At the Sanctuary 2 / 聖域で 2
「夜の闇に天の女神の光遍くいきわたり、そのお力を示されんことを。水の精オンディーヌよ 浄化の光を心に取り入れ、清冽な水の加護をもたらされんことを」
薄雲の覆いが払われ、月光が聖域の湧き水に落ちた。
ライアンの紡ぐ水の祝詞が響いている。
リンはその後ろで待機だ。すべてを神々しい石にしてしまうわけにもいかない。
「ん?」
神妙に、祈るように手を組み合わせていたリンが、ドルーのオークの陰でパタパタと揺れる白いシッポを見つけた。
「シロ? おいでー。……あっ!」
呼んだのはリンだが、逆にリンがシロの方へすっ飛んでいく。
「あっ! シロ、待って!」
「ガゥゥッ」
「ごめんっ! でも、半分。あっ! 待ってってば!」
「……リン。背後でごそごそとうるさくされると、気が散るのだが」
ライアンが湧き水に手を入れながら、ため息をついた。
「あ、ごめんなさい。でも、ちょっと負けられない戦いがここに!」
「リン」
「だって、シロじゃないと見つけられないんですもん」
ライアンは、リンとシロがそれぞれ手と鼻を土に突っ込んで、押し合っている現場に来ると、ため息をついた。
「ボアダンスか。リン、なにもシロの獲物を奪わなくても、グノームに探せと命じればいいだろう?」
「あーっ!」
そうだった。土属性の探し物にはグノームだ。
「ライアン、ありがとうございます。では、さっそく」
「……それにここなら、ボアダンスよりもリンが気に入りそうなものがあるが」
「なんですか? 果物? きのこ?」
「きのこだ。湧き水の向こうのバーチの木から、三本目のオークの根元を見るといい。……見た目はともかく、味はいい」
「見た目? もしかして、炎茸のように真っ赤とか? 辛いのは嫌ですよ?」
「違う。……見ればわかる」
ライアンはリンに教えると、また湧き水の側に膝を付き、フォルト石を沈めた。
「えーっと。バーチから三本目って、これだよね」
目あてのオークの周囲を、キョロキョロとしながら回る。
「あっ。えっ。……ええーっ?」
「見つかったか?」
「たぶん、見つかりましたけど。……これ、ほんとにおいしいんですか?」
ライアンに答えるリンの声は困惑気味だ。
リンの見つけたきのこは、赤茶色をしていて、ぷるんとしていて肉厚だ。それはいい。肉厚でジューシーなきのこは美味しいだろう。問題なのは形だった。
「どうみても、笠の部分が、くちびるに見えるんですけどね……」
そう。ぽってりとした、ちょっとセクシーなくちびるだ。
「言っただろう? 見た目はともかく、味はおいしいぞ。アルドラの好物だ」
湧き水の方から聞こえる声に、よし、と、一つ手に取った。
見た目どおり、ずっしりと重い。期待ができる重さだ。
おいしいなら採らないわけがない。近くにあるきのこを次々と採りはじめた。
「このきのこ、なんて名前ですか?」
「名前は付けていないはずだ。アルドラが見つけて、どうやら聖域特有のものらしい」
「聖域特有」
この、くちびるきのこ、が。
「地続きで同じ森なのに不思議だが、やはり聖域は特別ということなんだろうな。フォレスト・アネモネに、このきのこ。他にも数種類、外では見ないものがある」
「聖域特有種と思えば、このきのこも神々しく思え……いや、ないわ。ないですね。これを口に入れようと思ったアルドラを尊敬します」
さすが、アルドラだ。
「最初は見知らぬきのこの、薬効や毒を調べるつもりだったようだ。だが、それがないとわかって、それなら食べてみようか、となったらしい」
「それでおいしかったわけですね」
「『金熊亭』に持ち込んで、焼いてもらうか、スープなどにも入れていた気がするが」
ライアンはリンからひとつ受け取ると、鼻に近づけた。
「これだけ重みがあったら、食べ応えがありそうです」
「ああ。ボアダンスは香りで食べさせるが、これは味がいい。濃厚な旨味があって、肉と食べたが、肉の旨味と重なっておいしかった」
アルドラの好物だが、ライアンの好みでもあるらしい。
ソテーでもいいし、丸ごとを使うのはちょっと勇気がいるが、肉詰めにしたら肉汁をきのこが吸って旨味爆発だろう。
「寒くなるし、きのこ鍋とかもいいかも……」
「鍋? スープとは違うのか?」
