The Rocky Mountain in the South 5 / 南の岩山 5
この「南の岩山」の部分全体がいらないんではないかと思い、かなり悩みました。
ですが、ここまで書いてしまったので、このまま進めます。
今回の更新分には、「お茶屋さんは賢者見習い」書籍版の1巻と2巻のみに加筆したことが書いてあります。
『火の温め石』をつくる祝詞の一部(1巻)と、水の精霊石に刻む定型の文言がある(2巻)です。書籍版を読んでいなくても問題ないと思います。
離宮に入ってすぐの大きなホールの床には、美しい花模様が広がっていた。
「すごい……!」
「おお、これは見事だな」
リンは目を瞬き、ここを初めて訪れたタブレットやロクムも、ぐるりと見まわしている。
入ってきた扉の方が高い位置にあり、数段のステップを降りるとそこが大ホールになる。天井は吹き抜けで高い。
その中央には水場があって、湧き出た水がホールいっぱいに巡らされた水路を流れている。水路はオンディーヌの彫像と同じような真っ白な石でできているようだが、これが大輪の花を思わせるような模様を描いているのだ。
正面奥には二階に上がる大階段があり、左右には廊下が伸びているのが見えるが、どちらも大ホールからステップを上がらないとならない。
つまり、四方から美しい水路を俯瞰できるのだ。
さすが水の賢者らしいこだわりだ、と言うべきだろうか。家の中にも水路を巡らすとは、徹底している。
そして、水場にはもちろんのこと、水路のところどころにもオンディーヌの像があった。
「まさか中にも水路があるとは思いませんでした」
ヤナンは扉の横に持っていたランプを吊るすと、ステップを降りはじめた。
「ここに水場があるのは実用的でもあります。冬場は湖も、水場も、屋外にあるものはすべてが凍り付きますから。こちらの一階を冬越しに使う許可をいただいて、本当に助かっているんです」
実用的なものを美しく作ってしまうのが、水の賢者だ。オンディーヌに捧げるためにがんばったのだろう。
水路と水路の間の通路をヤナンに付いて進む。
「皆様のお部屋は二階になります。……ああ、参りましたね」
左手の廊下から、ユナンが数名の男女を連れて戻ってきた。
嬉しさと緊張が混じったような顔をして、礼を取るしぐさがどこかぎこちない。
ユナンが代表して口を開く。
「不慣れで失礼があるかもしれませんが、あの、里の者がお着替えを手伝います。すぐにお湯も運びますので」
ライアンがそれに首を振った。
「いや、気遣いはありがたいが、手伝いは不要だ。湯も、ああ、いや、タブレットは手伝いが……」
「問題ない。一人でも大丈夫だ。練習してきたからな」
「練習? えっと、着替えの?」
リンは思わず突っ込んだ。
「ああ。できなければ一人ではやれぬ、と、バクラヴァが言うのでな」
タブレットが少し得意げだ。
思い返せば、タブレットの周囲にはお付きの者が多かった。一人で着替えなどしたことがないのかもしれない。
「では、大丈夫だな。リンも問題ないだろう?」
「もちろんです」
「湯も『水の石』と『温め石』で……。ああ、いや、持っていても風呂には小さいか」
リンはうなずいた。『水の石』も『温め石』も、お茶用に常に携帯しているが、今回は荷物は最小限にしたため、お風呂用は持って来ていない。お風呂がある場所に泊まれるとも思っていなかった。
「だなあ。俺はもともと『温め石』は常備していねえよ。『水の石』も緊急用だしな」
オグが言う。
「『水の石』はたしか荷物に入れられていたと思うが……」
タブレットは持っているかどうかもあやふやだ。
「両方持っておりますが、風呂には足りないかと」
「そうですね。精霊石シリーズは常に携帯しておりますが……」
ロクムと、一緒に来た文官も応える。
「わかった。私は『水の石』を作る。リン、『温め石』の方を任せられるか? 多めに、大きさも数種類頼む」
「はーい」
ライアンとオグからそれぞれフォルト石の小袋をもらい、リンは壁にある大きな暖炉に向かった。
まだ火は入ってないが、準備は整っている。
「あの、この部屋の暖炉は、水の気が強いせいか火の加護が届きにくいのです」
ユナンが心配して来てくれたようだ。
「まあ、サラマンダーには居心地が悪いかもしれませんねえ。がんばるようにお願いしましょう」
リンのお腹にしがみついているサラマンダーをそっと支え、暖炉に下した。
「サラマンダー、お願いね。『インフラマリオ』」
パチリと火花が飛び、すぐに木くずが弾ける音が聞こえる。
「うわっ。こんなに早く火が起こることはないんです。やっぱり火の加護がある方は違いますねえ」
ユナンが興奮し、慌てて小さな木片を足してくれる。
炎が木をなめ始めると、待ちかねたサラマンダーがそこに飛び込んだ。
