閑話:Kunafah / クナーファ
ロクム・クナーファは酒場に顔を出すと、カウンター内にいるオヤジに注文の手を挙げた。
「ビールを。薫り高いものを頼む」
座るのは外がいいだろう。
店の前はちょっとした広場で、大市の屋台が並んでいる。そろそろ仕事を終えた男たちが集まる時間で、どの屋台の前にも人だかりがしていた。
酒場は広場に数軒あるが、ドアを開け放し、店の外にもテーブルと椅子をずらりと並べている。
ロクムは空いたテーブルを見つけると、腰を下ろし、ふうっと息を吐いた。
大市の期間にはよく通う店だが、この秋は初めてだ。
普通は大市の最初から忙しいことは少ないのだが、今年は例年とは違うことがいくつかある。
ウィスタントンが、新たに貴族向けの食事処、菓子処の天幕を作った。
そのうちの一つをクナーファ商会が任せてもらい、各地の新商品を中心に並べ、紹介の一助を担っている。
島国であり、産物の輸送にも、販売にも、クナーファが大きくかかわっている「スパイスの国」の天幕は別として、一つの商会が領運営の天幕を任されることなど、滅多にないことだ。
「食のクナーファ」と言われ、各地で信用を得られるよう努めてきたが、この話が提案された時には驚いた。
だが、よく聞いてみれば、各地の産物を平等に紹介するのに、クナーファが入るのは理想的だとも言えた。
大市で慣れた者をあちらには置いているが、何分、新しい取り組みのことで、ロクムが判断しないとならないこともあった。
それから、異例なことに、今年は秋にラミントンで結婚式がある。
何と言っても領主の結婚式だ。領主子息、子女の結婚と違い、王太子殿下を始め、フォルテリアス国内の領主がすべて集まる。
領内で手に入らない食材はクナーファが手配することになっており、ラミントン領都にある商会の支店からも、緊急の報告と相談が次々に上がってくる。
それらだけでも通常より気を遣う手配が多いのだが、加えて、あちらこちらにある商会支店からも問い合わせが相次いだ。おもに、この大市で新しく発表となった砂時計の件で。
タブレット・タヒーナ殿下に話を聞き、現物を確かめる前に、商会長である父に報告を飛ばした。
真っ先にウィスタントンに商談を申し込んだが、こればかりは希望の数を仕入れられるかもわからない。最低限確保したい数と希望数を考えながら、テーブルを指で叩いた。
珍しく、女給ではなくオヤジが直接ビールを持ってきた。
「顔を見なかったが、忙しいのか? 今年はどれも出来がいいぞ。こいつは酒精が強めだが、お前さん好みだと思うぜ。ま、一杯ぐらいは飲んでおけ」
父と一緒に、初めて大市に来た頃から付き合いのあるオヤジだ。ロクムがここに座る時は、酔わないように酒精が弱いものを頼むのを知っている。
「ああ。今日は、ゆっくりと楽しむさ」
オヤジがトンッと小皿を横に置いた。
茶色っぽいのはフリトンと呼ばれる、この辺りでよく食べられるつまみだ。鴨の皮と脂身を、自身からでる脂でカリカリに揚げ焼きにし、塩を振ってある。
「他につまみがいるか?」
「いや、今はこれでいい。必要なら、屋台から取り寄せるさ」
目の前の屋台で供されているのは、ほとんどつまみとなる物ばかりだろう。
ここからだと、ソーセージに海老の串焼き、芋煮などが見える。
海老の横で焼けている、白っぽいものはなんだろうか。
後で見にいかなくては、と思いながら、ビールに口を付けた。
「ゆっくりな」
オヤジが薦めてきたビールは、確かに薫りが良かった。
少し酸味があってピリリとするところも、ロクムの好みだ。
腹にぐっとビールが染み渡る。
フリトンをつまみ、鴨の脂と塩気を、またビールで流す。
まだ暗くなるには早い時間だが、ゆったりとビールを傾けながら、落ちていく日を感じるのもいい。
忙しかったからな、と、目を閉じた。
「お? 今日はタタンが屋台を手伝ってるのか?」
「うん。もうすぐ交代だけど」
「そうか、パンを持って来たから、ホットドックにしてくれよ」
「はーい。じゃあ、ここにパンを置いてね。トマトのソースとマスタードは要る?」
「ああ。両方頼むぜ」
ホットドック?
トマトのソースは、ある領でこの夏に作られ、クナーファでも取り扱いを始めたばかりのものだ。それを屋台で使っている?
