The Rocky Mountain in the South 4 / 南の岩山 4
「ああ。 ……うん。まあ、ないわけがないか」
島の船着き場にあったものを見て、リンはだれかに問うまでもなく、納得の声を上げた。
目に入ったのは、宵闇に浮かび上がる白いオンディーヌの像だ。
桟橋の横に座り、湖面に手を伸ばそうとしている。
オンディーヌの像はこの国ではどこでも見られるが、この顔立ちは賢者作だろう。
ちなみにヴァルスミアの森の前にある水場の像も賢者作で、それがリンのオンディーヌのイメージになったのだから、毎日見る顔である。
ヤナンとユナンがクスクスと笑った。
二人とも学生時代に王都にある「賢者作のオンディーヌ像」を探し回ったクチだろう。
「この島にも四十ほどありますので、子供のころは数えながら歩いておりました」
「そんなに?」
リンは桟橋から続く小道に目をやった。
さほど大きくない島だ。
「彫像だらけではないですか?」
「庭に、屋内に、それから館の壁面飾りにもなっておりますので」
ヤナンが言えば、ライアンがうなずいた。
「明日の朝、庭を散策すると面白いと思う。高低差のある水路が巡らせてあって、オンディーヌが手に持つ甕から水が溢れたり、水の扉が開いたり、水滴で音の鳴る所もある」
船着き場から一番近いのは通用口のようだが、正面へ回るように小道案内されている。明るければ、庭を楽しみながら行けるだろう。
「水に囲まれ、水を楽しむための島なのだな」
ライアンの説明にタブレットが関心をもったようで、そのままヤナンに水路はどのあたりにあるのか、と聞いている。
「島全体が水の庭ってことですか。オンディーヌに魅せられてここまで、って、もはや執念を感じますよね」
リンが言えば、ライアンとオグがうなずく。
「そうだな。水路のあちこちにオンディーヌが休めるような場所まである」
「造形も凝っているよな。よくできてるよ。水の術で有名な賢者だが、土の術も相当なもんだったろうぜ」
話しながら歩いていると、建物に近づいた。
その壁には赤い丸いものが、ずらりと並んでいる。
なかなか面白い光景だ。白い壁の洋館に、干し柿のようなものが吊り下がっている。
長い紐に結ばれているようで、縦に十数個並び、それが壁一面にある。でもガルシュカーチは、マチェドニア皇国産だったはずだけれど。
「……えーと、あれは、ガルシュカーチのように見えるんですが」
ユナンが慌てはじめた。
「あっ! 申し訳ありません。お客様を予定していなくて、片付け忘れました!」
「急に来たのはこちらだ。かまわない」
ライアンがリンの右肩をポンと叩いた。
「リン、あれはガルシュカーチではない。フルクタの実だ」
オグもリンの左肩に手を置いた。
「別名『オンディーヌの賜物』だな。俺はガルシュカーチよりも好きだな」
「オンディーヌの賜物……?」
壁に近づくと、干し柿とは違うのがわかる。
水風船のようというか、ピンと皮が伸びていて、まん丸に膨らんでいる。
とても干してあるとは思えない。
「なあ、ヤナン、そろそろじゃねえか」
「良さそうだな」
オグとライアンが手を伸ばして触っている。
「ああ。これか」
「このように作られているのですね」
タブレットもロクムも心当たりがありそうだ。
リンだけがわからない。
そっと触ってみると、重い。それに皮も柿よりも固い殻のような感じだ。
「そうですね。そろそろ良さそうかと。今年は夏の暑さで収穫が早まりましたし、いつもより早くお届けができそうです。……もしよろしければ、今夜一つ割ってみますか?」
「ああ、いいな」
「やったぜ!」
ライアンとオグが力強くうなずく。
「フルクタ。私は初めて食べますね」
「リン、これはな、食べるんじゃねえんだ。飲むんだよ」
「ん? 飲む? 液体ってことですか?」
紐からフルクタを外したヤナンが、それをリンに渡した。
耳元で振るとチャプチャプと水音がする。
「ほんとだ。果汁たっぷりって感じですね」
「果汁ではなく、酒だな」
「えっ! これ、お酒の実ってことですか?」
リンは手に持った実をマジマジと見た。
「酒の実か。いい名だ」
オグがニヤリとした。
「去年は冬至に館で供されたが、そういえばリンはフルクタを試していないな」
果実を酒に漬け込んだ果実酒や、それこそシドルのような果実が原料の酒はたくさんあるが、酒の実は初めてかも知れない。
「試してみたいです」
「ああ」
ライアンやオグの嬉しそうな顔からして、強い酒なのかもしれない。
「リン、この酒も水の賢者が作ったんだぞ」
「えっ、作った?」
リンは手に持った果実をひねくり回した。
どこかに切れ目があるわけでも、魔法陣が書いてあるわけでもない。