ぐわっと一段と大きな炎があがる。
「そうだ。火打石を使う時でも、ヴァルスミア・シロップ、うーん、蜂蜜でもいいかな。甘い物を小皿に少し入れて置くと、サラマンダーが力を貸してくれるかもしれませんよ」
「甘い物、ですか?」
甘い物と火付けになんの関係があるのか、と、ユナンはきょとんとした顔をしている。
リンは秘密を共有するように声を潜めた。
「精霊の好物なんですよ」
「ええっ! まさか。それで?」
驚きにユナンの口調が乱れた。
「ふふっ。たぶん効くと思いますよ」
リンがいたずらっぽく笑った。
「この里はサラマンダーに嫌われるのだけが問題だったんです。それが蜂蜜で解決する……?」
この方法がすでにヴァルスミアの術師の間で『賢者の秘術』として密かな噂となっているのは、リンは知らないことだった。
「さて、と」
暖炉にフォルト石を掴み入れながら、横にいるユナンをちらりと見る。
一人で作る時と違って、どうやら祝詞を使わないとダメなようだ。
ライアンに暗記させられた祝詞を思い出しながら、口に出す。
「サラマンダー、お願い。力強き浄化の炎をこの石に宿してください。カレスコ ペローディネム……」
サラマンダーが火の中からひょこりと顔を出し、キョロキョロと見回した。
「……チロップ?」
思わず祝詞が止まる。
どうやらリンの声が聞こえていたらしい。
小首を傾げ、まん丸な目でじっと見上げるサラマンダーのかわいらしさに身もだえながらも、リンはコクコクとうなずいて約束した。
出来上がった『温め石』を灰取りバケツに入れたら、かなり重い。
ユナンと二人で持ち、そろりそろりと皆の元へ戻ると、ライアンとオグは水場に腰掛け、『水の石』に陣を刻んでいた。
ヤナンも作成をしているようで、水場から『水の石』を取り出している。
他の者も水気を拭ったり、木箱に積み上げて手伝っている。
「お、そっちもできたか、貸せ、貸せ」
オグはバケツを受け取ると、早速グローブをはめて『温め石』を取り上げる。
魔法陣はライアンとオグにお任せだ。『温め石』の陣は複雑で、まず覚えてもいないし、リンがフリーハンドで描けるとは思えなかった。
「かなり作りましたねえ。 ……私も、もっと作ったほうが良かったかな」
「いや、これだけあれば冬の間足りそうだけどな」
多めなのは、やはりここに置いていく分だったらしい。
ヤナンが水場の横で頭を下げた。
「本当に助かります。魔法陣は土の術師が来た時か、ヴァルスミアまで持って行ってお願いしないとならないので」
「いや、我々が使うついでだ」
ヤナンが再度、頭を下げだ。
賢者をはじめ、複数の加護持ちがいるヴァルスミアが特別な環境であることはもちろんだが、普通の小さな村ではそのようなものなのだろう。
そうであれば、精霊石は案外使いにくいものなのかもしれない。
ライアンとオグが陣を刻む横で、リンは出来上がった石を木箱に並べはじめた。特に『温め石』はぶつかり合わないように、布にくるんで入れる。
「ん? え、まさか、これって……」
リンが顔をひねるようにして、水場のふちを眺めた。まっすぐではなく、それがぐねぐねとうねって、模様になっているのだが。
「リン、どうした?」
「あ、ライアン、ちょっと立ち上がってください。オグさんも」
「なんだよ?」
二人を立ち上がらせたリンは、納得したようにうなずいた。
「やっぱり。これ、この水場の模様って……」
「ああ、それのことか」
「ですよね! 水の魔法陣に刻む、定型の……」
「だな」
水場をぐるりと囲むふちは、オンディーヌの美しさを称える古語になっている。
「うわあ。ホントにもう……」
ここまでくると、さすが水の賢者というよりは、呆れるばかりだ。
「リン、ため息をついてどうした?」
「いや、水の賢者の愛が重いっていうか……。うん、なんだろ。もう、お腹いっぱいな感じ?」
「まあな」
ライアンが肩をすくめた。
「今更だろ? 水の術師は、毎日コレに向き合っているぞ。祝詞も魔法陣も。なあ。ヤナン?」
オグの問いかけにヤナンが苦笑した。
「ええ。ですが、その情熱のおかげで水の術が大きく進歩したわけで。オンディーヌは気まぐれですから、定型文言でお力が借りられるのであれば、かえってありがたいというか」
「だよなあ。すねられると機嫌が直るまでめんどうだ」
「精霊の機嫌は大事だな」
サラマンダーは扱いづらい精霊の筆頭だが、オンディーヌもどうやらそうらしい。
いずれにしても、ここにいる水の術師たちは、水の賢者ほどの情熱はなさそうだった。
●お知らせ
九堂絹先生によるコミカライズ版「お茶屋さんは賢者見習い」が、
FWコミックスオルタ様にて、4月15日に配信開始となります。
どうぞよろしくお願いいたします。