「ええと、少し違いますね。スープといえなくもないんですけど、一番の違いは食卓の上に鍋を載せて煮ながら、そこから直接取り分けて食べるんです」
「食卓に鍋を……」
ライアンの食卓に、鍋が載るようなことはないだろう。うまく想像できずにいるようだ。
「前にも言った、四角い小さな炉を使うんです。それを食卓に置いて、その上に鍋を置くと、いつも熱々にできますよね。きのこだけじゃなくて、肉でも野菜でも魚でも、ちょうどよく火が通った頃に取って食べるので、美味しいですよ。冬には身体も温まりますし」
「雷のお力を使う例のアレか。やはり作ってみるべきか? だが、火の出る精霊道具は……」
鍋料理より、ライアンが前から気になっているのが四角い炉だ。
「サラマンダーの制御が難しいんですよね?」
「ああ。サラマンダーの火は、術師でさえ制御に手を焼く。それを皆が使える精霊道具にするのは厳しい」
「そうですねえ。制御に手を焼き、文字通り、術師の手を焼き。火の術師は、火傷に備えて軟膏を持ち歩いていますもんねえ」
リンがコクコクとうなずいた。
「ああ。危険すぎる」
「ええと、精霊道具じゃなくてもいいんですよ。器に炭のような火種を入れても使えますし。大市の屋台は大きな炉を使ってますよね。あれを食卓用に小さく、浅くして、ええと、触っても熱くないように白っぽい土とか石で作ってあるといいのかな?」
食卓用ではなかったけれど、祖母の家にあった七輪を思い浮かべて言う。
「これはダメだぞ」
ライアンがなぜか慌てて、聖域の大石の前に立ちふさがる。
確か白くて、と、材質を思い浮かべ、大石にチラリと視線を投げたのがいけなかったのだろう。
「あ、もちろん、これを削るつもりはないですよ?」
「当たり前だ。これは『調べの石』だ」
「術師ギルドの床になっていたやつですよね? 供物台にちょうどいい高さの石だと思っていたけれど」
リンが表面を撫でた。
「ほんとだ、良く見るとこの辺りも真っすぐで、切った跡ですよね」
「どの賢者が切り出したのか、術師ギルドに記録が残っている。最後は数代前だったはずだ」
「賢者が? あ、聖域か。……石職人じゃないのに、上手ですねえ」
リンが感心すると、ライアンが呆れた。
「賢者が職人のように作業するわけがない。グノームを使う」
「……そうでしたね」
納得すると同時に、やっぱり自分はまだまだ精霊を使いこなせていない、と、思うリンだった。
「ライアンは、聖域で加護調べをしたんですか?」
ライアンが自分の髪を触った。
「いや。この髪色で全ての加護持ちだとわかるからな。賢者は『調べの石』を使うことがない。アルドラに連れられ、ドルーに挨拶に来た。その後、王宮で宣誓の儀を行い『加護石』をもらった。三つの時だ」
「そんな小さい時に?」
「アルドラに習って、宣誓の文言を覚えるのは大変だった覚えがある」
幼いライアンが覚えようとしている姿を想像して、くすりと笑いをこぼした。
いくらライアンが優秀でも、さすがに三歳では簡単ではないだろう。
「アルドラが毎回違う文言を言うのだ。要は自分の言葉で宣誓すればいい、ということらしいが、さすがに混乱した」
「ふっ、ふふふ。アルドラらしい、というか、いたずらされたんですね。でも、これが『調べの石』と言われているということは、ここで加護調べをした人がいたんですよね、きっと」
ライアンが考え込んだ。
「……ギルド設立以来の記録には残っておらぬな。それより以前のものは王宮にあるが、古い文献にもあったかどうか」
「ドルーがいたら、聞けたんですけどねえ」
リンが『調べの石』に両手を当て、いたずらっぽく笑った。
「ねえ、ライアン。加護調べみたいにやってみましょうか。えーと、確か……」
ライアンは眉を上げたが、興味を持ったのか何もいわない。
リンは最初を思い出しながら、言葉を紡ぎ始めた。
「『建国の精霊ドルーよ。我らに聖なる地を示した森の王よ。
我らを導き、我らと共にある精霊よ』」
丸暗記をさせられたから、最初が出てくれば自然とその後が続く。
「『我らに加護を与えし精霊よ。
この場に下りて、我の加護を示し給え。
風の精霊 シルフ、伝え、自由なるものよ』」
術師ギルドのグレートホールでは感じなかったが、聖域に爽やかな風が吹いた。同時に手を当てた『調べの石』から天に向かい、緑の光が立ち上がる。
