休憩:とある優秀な土の術師の述懐
ウィスタントンの加湿器が登録された後の話です。
「よし。いいな」
ここのところ通い詰めている精霊術ギルドの工房で、クルフィは『温め石』に陣を刻み終えると、目頭をもんだ。何度この作業を繰り返しただろうか。
とりあえず、これで自分が抱えている依頼は一段落だ。
魔法陣に間違いのない事を確認すると、木箱に最後の一つを並べて、蓋を閉めた。
クルフィは王都に住む、グノームの加護を受けた土の術師だ。
末席ではあるが貴族階級に属していて、家に工房がある。ギルドに通うどころか、普通なら顔を出すことも少なかった。
この春以降、依頼の数が急増し、家との往復時間さえ惜しくて、工房を借りて作業をしていた。
他の術師もそうなのだろう。普段は静かなギルドが常に騒めいている。
外から見るとよくわからないかもしれないが、精霊術師は分業することが多い。
例えば、製薬。
精霊術学校では、薬草と薬の知識を叩きこまれる。術師にとって、製薬は大事な仕事のひとつで、また、薬は収入の大柱になるのだから、当然だ。
だが、そのすべての作業を一人でこなせる術師など、いやしない。
……いや、賢者殿がいたか。賢者殿は別格だ。
材料となる薬草は、土の術師が栽培したり、選別することが多い。製薬には清浄な水が必要だが、水の加護持ち以外は『水の石』を術師ギルドから入手する。製薬中心で活動する風の術師の家にはたいてい乾燥室があるし、『風の石』の提供もする。成分を濃縮する時は、火の術師の出番だ。
こうやって、ひとつの薬を作るにも様々な精霊のお力をいただくので、フォルテリアスの薬は良く効き、高価であっても売れるのだ。
精霊道具の核となる『精霊石』の作成も、分業されている。
どの属性であっても、できあがった精霊石に陣を刻み、最終的に仕上げをするのが土の術師だ。
すべての属性の『精霊石』が集まってくるわけで、なかなかの仕事量になる。
学生時代、クルフィは魔法陣の授業には力を入れた。より複雑で正確な陣を刻める術師に、当然だが依頼が増える。
薬草の栽培と製薬に、大地への豊穣の祝詞、それから魔法陣刻印といった仕事の依頼が、年間を通してあるのが土の術師だ。それ以外の術師から羨ましがられることも多い。
クルフィも、土の術師で良かったと、何度も思ったことがあった。
今終わった依頼も、この『精霊石』に陣を刻む作業だった。
「あ、クルフィさん。お疲れ様でした」
木箱を渡すと、受付の術師が柔らかな笑顔を見せた。
彼女もクルフィと同じ、黄色のマントを羽織っている。
土の術師は大らかな性格で、つき合いやすい者が多いのだが、彼女も見ているだけで癒されるような笑顔で、術師達に人気がある。
グノームが温厚で、穏やかな性格だからだろうか。
「ああ、疲れたよ。だがこれで、しばらく休めるな」
クルフィも、久しぶりに心からの笑顔を見せた。
「ええ、ええ。お疲れ様でございました。土使いへの依頼が溜まっておりましたので、通っていただいて本当に助かりました」
春の大市で賢者から発表された『温め石』。
サラマンダーの忌避する水の中での力の発揮とその制御力に、火の術師ではなくとも感嘆を覚えたものだ。魔法陣も興味深いもので、誰もが簡単に使えるようにしながらも、幾重にも安全性が高められていた。
続けてすぐに『冷し石』から始まり、『凍り石』に、『涼風石』、『温風石』と続いたウィスタントンの精霊石シリーズは、驚きを持って迎えられ、需要の声も大きかった。
おおよそすべての精霊術師は、ひと夏ひたすら、これらの『精霊石』を作成するハメになったのだ。
そして、自分と同じ土使いの忙しさは、想像を絶するほどだった。
魔法陣自体は一定の法則があり、覚えてしまいさえすれば難しいものではないが、問題はその量だ。すべての『精霊石』が集まってくるのだから。
かすむ目をかばいながら、ひたすら石を見つめ、刻む作業が延々と続いた。
