Flying Sylph / 飛び交うシルフ
リンが湖畔で精霊たちに貢がれていた頃、リンの家で掃除をしていたメイドは侵入者に怯えて転げながらも、『森の塔』に駆け込んだ。
「なに? 盗人だと?」
館に飛んだ一報を聞いて、賢者の工房 ー現在はリンの住居だがー に侵入するなどどんな不心得者だと唖然とした者たちは、すぐに怒りに震えて動きだした。
シムネルが盗人捜索の本部となった館の一室に顔を出すと、そこにはすでに指示を出す騎士はもちろん、記録を付ける文官に、連絡役の風の術師と、何人もが詰めていた。
人は慌ただしく出入りし、室内なのにシルフの起こす風の流れができるほどだ。
「至急! 城門へシルフを!」
「すでに飛んでいますっ!」
「よし。捜索は各城門から、すべての道を通り、中央広場へと広げよ!」
「はっ!」
「不審者の詳しい情報はまだかっ!『森の塔』から連絡は?」
指示を出していた騎士隊長が、風の術師のテーブルを振り返った。
騎士隊付きの風の術師は第一報を受け取っているが、自分の書いたメモに目を落とした。
「ありません。不審者に付いては、最初に来た『うす茶色のマントを着てフードをかぶり、顔はわからず。小柄で、女性のように思えたが、男性の可能性もあり』ということだけです」
騎士隊長が眉をひそめた。
「この大市で、それだけの情報では……」
側に立つ騎士たちも難しい顔をしている。
「マントもよくある色。脱げば見分けがつきますまい」
「よし。とりあえず、得た情報はすべて城門へ。捜索に当たる騎士すべてに周知を!」
風の術師たちがそれぞれ、一本、二本と指を立てた手を挙げた。
このようにシルフが飛び交う時は、風がぶつかって戻らぬように注意しないとならない。指の本数で、どの塔に誰が連絡するかをお互いに知らせているのだ。
言葉はかえって邪魔になる。
風が交じり合わないように、それぞれが目に入る場所にいながらも離れて座るほど気を配る。
ふっと息を吐いた隊長が、シムネルに気づいた。
「ライアン様に、このことは……?」
「ええ。一報はお伝えしてあります。他に情報は?」
「今はまだ。騎士が見たところ、室内がかなり荒らされているようだ。……中の確認が必要だが、リン様はいつ頃お戻りになる?」
「……ライアン様は船を急がせると思いますので、恐らく夕刻には。家にシュトレンとアマンドが向かっておりますので、まず二人が確認を」
隊長がうなずいた。
「助かる。騎士では元の様子がわからないからな。『森の塔』へ連絡を入れて置こう。……おい、シルフを!」
風の術師は飛んでくるシルフに注意を払い、運ばれる言葉に耳を傾けながら、この場の指示にも対応している。
術師の一人が五本の指すべて立てた手を挙げて請け負うと、隊長はシムネルに向き直った。
「本当にただの盗人でしょうか」
シムネルが眉をひそめて言うと、隊長は続きを促すように眉を上げた。
「いえ、誰もいない時を狙えたことといい、あまりにタイミングが良すぎて……」
「ふむ。家の荒らされた様子から盗人なのは間違いないと思ったが……。見張りも置いたということか。ふむ。シルフを『森の塔』へ。近辺の宿、家をそれとなく探るよう」
騎士隊付きの術師は次々に振ってくる指示に慣れているのだろう。了解の意味でまた手を挙げた。
それを横目に、シムネルもリンの家へ向かうべくその場を離れた。
◇
「おかえりなさいませ、ライアン様」
工房の調査を終え、夜遅く館へ戻ったライアンはシュトレンに迎えられた。
頭の芯がぼんやりと疲れていた。岩山から風と水を操り、その後で工房も調べたのだ。当然だろう。
「リンは?」
マントをシュトレンに手渡し、家族棟の通路を奥へと向かう。
「はい。たいそうお疲れのご様子でしたが、夕食をご家族の皆様と召し上がり、今は部屋に下がられました。シュゼット様がご心配なされて、ご自身の隣の部屋を整えられまして」
「そうか。食事はきちんと食べていたか?」
家では腕をさすり、怖々と怯えた表情を見せていたリンだ。
「考え込むようなところもございましたが、シュゼット様をはじめ皆様方がご気分を変えられるように、ご配慮なされておりました」
「わかった。報告をしたいが、父上は?」
「捜索本部で会議に参加されております。ライアン様をお待ちですが、まず食事を取ってからで良いと」
「いや、先に行こう」
ライアンが会議室に入ると、騎士たちがざっと立ち上がった。
座るように手で示すと、領主の隣の席へと向かう。
「父上、お待たせを致しました」
「ライアン、来たか。疲れたであろう。どうであった」
椅子に腰を下ろしたばかりのライアンに、領主が早速問いかけた。
「侵入者は複数、少なくとも二人はいたと思われます」
「複数だと?」
領主だけではなく、その場には騎士隊長以下捜索本部に詰めていた者もそろっていたが、全員がざわりと身じろぎをした。
メイドに目撃されたのは一名だけで、複数というのは証言にはなかった。
「ええ。予め決めてあったのか、手振りで指示したのかわかりませんが、シルフを通してもほとんど声はなかったのですが」
自分で言っていたように、ライアンは『聞き耳』を使ったのだろう。
「では、どのように複数だと判断したのだ?」
