Spesterra distillery / スペステラ蒸留所
休憩で家に戻ったリンは、昨日焼いたケーキを戸棚から取り出した。
りんごと紅茶のケーキで、マチェドニアからもらった茶葉を混ぜ込んである。以前飲んだガルシュカよりも濃く、渋味もあって、どちらかというと野生的な強い香りのある茶だ。
この国ではガルシュカが一番人気のようだが、マチェドニアでは山ヤギの乳と合わせて、こちらを飲むことが多いと聞いた。
菓子に茶葉を使って風味を楽しむのは、案外難しい。茶葉の香りを抽出しにくかったり、焼いたら香りが飛んでしまったりする。だからお菓子作りには、アールグレイのように華やかな香りをつけた茶葉が人気だ。
リンも苦戦したけれど、これを細かくすり潰して使ったら、ガルシュカより紅茶の風味が残った。
茶葉でちょっと黒めのパウンドケーキに、キャラメリゼしたりんごがゴロゴロと入っている。
「今日のお昼は、これでいいや」
これでいいや、どころか、いそいそとケーキを包んだワックスクロスをはがすと、大きめに切った。
足元にいるシロが、欲しい、という様に、リンを見上げてシッポを振る。一切れをシロの前に置くと、鼻をクンクンとさせ、パクリと食いついた。
一日置いてしっとりとしたケーキを味わっていると、ライアンからシルフが飛んできた。
「『リン、すまないが、午後はスペステラ村まで来てくれないか。シドルの件で相談したい』」
リンは最後の一切れを頬張ると、立ち上がった。
「今日もりんごだらけの日になるのかもね。シロ、行こっか」
シロをお供にスペステラ村に入ると、村の子が工房の並ぶ方を指差した。
「ああ、蒸留所にいるのかな」
礼を言ってそちらへ向かうと、蒸留所の前にりんごの山ができている。
その並びには、二つ三つ、新しい建物も建設中のようだ。
まだ壁の一部と屋根ができ始めたぐらいで、働く大工の姿が見える。
最近のヴァルスミアは建設ラッシュだな、と、思いながら近づくと、誰かが知らせに入ったのか、蒸留所の戸口からライアンが顔を見せた。
「リン。こちらだ」
シロはりんごが気になるようで、リンの側を離れてフンフンと嗅ぎまわっている。あそこに積み上がっているりんごは、渋くて、酸っぱい品種ばかりで、グルメなシロのお気に召さないはずだ。放っておいても大丈夫だろう、と、リンはライアンと共に蒸留所に入った。
中は以前と違って、桶や樽がいくつも並び、りんごの瑞々しい香りが漂っている。入口近くに作業台が置かれ、周りを男たちが囲んでいた。
トライフルと並んでスペステラ村の者、オグにブルダルー、顔見知りの文官にハンター、黄色のマントをはおった土の術師たちが、グラスを手に真剣な顔をしている。
「シドルの試飲中ですか?」
広い作業台にはりんごの割合を書いた紙を貼りつけた瓶や水差し、グラスがずらりと並んでいる。
「ああ。試した全てを採用するわけにもいかないだろう? いくつか選びたいんだが、リンの意見も聞かせて欲しい」
「これが難しくてな。どれもうまいんだよ」
オグが新しいグラスをリンに渡した。
「なるほど……」
これは端から飲んでいくしかないだろう。リンは気合を入れた。
作り始めた時には濁っていたりんごジュースは、透き通って、細かな泡が立ち上っている。
左端の瓶からオグに少し注いでもらうと、グラスに鼻を近づけた。柔らかいアルコールの香りがする。きちんとシドルができているようだ。
リンは一口含んで、口をもごもごと動かすと、少し考えてその瓶を手前に動かした。
周囲から集まる視線を感じて、慌てて飲み込んだ。
「……そんなに見られると、やりにくいんですけど」
「いや、すまない。……なぜ瓶を動かした?」
「紙を忘れたので、自分の目安となるように」
それを聞いた館の文官が、紙挟みから急いで紙を取り出すと、インク壺と一緒にリンの前に置いた。
「あ、助かります」
リンが書き込んでいるうちに、グラスはすすがれ、また、次の瓶のシドルが注がれた。
横に立つライアンとオグが、紙を覗き込む。
「何を書き込んでいる?」
「んー、そうですね。お茶と同じで、色、香り、味わい、余韻、っていう感じでしょうか。シドルだったら泡立ちも書いたほうがいいのかなあ」
「さすがだな、リン」
ライアンが感心したように言う。
「でも、お酒は難しいですよ。だんだん酔っ払って、感覚が鈍りますし。お酒の試飲は、たくさんある時は口に含んで確かめるだけで、飲みこまずに吐き出す、と聞いたことがあります」
「うお。捨てるのか。俺ならもったいなくて、飲み干すな」
「私もです。おいしいのは特に」
リンが楽しそうに言えば、周りから笑いが起こった。
「外の建物は、貯蔵庫になるんですか?」
話をしながら、また一口飲む。
「ああ。貯蔵庫と作業場、だな。出来上がりしだい、ここにある桶や圧搾機を移す。そのうち、注文したオーク樽や、ペトラムロの石うすも届くはずだ」
「ペトラムロ? ああ、石が産業でしたっけ?」
「りんごを砕くには、特別な石うすがないと難しいらしい」
「確かに麦を挽くのと同じ物では無理ですよねえ。もっと大きくて、硬いですし」
「ほら、土の加護があると、すぐグノームに頼んじまうだろ? だから、ライアンも俺も細かなところまで、あまり考えていなくてな」
