絵を見ながら、術師たちとまた話し始めた。
「ああ、でも残念。大きいお風呂、気持ちいいのに。おしゃべりしたり、景色を見ながら雪見酒とか楽しいのに。せめて家族風呂ぐらいの大きさは欲しいなあ」
オグたちの声がぴたっと止んだのに、リンは気づいていない。
「家族風呂。ご一緒に入られるお方が……」
一人の術師がボソリと呟いた。
オグはまた頭を抱え、術師たちはリンから目を逸らした。
明けまして、から、すっごく経ってしまいました。
遅くなりました。超繁忙期が落ち着いてきました。
次話はそこまでお待たせしないと思います。





