Hot spring / 温泉
ライアンは、夕食後、サロンでオグと一緒にラグナルからの差し入れを味わっていた。
さすが、ラグナルだ。ライアンとオグの酒の好みを、よくわかっている。
夜も更けた頃、リンがサロンに顔を出した。
手に小魚を揚げたというつまみを持っていたが、相談があると言う。
ライアンは、オグとチラリと視線を交わした。
リンのソワソワとした様子から嫌な予感しかしないが、予め相談してくるのだからリンも成長したのだろう。
サロンの長椅子に座ると、リンは腰に付けた鞄から、青と緑が交じったような色をした石を取り出した。
「ほう、それでこの『温泉石』とやらを作った、と」
どうやらリンは自室に「温泉水」とやらを運び、入浴を心から楽しんだらしい。
湧き湯まで案内されたところから、精霊石を作ったことまで、勢いよく説明された。
「そうです。一度使ってもらえば、ライアンたちも良さがわかりますよ。温泉ってすっごいんですから!」
本当に気に入ったようで、「すごい」に、ふんっ、と力を込めた。
「メイドさんが毎日汲みにいったら、大変じゃないですか。それだと洗顔に使うのがやっとでしょう? でもそれだけだともったいないんですよ。 身体の芯から温まるし、風呂上りも冷えにくいんです。まだポカポカしてますよ。肌も柔らかく、しっとりすべすべになったし!」
「リン!」
リンが腕を前に出し、袖をまくり上げて手首を見せようとするのを、ライアンは慌てて止めた。
見せられるのも、風呂上りの肌の様子を口で説明されるのも勘弁してほしい。
オグもそっぽを向いているし、壁際に控えるウィスタントンとラミントンの使用人たちを見れば、そっと視線をそらせた。
大丈夫だ。口外するような者はいないだろう。
「わかった。……わかったから。見せずともよい」
ライアンは、はあ、とため息を吐いた。
「なあ。リンはこの『温泉石』を広めたいのか? 無理だろ? 希少な薬だとか、国の管理の元でしか使えないんじゃなかったか?」
オグは手の中で『温泉石』を転がし、声をひそめた。
「いえ、それがダメなのはわかってます。そうじゃなくて、入浴施設を作りたいなって」
「は? 入浴施設?」
「却下だ! リン、入浴施設がどういうものか、説明を受けたことを覚えているな?」
「お、覚えてますけどっ」
街にある公衆浴場は混浴で、ある種のサービスもある遊興施設だ。
公衆浴場だけあって石鹸の購入量も多く、使用した感想も伝えてくれるお得意様だとリンは喜んでいる。だが、決して足を踏み入れないようにとも言われているはずだ。
「ち、違うんです。私が作りたいのは混浴のそういうサービスがあるのじゃなくって、いえ、女性が喜ぶような別のサービスはあってもいいんですけどっ」
声がより高くなったリンを、オグが慌てて止めた。
ライアンが控えていた使用人たちに向かって手をひとつ振ると、彼らは一礼して、すっとサロンから出ていく。
「おーい、リン。気をつけろよ……」
「全く」
オグとライアンが二人そろって、ため息をついた。
「まあ、なにか違うもんを作りたいらしいことはわかったがな。んで?」
「ええと、あの素晴らしいお湯が流れて、すべてウェイ川に落ちていくのはもったいないなあって思って。崩れた場所もありましたけど、砦の跡だけあって広く平な場所でしたし、湯舟を作って入浴ができればなって。あ! もちろん男女分かれてですよ!」
ライアンは額に手をやってうつむき、オグは腕を組んで天井を見上げた。
「……リンが入浴を好むことは知っていたが、まさか新たに施設を作るほどだったとは」
「ああ。それもラミントンに来てまで、な」
リンは口を尖らせた。
「ただの入浴施設じゃないですよ? なんといっても温泉ですから! 広い海を眺めながらの露天風呂なんて最高じゃないですか。お部屋のお風呂以上の絶景ですよ。身だけじゃなく、心が洗われます。人気スポット間違いなしです」
「あ? 露天? 露天って言ったか?」
「まさかと思うが、外に作るつもりか⁉」
目を見開き、あんぐりと口を開けた二人だったが、やがてライアンが首を横に振った。
「……ありえぬ。部屋以上だと? リン、まさかと思うが、風呂から外を眺めているわけではあるまいな」
「もちろん眺めてますよ? 美しい景色を見るために海側に窓があるんですから」
「不用心すぎる。カーテンはどうした」
「不用心って。ライアン、前は崖ですよ? 窓にくるのはカモメぐらいです!」
オグが言い合う二人を両手で止めた。
「おい、待て。話がずれていってるぞ。入浴施設の話だろ? ……俺も、外はさすがにどうかと思うが」
「施設の建物はまた相談するとしても、温泉はぜひ活用できるようにしたいです。伝わっていないかもしれないですけど、効能は肌がすべすべ、とか、それだけじゃないんです。血行が促進されることで筋肉や関節の痛みやこわばりが消えますし、打ち身にもいいし、傷が治りやすくなったり、ええと、他には疲労回復に健康促進とか! とにかく男性にだって喜ばれること間違いなしです!」
リンは一息に言い切って、ハアハアと息を吐いている。
「リンが温泉を好きなことが良くわかった」
「茶の説明と同じぐらい、力が入ってたな」
「……私のことじゃなくて、効能を理解して欲しかったんですけど」
ライアンが何かを考えるようにしながら、うなずいた。
「ああ。言っていることは理解した。湧き水にそのような効能があるとは聞いたことがないが、湯で出てくると違うのだろうか……」
「そうだよな。湧き水でいいんだったら、今までにもそんな話がでそうだろ?」
オグも首をひねった。
「……リンほど入浴にこだわる者がいなかっただけなのかもしれぬが」
「確かに。汚れを落とすために流すぐらいだよな。男は特にそんなもんだろ?」
「ああ。女性はどうだろうか。ずいぶんと長く時間を取っていると思うが」
「いや、あれは入浴後の肌の手入れとか身支度に時間がかかってんだよ。あ、でな、ライアン、ひとつ教えておいてやる。それをじっと待つのがいい男なんだそうだ」
「……なるほど。まあ、リンのように好みの石鹸を作ったり、塩を風呂に入れようとした者はいなかったな」
「公衆浴場まであるのにねえ」
「いや、あそこは他に……」
会話に入り込んだリンに、オグが答えそうになり、慌てて止めた。
「ああ。目当ては別ですもんね。お湯の質なんて気にしませんよねえ」
わかっている、と言うように、リンはうんうんとうなずいている。
「とっ、とにかく、温泉だ。どっちにしてもラグに言わねえとな。時間があるといいが」
「明日の会合後に少しでも時間をもらえるよう、聞いてみるか」
「うあ。うーん、結婚式前、ですもんね……」
リンが申し訳なさそうに言った。
温泉に興奮していたのが冷めてきて、現実が見えるようになったらしい。
ここはラミントンだ。
「よし、明日だな。じゃあ、俺たちも今夜、『温泉』とやらを試してみるか」
リンの作った『温泉石』にそろって手を伸ばした。
宣伝: お茶屋さんは賢者見習い 3巻 (書籍最終巻)は11月25日発売です。





