The lives out of the city wall / 城壁の外の生活
明けましておめでとうございます。
お読みいただき、ありがとうございます。
皆さまにとって健康で、素晴らしき一年となりますように。精霊のご加護がありますように。
新年一話目が少し重くて、悲しいのが残念で、今日中にもうひとつあげます。
前話最後の一文、変更あり。
「ウィスタントン公爵が二十年程前にこの地に入るまでは、ここは本当に貧しくてなあ」
ブルダルーは肉を鍋に入れながら説明をはじめ、思い出すように遠くをみた。二十年はリンにとっては子供の頃であまり覚えてもいないが、ブルダルーはまた違う感覚で捉えているだろう。
「北の国シュージュリーが、周辺の国に戦を仕掛けてどんどん大きくなっていた頃で、まあその時も逃げてくる者が多かった。ワシらも当時は大してできることはなくてのう。辛いもんじゃった。あの国はまた政情不安とやらで、ここ数年また北からの者が来とる」
国が安定しないと住んでる者はたまったもんではないのと、苦虫を嚙み潰したように顔をしかめたブルダルーから、リンは野菜を半分引き受けて刻みながらきいた。
「そこにスープを持っていくんですね」
「ああ。館から鳥を持っていくから、ワシはスープじゃな。館の料理人と二と半の刻に西の塔で落ち合う予定じゃ」
今日は皆が少しずつ何かしらを持ち、城壁の外へ向かう日らしい。
「リン嬢ちゃまも、行きなさるんかね?ちょっと遠いし、ここにいらっしゃったほうが、いいと思うがのう」
西の塔はこの工房とはちょうど街の反対側だ。
まさかリンが一緒に行くとは思わなかった、という顔で、ブルダルーは心配そうにリンを見やった。
「行けます。大丈夫」
ブルダルーが用意している小型そりの綱を、リンは代わって手に取った。
執務室からライアンも出てきて、リンが街の外へ向かうというと、自分も同行するといい準備を始めた。
シムネルがリンの綱を取り上げ、運ぶ人数が増えるのなら、と、食料庫からさらにもう一つ籠を積み入れ、フログナルドとシムネルで引いていく。
西の塔の前に、ハムや塩漬け肉の塊、鳥を積んだそりと、館の料理人が待っていた。ハンターズギルドのオグとエクレール、数名のハンター達もそれぞれが袋を抱えて、城壁外に出ようとしている。
「なんだよ、ライアンに、リンまで来たのか?」
「来ました。皆がいく日なら、私も参加しないと」
「参加って言ってもなあ……。まあ、いい、驚くなよ」
チラリとライアンを見て、若干、気まずいような顔でオグは言った。
西の塔の門の警備をしている騎士は、ライアンの顔を見てザっと姿勢を正し、一行を通した。
城壁は高く、そして厚く、外側と内側の二ヶ所の門で閉じられるようになっている。
リンの部屋がここにすっぽり入りそうだと周囲を眺めながら、二つの塔に守られた間を通り抜けると、城壁の外では一気に視界が変わった。
リンが森以外で初めてみる、城壁の外だった。
こちら側には工房側と違って森がなく、開けていた。街の中では高かった建物が平屋となり、不規則に続く。家壁も土壁のようで、街のように白く塗られてはいない。
通りにいる人は腰を落としたり、頭を下げたり、それぞれが慌てて挨拶する。
一人の男が呼ばれたようで、家から焦って飛び出してきた。
「ライアン様、本日お越しになるとは聞き及びませんで……」
「今日は同行しただけだ。心配しなくてよい。トライフル、すまないが、荷物を下ろすのを誰かに手伝わせてくれないか」
トライフルが合図すると、数人が近づき、次々に一軒の家に運び込んでいく。
その中に、森で一緒に狩りをしたローロがいた。ローロはリンに気づき、またペコリと頭を下げて、荷物を運んでいく。
「城の皆さまには、いつもご配慮をいただいております。ご領主様の御意向だと。明日もここの皆は安心して迎えることができます」
「もっと皆の生活が安定するようにできればよいのだが。力が足りぬことですまぬ」
トライフルは慌てた。
「とんでもないことです。どこかへ立ち去れ、元の土地に戻れ、と、何度打たれ、追われてここまで来たかわかりません。この秋に北から着いたものも、より増えて……。それなのに、飢えもせず、追われもせずに暮らしております。城どころか街の人までも、ここを気にかけてくださっています。他国の者にここまでのご厚情、感謝しかございません」
「子供も入れて、十八名が到着したと聞いている。北の状況は変わりないようだな。また話を聞こう。シムネル、館のものと一緒に手配を頼む」
リンがライアンの横で話を聞いていると、エクレールと話している人と目があった。クグロフだ。
「クグロフさん、こんにちは。この間はビーズを急いで仕上げてくださって、助かりました。無事に髪紐ができあがりました」
「リン様、こちらこそ。精霊石の加工など初めてでした。ありがとうございます。その、ライアン様の着けていらっしゃるものでしょうか」
「ええ。精霊も気に入っているようです」
今朝の精霊の騒ぎはなかったことにして、そうリンは伝えた。
「クグロフさんは、こちらにお住まいだったのですね」
「はい。すぐそこの家ですが、今はオークの木皿を加工しておりますよ」