間違って『火の石』に、水の陣を刻むというありえない失敗を犯し、見事に飛び散ったこともある。
額の傷はその時のものだ。
仕事の依頼が途切れないのはありがたい、と、言ったが、物には限度がある。
ギルドのあちこちで、目を血走らせた、あるいは倒れる寸前のような仲間を見ることが多かった。
自分はどちらだっただろうか。
その頃は、ギルドで出会うと、暗号のような言葉を交わすのみだった。
「今日は?」
「涼風、二十五 氷 八」
「緊急、水、五十」
「……多いな。少し回せ」
それも今日で終わりだ。
大口の作成依頼はすべて終わったので、これからは自宅に持ち帰って作業する余裕もある。
「じゃあ、そうだな。また顔を出すが、何かあったら使いを出してくれ」
「かしこまりました。ですが、なるべくお邪魔はしないで済むようにがんばります。しばらくはゆっくりとお休みください」
「ああ。そうするよ」
背を向けたところに、ギルドの階段を駆け下りるようにして飛び込んできた、風の術師がいた。
片手に書類を掲げ、そして、弾んだ声で告げた。
「ウィスタントンの『精霊石』シリーズの、最新作が登録されましたわ! 今から担当幹部より、グレートホールで説明があります」
なんだと……。
クルフィはめまいを覚え、後ろ手にカウンターにすがった。
「まあ、例の? もう登録できたのですか?」
カウンターの向こうで笑顔でクルフィを見送っていた術師が、立ち上がった。
「ええ、ええ。王宮から御下問もございましたもの。ギルドでも迅速な処理が必要ですわ」
「できあがりが楽しみですね」
盛り上がって声の大きい女性二人を、クルフィだけではなく、周囲の術師が呆然と見ている。
「まさか……」
「またか……」
「早すぎるぞ」
「くそっ。やっと落ち着いたのに。今度は何だ。水か? 火か? それとも……」
術師が駆け込んで来た扉から、ギルドの幹部術師が三名入って来た。それぞれ『精霊石』を収める木箱を抱えている。
マントの色は、緑に、青、そして黄色だ。
「よし! 火がないぞ」
こぶしを握っているのは、火の術師だ。
クルフィにその喜びはない。土の術師は、ほとんどすべての『精霊石』に携わるのだから。
説明会を前に、その場にいた風と水の術師が、急いで幹部に近寄った。
土の幹部術師がカウンターにいるクルフィを見つけ、足早にやってきた。
「クルフィ、ちょうど良かった。これを見てくれ。お前は陣を刻むのがうまいからな。最初に試してもらいたかったのだ」
カウンターに木箱を置くと、蓋を開けて見せた。
入っているのは、青と緑の『精霊石』が二つ。
「こっちだ」
水の『精霊石』を取り出すと、固まるクルフィの手を取り、載せた。
その重みに、ふうっと、やっと息が出た。
精霊石をぎゅっと掴み、窓の方へ向けて覗き込んだ。
「っ!」
息を呑んだ。
「……な、なんですか、これは」
陣が二つ、いや恐らく、三つ、四つ、重ね合わさっている。
「これが水を巡らして……。いや、まて、ここで発動を留めているのか? するとこれは、ダミーか?」
一つ一つ、わかる場所から回路を追っていくのだが、途中で遮られてしまう。
今度こそ、と、思えば、最初に戻っている。
複雑で、罠だらけの迷路のような、なんとも質の悪い、いやらしい陣だ。
作成者の性格が表れているんだろう、と、考えて、慌てて首を振った。
いや、賢者殿が、まさか、そんなこと。
しばらく目を凝らして陣を見たが、降参だ。
「……授業はしっかり聞いていたつもりだったんですが。わかりません、先生」
悔しい。
クルフィの学生時代に、教師として魔法陣を厳しく叩きこんでくれたのが、目の前にいるこの術師である。
先生は楽しそうに笑った。
「そうか。クルフィでもすらすらと解読は難しいか。なら大丈夫だな」
「何がですか?」
先生がクルフィに一歩近づき、声を落とした。
「すごいだろう? 元は軍事用の魔法陣でな。改変に当たって賢者殿に課した条件が、他国に容易に解読されないこと、だ」