「その場の音とドア向こうの音が同時に聞こえること。音を立てないようにかなり注意していたようですが、逃げる時は慌てたようで息遣いやドアを開く音、足音が大きくなりました。足音は一つではなく、二つか、三つ。……工房で舌打ちをした者は、男の可能性もありますが、足音は軽かったですね」
ライアンが目をつぶり、思いだすように言った。
騎士隊長はそれを聞いて、背後に座っていた風の術師にさっと手を振り、すぐに各城門へシルフを送る。
「では、シルフでも侵入者の素性や目的はわからなかったのだな?」
「残念ながら会話はなく、全く。ただ複数ということと、話し合いを全くせずに動いていたことから計画的に思えること。それから何かを探していたらしきことぐらいしか。……特に工房はひどい有り様で」
「盗られたものは判明したか?」
ライアンが難しい顔で考え込んだ。
「薬草の量が減っているものが多くありました。それから少しですが精霊石も。ただ、工房にあるものはおおよそ把握していたつもりですが、見落としがあるかもしれません。希少なものも残っていて、薬草の知識があったのかもわかりません。薬草を狙ったのなら、すべてをさらいそうなものですが」
騎士隊長が手を挙げた。
「薬草以外のものは? 金銭的に価値のあるもの、など」
「いや、高く売れそうな調度品があったが、動かした跡はあってもそのまま残っている。もとより工房に高価な装身具は置いていなかった。……リンの宝飾品の類は、一階にはない。あれだけすべてを開けて、何を得たのか、それとも得られなかったのかも不明だ。二階に向かおうとした者がいたことで、まだ得ていないと解釈することもできるが。毒物も警戒し、念のため残った食品と薬草は廃棄とする」
その場が静まりかえった。
ライアンが使う『聞き耳』に期待をしていたが、侵入者が複数であったことはわかったが、それだけだ。
眉をひそめて聞いていた領主がため息をついた。
「毒物、か。荒らしたのなら害する目的ではないと思うが、はっきりしたことがわからぬのは不気味であるな」
「ええ。冬にあった森への侵入に、春の大市でのリンへの接触。そして今回。どれもこれも目的を推測はしても不明のままです」
ライアンの眉間に大きくシワがよる。
「ライアン、其方、冬からの件がすべて繋がっていると思っておるのか?」
領主が身を乗り出した。
「……関係ないという根拠も、繋がっているという証拠もありません。冬は森への侵入ですから違うかもしれませんが、春も今回もリンの周囲で起こっていることですし、リンが目的とも考えられます。いずれにしても、どちらもあり得るとして対応が必要かと」
ライアンが視線を投げれば、騎士隊長がさっと胸に手を当て、うなずいた。
続けてライアンが聞いた。
「それで不審者の捜索のほうは?」
「残念ながら……。人の不在をうまく狙ったことといい、長期の見張りがいた可能性も考えてあたってはいたのですが。『金熊亭』などは真っ先に確認しましたが、毎年秋の大市にやってくる常連ばかりとのことで怪しい人物はおりませんでした。なにぶん大市の最中ですし、人込みに紛れられては姿もわからぬ人物のことゆえ、追跡のしようがなく」
「そうだろうな」
リンの家から気になる匂いを追い、騎士を従えて出て行ったシロも、大市の天幕をいくつもぐるぐると回っていたが戻って来ていた。
「我々が道から道へと歩き、目を光らせ、動揺したような表情を見せたものを端から尋問してみたのですが、捕まったのは不良品を騙して売ろうとしていた者に、人込みで獲物を物色していたスリばかりでした。あ、いや、それを事前に防げたのは喜ばしい事ではあるのですが……」
領主が大きく息を吐いた。
「春といい、今回といい、大市の混雑を上手く利用しておるな。人込みに紛れれば、城門など簡単に出られたであろう。閉じ込め、全員を調べるわけにもいくまい」
皆が黙った。
結局わからないことばかりだ。
「考えたくはないことだが、城門を出ていない可能性もある。人の善い商人の顔をしていたり、各地の天幕に隠れていることもありえるだろう」
ライアンが言うと、全員が眉を顰めた。ありえないことではない。
領主が雰囲気を変えるように、手を二回打ち合わせた。
「今ある情報からでは捜索はできぬであろうが、引き続き警戒は続けよ。……各地の天幕をひっくり返すわけにもいくまい」
騎士隊長がさっと立ち上がり、深く頭を下げた。すぐに室内のすべての騎士、術師たちが立ち上がり、同じように頭を下げる。
「侵入を防げず、また、侵入者も特定できず、誠に不甲斐なく申し訳ありません」
大賢者が居を構えて以来、長年『賢者様の工房』として知られ、親しまれた家は、領の重要施設、いや、国の重要施設である。そこに侵入を許し、犯人も目的も不明なのだ。
頭を下げることしかできない。
「いや、もともとあちらには警備を置いていなかった。『森の塔』も近いし、シロもいる。リンも大げさなことを嫌がるからと、警戒を怠ったのは私だ。騎士に責はない」
静かに答えるライアンも、何かを押し殺したような顔を見せた。
「いえ、それでも」
騎士隊長はライアンの言葉にも、さらに深く頭を下げた。
迷いに迷い、まだ何か不足がある気がしている話で、申し訳ないのですが。
台風のニュースを聞きました。どうぞお気を付けて。





