閑話:Cleaning Up / 後片付け
腕の中にするりと飛び込んできたリンがくたりと力を抜いたのを、ライアンは慌てて抱き留めた。
「リン! リン!」
またかと焦って名を呼ぶが、目を開けないままだ。
ライアンはリンの顔色を確かめ、額、頬、首元と、手を滑らせて体温を確かめる。首元に置いた手には、リンの脈がしっかりと伝わってくる。
オグたちも側に駆けつけた。
「ライアン! リンは水の不足か?」
尋ねながら腰に付けたバッグに手を伸ばしているのは、水の補充薬を取り出そうとしているのだろう。
「……いや、顔色は少し赤いが重症ではないと思う。呼気も熱も、脈も問題ない。それに、この程度ではリンに大きな負担はないはずなのだが」
近寄ってきたシロが、目を覚まさぬリンの目元をペロリとなめた。
「うぅん……」
皆が見つめる中、リンは小さく声を出すとふにゃりと笑った。そのまま身じろぎをして、あろうことか抱きかかえるライアンの腹に顔を押し付けてくる。
ライアンはこぼれそうになる声を奥歯で噛みしめた。
「……穏やかであるな」
タブレットが顔を覗き込んだ。
リンは口元をモゴモゴと動かし、平和な顔をしている。
「なあ、これ、リン寝てねえか?」
「……」
「リンにしちゃあ飲んでたしなあ。それで走り回ったら酔いも回るだろ?」
「つまり、酔っ払いか」
安心とともに、はあ、とため息が出た。
しばらく酒を控えさせるぞ、全く。
「おいし。ふふふふん」
夢の中でなにを食べているのだろうか。リンが突然笑い出した。
かわいい酔っ払いだが、のんきすぎる。
外で飲むのは止めさせたほうがいいだろう。
「ライアン、そのまま寝かせてやるが良い」
「ああ」
顔を上げ、辺りの惨状を見た。
美しい調和を見せていた大ホールは一面の水浸しだ。
床だけではない。壁も、壁際に置かれた布張りの椅子に長椅子、小テーブルやコンソールなど、美しい木製の調度品もすべて。
賢者作のオンディーヌ像もびしょ濡れだが、これは問題ないだろう。自業自得だ。
どこから入ったのか、枯れ葉や木くずなども散らばっている。これはつむじ風を巻いていたシルフのせいだろう。
全く精霊の酒癖があそこまで悪いとは。
「秋の嵐が吹き去ったようだな」
「ひでえな。あー、これを片付けるのか……」
幸いにも、リンが倒れたことに驚いてオンディーヌの暴走は止まった。
下から滝のように吹き上げていた水は静まり、今は水場と水路を流れる音だけが聞こえてくる。
酔いが一気に醒めたのだろう。オンディーヌがオロオロとリンの周囲を飛んでいる。
オンディーヌへの説教は後だ。
ライアンはリンを抱えたまま立ち上がった。
「ユナン、すまないがリンの着替えを頼みたい。このまま寝かせるわけにはいかないからな」
「ライアン、こちらは片付け始めるぞ。ヤナン、布をなるべくたくさん持って来てくれねえか?」
バタバタと周囲が動き回るなか、階段に足をかけた。
「シロ、ここで待機だ」
「ウォーウ!」
「ダメだ。お前が一番びしょ濡れなのだぞ? 部屋には入れられぬ。まずリンを乾かして、その後お前だ」
「シロ、私が乾かしてやろう」
抗議の声を上げるシロをタブレットが押さえた。
「タブレット、すまないが……」
「ああ。任せておけ。シロ、其方は私の部屋で休むが良い」
タブレットはヤナンが持ってきた布を一枚受け取り、シロにバサリと掛けている。
再度階段に足をかけると、脇の通路からリンのサラマンダーが一直線に飛んできて、ライアンにぶつかった。
「サラマンダー、マネイック」
「ドウチテー!」
リンの上に飛び乗ろうとするのを、ヒョイと避ける。
ただでさえ水の気が弱いのに、サラマンダーが近づけばリンの熱が上がる。
リンのためだと言えば、手足をばたつかせ暴れ始めた。
「イヤー!」
「ダメだ」
「イヤー!」
お前のせいだと言うように、オンディーヌに向かい火花を飛ばし始めたのを、オグがガシッと捕まえた。
「おっと。これ以上、お前にも暴れられたらたまんないぜ」
「ハナチテー! イヤー!」
「ほら、よーしよし。いい子だな」
リンはサラマンダーを甘やかすが、今日のサラマンダーはいつも以上に甘えて、リンにべったりだった。
幼子のように駄々をこねているが、オグに任せれば大丈夫だろう。
騒ぐ声を背に、リンを部屋に連れ帰った。
◇
リンを預けて階下に戻ると、濡れた調度品は通路に運び出されていた。
ほうきで掃くように水を集める者や、布を持ち拭く者、皆せっせと動いている。ロクムまでも手伝っている。
オグはオンディーヌを使って床の水を集め、ヤナンがその水を水桶で汲み出していた。
リンのサラマンダーがオグの肩に乗り、首に抱き着いている。
「オグ、タブレットは?」
「ああ。シロを連れて部屋に戻ったはずだ。……さすがに、アイツに掃除はさせられねーよ」
「そうだな。私はあちらの方からシルフを使うか。風を通して乾かした方が早いだろう」
乾けば、あちこちにペタリとくっついている木の葉や木くずも取りやすいだろう。
もう夜も遅い。早く終わらせなければ。
柔らかな春の風をホールに吹き渡らせていると、オグがやってきた。
「ライアン、悪いが『温風石』を作れるか? ここは一晩置けば乾くが、俺たちのコレは一晩じゃ乾かねえだろう?」
衣装はかなりの濡れ具合で、肌に貼り付いて気持ちが悪い。
一泊の予定だから、皆、着替えも持ってはいない。
「着替えぐらい持ってくるべきだったか……」
「仕方ねえよ。コレは想像もしていなかったしな。オンディーヌの酒癖なんて、聞いたこともなかったぜ」
大きな事故が起こる前に、国中の術師に通達すべきだろうか。
だがその前に。
「とりあえず『温風石』だな。皆に配ってやりたい」
「ああ。魔法陣は手伝うぜ」
先ほど『温め石』だけではなく、『温風石』も作っておくべきだったと思いつつ話していると、階上からタブレットが降りてきた。
「どうした?」
「ああ。シロがな、浴室の扉前から動かない」
「入りてえのか」
「風呂好きと聞いてはいたが、あそこまで頑固に居座るとはな。先ほど拭いてやったばかりなのだが」
タブレットはおかしそうに笑っている。
「リンも風呂にはこだわりがあるようだから、似たんだろうぜ」
「……タブレット、シロを風呂に入れられるか?」
ライアンの問いに、タブレットはピタリと固まった。
「自慢ではないが、風呂に自分一人で入るのは今日が初めてだ」
「だろうな」
「自慢になんねーよ。いいぞ。ライアン行ってやれ。『温風石』は風の石のほうだけ頼む」
「わかった。タブレット、私も行く」
「すまぬな」
シロを洗ってやるついでに、タブレットも風呂に入れてやればいいだろう。
ライアンはそっと、今夜何度目かのため息をついた。
国中への通達前に、精霊には禁酒を言い渡すことに決めた。