オグが首の後ろを触りながら苦笑して言うのに、リンがうなずいた。
ライアンが工房でりんごを絞った時も、グノームが活躍していたはずだ。
リンはまだ「すぐグノームに頼む」という、土の術師の達人にはなっていないが。
「いざ、作業工程を考えた時に、どうするんだ、ってなったんだよ。シドルを作ったことのある農家は、量が少ないから手作業だっていうんだが、これだけの量だとハンターが手伝ったって、りんごを砕くのは大仕事だろ? うまくできなければ、果汁も少なくなっちまう」
「とりあえず今は土の術師に頼むが、特注で石うすを頼もうとペトラムロに聞いたら、石を砕くための大きな石うすがあると言う。それをりんごに使う」
ライアンが術師たちをチラリと見ると、彼らはコクコクとうなずいた。
「なあ、今日シドルの割合いが決まれば、すぐにも作業に入れるか? そろそろりんごの採集量も増えてくるしな」
「ああ。そのつもりだ」
男たちが話すのを聞きながら、リンは試飲の続きに入った。
周囲で石うすや水車設置の話をしているのを、聞くとはなしに聞きながら、最後の一瓶を確かめて、リンはグラスを置いた。
ふうっと息を吐く。
確かにこれは難しい。みんな違って、みんないい、だ。
「終わったか?」
気づいたライアンが聞く。
今度は水を入れたグラスが差し出された。
「ありがとうございます。ええ。終わりました」
「リン、どれがいいと思う?」
「ええと、聞きたいのですけれど、シドルは、シドルとしても提供する予定ですか? 蒸留することを考えているんですよね?」
「ああ。春の大市にはシドルの販売もできるだろう。だが、大半は、できれば蒸留酒としたい。……リン、これも試してみてくれ」
差し出されたグラスには、底の方に透明な液体が入っている。
「これは? ……あっ」
鼻を近づけたリンは、強いアルコールの香りに顔を上げた。
「蒸留酒、ですよね?」
「ああ。シドルを作っている農家に残っていた昨年の樽をもらってきて、蒸留してみたのだ」
「これだけ強いと、私は舐めるぐらいしかできませんけど。……でも、香りはやっぱりりんごが感じられますね。爽やかで、フルーティで、甘い」
リンは唇を湿らす程度に味わっている。
「一回蒸留して酒精が弱かったので、もう一度蒸留してみたのだが」
「量はだいぶ減ったよな。樽でもらってきたのが、瓶二本になっちまった」
「ああ。……そうだ、リン。前にリンが言っていたような琥珀色になっていないのだが」
「あ、これを樽で熟成させると、琥珀色に色づくんです。このままでも、もちろん蒸留酒としていいんですよ。でも、樽で熟成させると、香りにも違いがでてきます。樽香といって、バニラとか蜂蜜と言われるような香りがついて、より複雑で、円やかで、芳醇になると聞いたことがあります。あとはもう、好みですね」
「ほう」
「うまそうじゃねえか」
周囲の男たちも真剣に聞いている。
「蒸留と熟成を考えているなら、たぶん、このあたりがいいと思うんです」
リンは作業台の上の瓶をいくつか選んだ。
「理由はお茶にもあるような渋味、タンニンって言うんですけれど、それがあることでボディがしっかりして、こう、締まった感じのシドルになっています。なので熟成には向いているかな、って。飲んだ感じもバランスが良くて、辛口ですけれど、おいしいと思いました。酒精度も高い気がするので、蒸留するにもいいのかな、と」
「ああ。確かにそうだな」
リンの説明を聞いて、何人かが、リンの示したシドルをグラスに取ってもう一度試し始めた。
「そのまま食べられる『グノームマルム』を使うよりは、あまり人気がないとされていた『鍛冶屋』や『アルドラのりんご』が中心なのもいいですよね」
「なるほどな」
「あと、ここから右側のものはちょっと酸味が強いというか、これよりバランスが悪く感じたので」
続けてリンは、さらに二本を指した。
「シドルとして飲むのであれば、こちらかな。より果実味があって飲みやすいと思います」
「ほう。わけた方がいいのだな」
「んー、たぶん。今の風味からそうかな、って思ったんですけど……。私も詳しいわけではないので、やはり作ってみて、その出来でまた来年考えるとか……? りんごの出来も、毎年違いますしね」
「やはりそうなるか。……大変だが、毎年の楽しみというところだな」
ライアンの言葉に、何人かが大きくうなずいた。
オグがリンの示した瓶を持った。
「じゃあ、リンが言ったのをもう一回味わって決めるか」
全員がグラスを取って、味わい始めた。
皆が笑顔で、意見を出し合っている。間もなく、決まるだろう。
リンはそれを横から眺めながら、酒造りはやっぱり盛り上がるんだなあ、と、少し酔った頭で考えていた。
楽しそうな雰囲気と、甘い香りに誘われたのだろう。
しばらくして、作業台の隅に置かれたグラスの底で、酔っ払ったらしいグノームが見つかった。
6月25日発売となる「お茶屋さんは賢者見習い 1」の書影が出ました。
↓ ↓ ↓ 下にあります。とてもかわいい表紙ですよ。(もちろん中のイラストも素敵です)
活動報告で教えていただきました。ありがとうございました!