「浄化の風か」
リンもライアンも、その光を目で追い、周囲を見回した。
お互いに目が合うと、ライアンがコクリとうなずいた。
「『水の精霊 オンディーヌ、癒し、浄化するものよ』」
湧き水からパシャパシャと飛沫が上がった。『調べの石』からは青の光が。
「『火の精霊 サラマンダー、破壊し、生み出すものよ』」
焚火が大きく燃え上がり、火の粉を飛ばす。今度は赤の光。
「『大地の精霊 グノーム、温め、育むものよ』」
聖域の草木がざわざわと震え、音を立てた。最後は、黄の光だ。
天にかかる満月からの白光に、地から上る四色の光。
聖域が光で満たされた。
「『……この身にその加護を示し給えば、その力を無垢に受け止め、
自然の理に忠実なりて、世界の調和を図るであろう』」
リンもライアンも、周囲の光景に目を見張り、言葉を失った。
風が、水が、火が、大地が、草木が光りを受け、ざわめき、踊り、喜んでいるように感じる。
あふれる光の中、精霊たちが舞い飛んでいた。
もともと聖域には精霊が多いが、これほどの精霊がいたのか、と、驚くほどだ。
「あっ……」
パチッと音を立てて焚火が崩れ、火花が飛んだ。その陰からサラマンダーがふわりと浮かび、つぶっていた目を開いた。
パシャリと上がった水滴からは、オンディーヌが。
風が木々に当たり進路を変え、そこからシルフが。
舞い落ちた木の葉の後ろから、グノームが。
「ライアン、精霊が……」
「ああ」
ライアンも呆然として、精霊がつぎつぎと生まれ出でる光景を見つめていた。
目を開けた精霊は、ある者はぐいーっと伸びをして、またある者はふわぁとあくびをして、キョロキョロと辺りを見回している。それを別の精霊が誘い、光の中を楽し気に飛び回り始めた。
ライアンが精霊を見つめたまま、話し始めた。
「……聖域に精霊が多いのは、ここで精霊が生まれるのでは、と、どの賢者も考える。過去の賢者が何人も調査をしたが、聖域と外で差はないと思われていた。私自身、聖域で生まれる精霊を見かけたことがあったが、まさかここまでとは」
「この、加護調べの時に覚える文言って、最後の部分は術師としての宣誓みたいですよね。ギルドや王宮の記録に残されるずっと前には、この石はこうして賢者の宣誓に使ったのかも」
リンが近くに寄って来た、生まれたばかりのシルフにそっと人差し指を差し出すと、それをぎゅっと握ってまた去っていった。グノームがその後に来て、指にちょこんと腰かける。
「そうだな。王宮ではなく、聖域で、ドルーと精霊たちに宣誓して、それがこのように精霊に力を……」
雲がまた満月を覆い、ぼんやりと暗い森の中、聖域だけが輝いている。
シルフが手をつないで円を作り、踊り始めると、小さなつむじ風が生まれた。
サラマンダーは焚火に出入りして、火の粉を掻き起している。
美しく輝く『調べの石』は精霊のお気に入りのようで、夏と同じに、精霊がその上で飛び跳ねている。
一番高く、何度も上がっているのは、リンのサラマンダーのようだ。
「楽しそうですね」
「ああ。それに美しいな」
リンとライアンは肩を並べて、しばらくその幻想的な光景を眺めていた。
6月25日発売となる書籍『お茶屋さんは賢者見習い 1』書店購入特典について、活動報告にてご案内をしております。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1237919/blogkey/2811408/
巴里の黒猫 活動報告
電子書籍に特典があれば、というお声をいただいておりましたが、対応が難しいのだそうです。申し訳ありません。(活動報告にどうやって返信していいかわからず、ここに書きました。WEBでも、ツイッターでも、いただいた感想やコメントを、いつもありがたく読んでおります)
代わりに、発売日にWEBにSSを上げられれば、と、思っております。(努力目標。ちょっと日付がずれるかも)
発売日が近づき、気持ちが落ち着きません。
昨日、見本が家に届きましたが、イラストも綺麗で、デザインもかわいく大喜び中です。
多くの方に楽しんでいただければ、と、思います。
どうぞよろしくお願いいたします。





