At the Sanctuary / 聖域で 1
秋から春にかけて作られる『水の浄化石』だが、この秋最初の満月は薄い雲に覆われていた。
月を中心にして、周りに白く光の輪ができている。
「やはり今夜は難しいかもしれぬな」
「やった! 月暈ができてますよ!」
リンはライアンと共に、聖域に来ていた。
分厚い雲で覆い隠されているなら諦めもするのだが、切れそうで切れない雲を、二人でじれじれと見上げている。
シロも一緒に出てきたはずだが、途中でどこかに行ってしまった。
そろそろ木々の合間から聖域に月の光が届く頃合いだ。
精霊達も待っているのだろうか。それともライアンとリンの真似をしているのだろうか。寝転んだり、座ったり、空を見上げてふわりと漂っている。
「ツキガサ?」
「そう。ああいう風に、雲がかかって、月の周囲に光の輪ができることを言うんです。あれを見られると、幸運が訪れるって言うんですよ」
「雲が切れねば『浄化石』がつくれぬが。幸運か?」
ライアンはリンをチラリと見降ろした。
「もう。現実的ですねえ。じゃあ、もっと現実的なことを言うと、月暈がでると雨になるらしいですよ」
「雨か……。これから一雨ごとに寒くなるな」
リンは、湧き水の側で天をにらむ、ライアンのマントの袖を引いた。
「思った通り、月待ちになりましたね。少し休憩にしましょう」
そう言うと、リンはさっさとドルーの木の洞に入っていった。
張り出した木の根にさっと毛布を掛け、場を調えたリンは、入ってきたライアンに向かい側を指した。
待ち時間が長いことを予想して、リンはしっかりピクニックバスケットを持ち込んでいる。膝に抱えたそれから、ライアンにカップを一つと琥珀色をした精霊石を手渡した。
『茶の石』である。
「夜も遅いので、円やかなプーアル茶にしてみました。聖域にも似合うお茶だなと思って」
リンが話しながら、まだバスケットに手を突っ込んでいるのを見て、ライアンは自分のカップにプーアル茶を注いだ。
ウッディな香りが、ふわりとライアンの鼻をくすぐる。
「確かに。雨上がりの森の香りがする」
「はい、こちらもどうぞ。お茶請けです」
リンはライアンから『茶の石』を受け取ると、その手にワックスクロスに包まれたものを渡した。
「これは?」
「紫芋のお菓子です。ケーキスタンド用に小さめのものを試作したので」
バターと生クリームをたっぷり使った、ツヤツヤのスイートポテトは、ころんとしたウサギの形をしている。
今日はダメかもしれない、と、思っても、真面目なライアンはギリギリまで月を待つだろう。お腹が空いた時のために、と、リンの準備は万端だった。
「……ウサギ、か?」
ワックスクロスを開いたライアンは、でてきたスイートポテトに首を傾げた。
「良かった。ちゃんとウサギに見えるんですね」
セサミで目を付け、アーモンドで耳を付けたらブルダルーには笑われたのだが、このかわいさは男性にはわからないのだろうか。
わあ、かわいい、という反応は、明日にでも女性陣からいただこう。
満月だし、ウサギがいいよね、と、形を作った本人は大満足で、膝にうさぎを一つ載せ、自分のカップにプーアル茶を注いだ。
「温まるな」
「夜はもう、少し肌寒いですもんね」
小ぶりなウサギはライアンには一口だったようで、頭からパクリといったのを眺めながら、リンはふうっと冷まして、カップに口を付けた。
人の声が途絶えた森には、湧き水の流れゆく音、虫の音、葉擦れの音と、自然の音が満ちている。
「あの、私、こちらに戻ってからドルーの姿を見ていないんですけど……」
リンが気にかかっていることを口にすると、ライアンが顔を上げた。
「私もだな。『しばらく休む』とのことだったが」
「ずっと気になっているんです。心配して王都まで来てくださって、儀式まで……。姿を現せないぐらい疲れているんだったら、どうしようって。ドルーの『しばらく』ってどのぐらいの単位でしょう。それが、数年、とか、数十年単位ってことは、ないですよね?」