「でもこれ、普通の実に見えますけど、これで醸造とか、なにか加工されているんでしょうか」
どうやったのか、全くわからない。
「いや、加工はされていない。作ったと言うよりは、命名した、というのが正しいか」
「フルクタ、じゃなくて、『オンディーヌの賜物』の方ですよね」
水の賢者が普通の名前を付けるわけがない。
「ああ。まあ『賜物』と言いたくなるのもわかるんだけどな。ヤナン、ユナン、リンに話してやってくれ」
オグが頼めば、ヤナンが笑ってうなずいた。
「この地に伝わっている作り方と、王都に保管されている賢者様の記録をユナンと二人で調べて推測したのです」
ユナンが慌ててうなずいた。
「賢者様が館を建てられてから、賢者様の滞在時にお仕えしたり、館の管理をする者が、この地に住まうようになりました。ある年、賢者様がフルクタの実をたいそう好まれた、と」
ヤナンが後を引き受けた。
「賢者様のためにさらに採りに行き、この島へ運ぶ途中に誤って、湖の中ほどに籠の一つを落としてしまったそうです」
「フルクタの実は収穫して十日ほど置いてから食べるのです。しばらくして、食べ頃になった実を賢者様に差し上げてその話をすると、賢者様はおもむろに立ち上がり、湖まで行くと水のお力で籠を引き寄せ『月が三度満ちる間風に当てよ』と申されたのです」
「ふむふむ」
代わる代わる説明する二人にリンは合いの手を入れた。
このような昔話は本当かどうか怪しいことも多いのだが、賢者が力を使って湖から物を引き上げられることを、リンは良く知っている。
「ここからは賢者様が残された記録にあったのですが『引き上げた果実に麗しきオンディーヌが優しく触れると、果実が月の光に輝きを増した』と」
「うーん。さすが、というか、いかにも水の賢者が書きそうなことですねえ」
この辺りは、話半分に聞いた方がいいかもしれない。
「そうだな。続きを」
ライアンがうなずくと、続きを促した。
「そこから先は、ええと、書いてあった通りに申し上げますね。『三月の後にかの地より送られてきた果実は得も言われぬ華やかで馥郁とした香りを放ち、実を割ると芳醇な酒がこぼれいでた。慕わしきオンディーヌの申した通り、その酒は確かに私の好みであった』」
ユナンがちらりとヤナンを見る。
「『かの地の湖のように気高く冴え澄んでいながら艶めかしい。清涼な水を含むかのように爽やかでありながら、絹のようになめらかに優しく喉を撫で落ちる。そのはかなさ、まろやかさは、掴んだと思えばするりと腕を抜ける、我が愛しの君を思わせる。我が君の甘き慈愛に心が震える。この酒はオンディーヌの賜物であろう』」
「はあ。……水の賢者の酒のみっぷりが良くわかりますね」
それに水の賢者にしか書けない酒評だ。半分以上はオンディーヌ賛美だけれど。
「湖に漬け、風を通し、手順を守って、今でも同じ作り方をするのです」
「へえ」
「この実を持ち帰り、ヴァルスミアの水に漬けたこともあるが、酒にはならなかった」
「……試したんですね?」
ライアンは当然だ、と、言わんばかりに真面目な顔でうなずいた。
「不思議ですねえ」
ヴァルスミアの聖域といい、この精霊の憩いの地といい、精霊の力には理解が及ばないものがあるのだろう。
まあ、精霊の気まぐれ、と言われれば簡単に納得できるぐらい、リンも精霊に慣れてきたけれど。
「だから『オンディーヌの賜物』ってえのも、わかる気がするんだよなあ」
皆で吊り下がっているフルクタの実を眺める。
ユナンが恥ずかしそうに言う。
「あの、お館の壁にこんな、申し訳ありません」
「いや、仕方ねえだろ? この作業が必要なんだから」
「いえ、あの、今はまだ湖も凍っておりませんし、ここが安全なんです。湖畔だと不心得を起こすものがいて、持ち去られるといけませんし……」
「防犯上の理由ですか」
「三分の二は、ライアン様をはじめ、ヴァルスミアのご領主様にお届けするんです。国王陛下にも献上されると聞いております。残りは我々の冬の楽しみとなるんですが、それを知っている者が先に少しばかり、と、手を出しかねませんので」
舟はしっかり見張っておりますから、と、ヤナンがキリリとした顔で言う。
「……つまり皆さんが、出来上がりを楽しみにしている、と」
「もちろんです。この酒が嫌いな者がおりましょうか」
ヤナンが言う。
リンがクルリと見回すと、その場にいた誰もがうなずきながら、玄関の方へと向かう。
「リンも今夜味わってみるといい」
「さあて、酒飲みが、酒の実を試そうかねえ」
「今年の出来はどうであろうな」
「一年に一度の楽しみですからねえ」
皆の移動を待っているユナンの顔を見ると、ユナンもにっこりと笑ってうなずいた。
「おいしいので、ぜひ召し上がってください」
リンもうなずいて、酒飲みたちの後を追った。