呆れた。
「他国どころか、土使いにだって難しいではないですか」
なんという陣だろう。
これでも、魔法陣ならクルフィに頼め、と言われるぐらいにはなったと思っていたのだが。
「まあ、クルフィなら、陣を刻む過程でわかるかもしれないな。まあ、そういった訳で、これを刻む術師には秘密保持の契約を結んでもらうことになる」
ハッとした。
「ま、待ってください。この陣を刻むんですか? 私が? この、とんでもない陣を?」
魔法陣はすべての線、すべての記号に意味がある。
それをしっかりと理解して、それに合わせて祝詞を口ずさんで刻むのだ。
先生がコクコクとうなずいた。
「あー、まあ、最初の数個は失敗するかもしれんが」
「数個で済むと、思いますか?」
クルフィがジロリとにらむと、先生はそうっと目をそらした。
「これを刻める術師は、王都のギルドでもそうはおらん。機密でもあるし、こちらで土使いを選んで取り組んでもらうことになるんだが、クルフィにも取り掛かってもらいたいと思っている。というより、クルフィしかおらん」
「……先生。先生も刻まれるんですよね」
クルフィの充血した目が据わっている。
「最近、どうも目がかすんで……」
「先生」
先生の目が、助けを求めるように、右へ左へと動いている。
逃がすものか。
「クルフィさん、これは王宮からの依頼でもあるのですわ」
二人のやり取りを横で見ていた、風の術師の女性が助け舟を出した。
「王宮?」
この女性もクルフィに近寄り、声を潜めた。
「ええ。『加湿器』というのですが、王妃様がこの精霊道具を楽しみにされておられます」
「そうですか。でも、私は今日は仕事を上がろうとしていまして、どうぞ他の方に」
「クルフィさん、魔法陣と言えば、クルフィさんでは、ないですか。私たちギルドの女性も、できあがりを心待ちにしていて……」
受付の女性が、クルフィの背後から声をかけた。
つい先ほど、なるべく邪魔はしない、と、言っていなかったか?
ふと見渡せば、あちらこちらからクルフィを見つめる熱い視線を感じる。
「クルフィよ、なんとか頼む。このとおりだ。なに、もう片方の『風の石』は、これも新規だが他の者に頼むからな? な?」
他にいないのだ、と、先生にまで頭を下げられては、しょうがない。
大きな大きな、ため息が出た。
「帰りは遅くなると、家に使いを出してください。それから、工房をまた借ります。期限は……」
ギルドの工房を借りるには、期限を切らないといけないのだが、今回はいつ終わるのかもわからない。
受付術師に言えば、素早くコクコクとうなずいた。
「大丈夫です。しばらくクルフィさん専用としておきます」
にこりと心強い笑顔にも、全く癒されない。
「『精霊道具』の登録書類を拝見できますか? 先生、失敗は二、三個では済みません。数を用意してもらってください」
「ああ。すぐに手配する」
風の術師から登録書類をもらい、先生から木箱を預かった。
これでもう工房へ戻るだけだ。
土の術師には依頼が多い。それも他の術師から羨ましがられるほど。
クルフィのように優秀な土使いになれば、当然だ。
ほんの少し、ほんの少しだけ、クルフィは自分が土の術師であることを、恨めしく思った。
このクルフィさんは、しばらくして疲れ果てて家に戻れば、今度は奥さんと娘さんに加湿器が欲しいといわれるんです。
6月25日の書籍発売以来、お読みいただく方が増えております。
たくさんの方にお読みいただきたいと思いつつ、なんだか緊張しております(笑)。
ブックマークも、ご評価も、いつも応援をいただき、本当ありがとうございます。
これからも更新がんばります。
発売中書籍の方も、どうぞよろしくお願いいたします。
ツイッターも、ライアンが飲んでいるお茶とか、ラミントンのイメージ、とか、たまにふっと写真を上げたりもしております。
@KuronekoParis