屋台から聞こえた声に、ロクムはパチリと目を開けた。
手前にあるのは、例年通りなら『金熊亭』が出しているウィスタントンの屋台で、肉汁と脂がじゅわりと溢れる名物のソーセージを焼いているはずだ。
そこに仕事を終えたらしい男たちが、数名集まっていた。
この国のパンは薪のように細長いのだが、男はナイフを取り出すと、表面に真っすぐ縦に切れ込みを入れ、ソーセージを焼いている金網の隅に置いた。
「なあ、ホットドック? ってなんだ?」
横の男が聞いた。
「お? まだ食べたことねえのかよ。パンに切れ込みをいれて、ソーセージを挟んで食べるんだけどな。手軽だし、うまいんだよ。お前も一つ食べてみるか?」
そう言って持って来たパンを二つに切った。
タタンと呼ばれた少女が説明をする。
「ソーセージは普通のと、ピリ辛のがあります。そのままでもいいけれど、トマトのソースとマスタードを付けるのがおススメなの。このチーズを溶かしてかけてもいいんだよ」
うまそうだ。
「俺はピリ辛のに、じゃあ、チーズを載せてくれ」
「はい。まいどあり~」
少女はまず、塊のチーズを、熱く焼けた金網に載せた。
それから、ジュウジュウと脂を落とし、おいしそうな煙を漂わせながら焼けているソーセージを、切り分けられたパンに一つずつ挟んで載せる。
「もう、いいかな~」
チーズの塊を持ち上げて確かめると、ソーセージの上で、チーズのとろけた部分を削ぎ落した。
ほんの少し焦げたチーズが、とろりと落ちる。
「……チーズ、うまそうだな」
チーズを頼んでいなかった男がボソリと呟いた。
うまいに決まっている。
ホットドックとはどんなものだろう、と周囲を覗き込んでいた男たちの喉が、ゴクリと動いたようだ。
売り子の少女は、瓶からトマトソースを一匙すくい、パンの上にかけている。
なるほど。昨日、今日とトマトソースの問い合わせが増えたと聞いたのは、これのせいか。
「おいしいよ。ここではやっていないけど、玉ねぎを炒めたのを挟んだり、キュウリのピクルスとか、キャベツとか挟んでもおいしいって、リンお姉ちゃん言ってた。それは『金熊亭』で食べれるからね~」
「ははっ。タタン、宣伝がうまいな。なあ、俺のにもチーズをかけてくれ」
「お、俺もホットドックを試したいぜ。パンを持ってくれば、いいのか?」
「そうだよ」
「俺が買ってきます!」
ひとりが仲間にうなずいて、走りだした。
なるほど。これも、か……。
食べてみたいが、どうやらパンは持ち込みらしい。
オヤジに頼んで、一つもらうか。
「……本当に、変われば変わるものだな」
ウィスタントンの秋の天幕といえば、わずかばかりの農産物に、森の恩恵を受けた珍しい植物や薬草、貴石ぐらいのもので、それも直接担当のギルドに流れることが多く、大して見る物もなかったのだが。
今は、次から次へと新しい発表がある。
それがどうしてなのか、ロクムはよく知っていた。
「ヴァルスミアに支店を置くことにしたのは、正解だったな」
食糧を運ぶ船が増え、近年では海運業にも力を入れているクナーファ商会が、この国で支店を置いていたのは、王都以外では海に面した港のある町ばかりだった。
春の大市、それから夏の大市を見て、ヴァルスミアにも支店を置くべきだ、と、決めたのはロクムだ。
そろそろ引退を、と考えていた取引先から、春にも店舗を譲ってもらう話をし、ウィスタントンの商業ギルドや城の文官と打ち合わせをしたばかりだ。
この秋がさらに忙しくなったのは、そのためもあった。
ウィスタントンは、これからも目が離せない土地になるだろう。
自分が駐在したいぐらいだ。
まずはアレを食べて、トマトソースは在庫を増やすべきだな。
ロクムは手を挙げて、オヤジを呼んだ。
活動報告でもお知らせをいたしましたが、
「お茶屋さんは賢者見習い 1」の発売日が6月25日に決定いたしました。
レーベル:MFブックス様
イラスト:日下コウ先生 です。
詳しくは、下部にリンクを張っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
あ、活動報告にコメントを下さった皆様、ありがとうございます!
大変嬉しく読んでおります。