心配で、聖域のオークに異変がないか、何度も見に来ていたのだが。
「……大丈夫だろう。まだあれからひと月も経っていない。そのぐらいお姿を現さないこともある。もうしばらく様子を見てみよう」
「だったらいいのですけど」
リンはそう言って、心配げな目を頭上のオークに向けた。
ライアンはカップを置き、立ち上がった。リンの肩をポンと叩き、洞の外に出る。
月と雲の様子は相変わらずだ。薄雲の向こうにぼんやりと月が見える。
リンもその横に並んで、空を見上げた。
「今夜作れなくても、在庫は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。『浄化石』は毎年需要が増えていて、常に多めに作ってある。……今夜も、天の女神の御心しだい、だな」
「来月は晴れるといいですねえ」
「ああ。ラミントン滞在の日程にかからなくて良かったな」
来月はラグナルとグラッセの結婚式である。
領主の子息、息女ではなく、領主の結婚式は珍しい。大抵、領主になるまでに結婚していることが多いからだ。
そして領主の結婚となると、どうしても大掛かりなものとなる。
参列者も、フォルテリアス国王を始め、各地の領主、タブレットなど親しくしている国の代表がラミントンに集まるだろう。リンも招待されているし、ライアンは賢者として儀式を執り行うように頼まれている。
結婚式の日程が伝えられ、ライアンは真っ先に月暦を確認していた。
「本当に。数日滞在するんでしたよね?」
「ああ。儀式の準備はラミントンの術師が整えるだろうが、最終確認がある」
「王都に行くときは乗り換えだけだったから、楽しみです」
月暈が少し薄くなってきた。
「雲が切れるか? 少しでも作れると良いのだが」
ライアンが湧き水に光が届いているか確認し、また月を眺めた。
「……ライアン、ちょっと思ったんですけどね。あのぐらいの雲だったら、シルフに頼んで吹き飛ばせませんか?」
目を見開いて、ライアンがリンを見た。
「まさか、天候を変えようと言うのか?」
「え、だって、嵐の時とかコントロールしてましたよね? 嵐に抗うほどの強い力はいらないと思いますし、船の時も風や波を操っていたじゃないですか。狭い範囲だし、短い時間でも『浄化石』を作るのに十分かなって」
「そうだが。嵐は緊急時でアルドラもいたし、船の時はほとんど精霊の自由意思があって大した負担にはならなかった」
リンはにっこりと笑い、胸を張ると、おまかせください、というように、胸をポンポンと叩いた。
「アルドラの代わりに私も一緒に精霊にお願いしますよ。……なんかつまらなそうにしてますし」
ライアンは辺りを見回した。
聖域は精霊の姿があちらこちらにあるのだが、確かにあくびをしているものもいる。今度は誰の真似をしているのか、空中に寝そべり、手を頭の下で組み、片足を膝の上にあげた姿で、二人の目の前をぷかりと通り過ぎていく。
それを見て、ライアンはため息をついた。
「リンの手伝いがあれば、できるかもしれないな。やってみるか……」
「ええ、雲を吹き飛ばしましょう」
リンはニコリと笑って請け負った。
「あ、これ! 雲が動いてます。いい感じじゃないですか?」
「ああ。やはり天高く吹く風が必要だったな」
いくつかの風を試し、やっと雲を動かすのにちょうどいい風が見つかった。
「こういう風を『天津風』っていうのかな」
ライアンが驚いてリンを見た。
「……リンにしては、いい名付けだな」
「もう! どうせ私が考えた名前ではないですよ。過去に詩心のある方が考えたんです。でも、きれいな名前ですよね?」
「ああ」
ライアンはうなずき、満足そうに天を見上げた。
まもなく美しい満月が見えるだろう。
後日、賢者から『天津風』と名付けられた風を呼ぶ、新たなシルフの祝詞が精霊術師ギルドに伝えられた。
雲を動かすというその内容に、風の術師には動揺が走ったという。
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