ブルダルーと料理人は火を焚き、今日配る分のスープを仕上げているし、ライアン達も忙しそうだ。
リンはクグロフにお願いして、作業を見せてもらうことにした。
案内されたクグロフの家に、リンは少しの間言葉を失った。
窓にガラスがない。木覆いで抑えるようにはなっているが、冷気が外と同じように入ってくる。部屋全体を暖めるためか、壁際の暖炉ではなく部屋の中央の床に火がたかれている。白煙が昇り、屋根の隙間、窓から外にでていく。
床の奥の一角には、少しの板の間と、藁のような丈の長い草が敷かれ、そこで休むのだろう。こちらから持ち込んだオークの木は、横長の木の大きな箱に入れられ、鍵がつけられていた。この家で唯一といってもいいような家具だろうか。
クグロフはポンとその木箱を叩き、言った。
「家から逃げる時に、工具だけはこれに入れて、持って出たんです。使い慣れた工具は、他に代わりはありませんから。……それでは、木皿をつくるところをお見せしましょうか。まだ手斧で形を荒くとっただけなのですが。申し訳ないのですが、少しだけ火を消しますね。木くずが飛ぶので」
変わった形をした細長い作業台は、家の入口近くに設置されていた。クグロフは半円型に形を整えたオークを、作業台に取り付けられた工具の間に挟んで設置した。天井近くから革のベルトが下がり、その工具に巻きつけられて、床まで達している。左足でペダルを踏むと革ベルトが引っ張られて動き、半円形の皿が回転する仕組みになっているようだ。
「少し離れていてください。飛び散りますから」
そう注意を促して、横にずらりと並ぶ長い柄の工具から、クグロフは一本を選んで手に取り、半円形のオークに先の曲がった工具を当てると、ペダルを踏み始めた。
シュー、シュー、シューというリズミカルな音を立てて、木が削られていく。肌色の木くずが足元に散らばり、木の香りが広がった。
「こうやって木の中から、形を削り出していくんです」
削った表面を触ると、指に滑らかで、優しい感触だった。
出来上がりを楽しみにしてください、とクグロフは笑う。
「火を消して作業しないとならないなんて、冬場は大変でしょう?」
「久しぶりに仕事ができる方が嬉しくて、寒さは忘れますよ。腕が鈍りますから練習はするんですが、注文が入るとやっぱり違います。それに来年は工房を別に作りたいです」
リンの注文のおかげで、それも叶いそうだ、と喜んでいる。
「籠の方は私の師匠にお願いしています。一緒に逃げてきたんですよ。もう歳なんで、少し手が震えるんで細かい作業は厳しいですが、籠のような物はまだきっちり、頑丈につくります」
すぐ裏の家で、もう一つや二つできているはずだと言われ、そちらも見に行った。
「師匠、籠の注文をしてくださった、リン様をお連れしたよ」
それは一目見ただけで惚れ惚れするような、カーブの美しい籠だった。
手作業の温かみがあるというのだろうか。なんともいい風合いだ。
お願いしていたのは、山に行く深めの背負い籠と、街で買い物する時にこの辺りの女性が持っている、広く浅い籠。両側に持ち手の穴が開いていて、小脇に抱えて買い物する姿をよく見かける。出来上がっていたのは、その買い物用の籠だった。
よくしなって形を作りやすいという、丸いヘイゼルの枝が、きれいな楕円形に曲げられて、籠のふちとなっていた。その間を幅広のベルトのような白いオークがぎゅっと編まれて、籠となっている。
リンは手に取ってみた。
「茹でたオークの木を熱いうちに薄く裂くのですが、これが熱くて。両膝に濡れた布を巻いて、そこを途中で叩いて、手を冷やしながら裂くんです。このサイズはペックといって、ご注文いただいた中の、真ん中のサイズですね」
「形もきれいで、丈夫で美しい籠ですね。押しても全然へこまないし」
ギュッギュッと押して確かめているリンに、
「丈夫さを確かめる方法があるんでごぜえますよ」
そう、クグロフの師匠は言って、籠を上下逆さまに床に置いた。
「さあ、上に乗ってくだせえ」
「えぇっ!それはさすがに……」
「いえ、本当にそうやって確かめるんですよ」
笑いながらクグロフにまで言われたリンは、そうっと籠の上に立った。全くへこむ様子がない。
「良いオークの木でごぜえました。この籠は十年でも、二十年でも使えますよ。だんだんと色が変わって、長く使えば味わいが出てきます。まあ、人間と一緒ですな」
いい顔で、師匠は笑った。
「リン様。本当にありがとうございました」
外にでると、クグロフが丁寧にリンに頭を下げた。
「師匠もあの歳で育った街を離れて、少しふさぎ込んでいたんです。でも、仕事をいただいてから年甲斐もなく張り切って、嬉しそうでした。まだ、籠は俺の方がいい物をつくる、なんて言って」
そういって、鼻をすすった。
「ここは領主様も良い方で、森も豊かで、狩りをすればなんとか食べられます。それでも慣れた仕事ができるのは、やっぱり違うもんです。だから、ありがとうございます」
「出来上がりを楽しみにしていますね」
そう言うのが、リンには精一杯だった。
城壁をくぐり、ヴァルスミアの街に戻ったリンは、うつむきがちで口数も減った。
ライアンが静かに声をかける。
「リン、外の生活に衝撃を受けたか」
「私の世界にも難民というか、貧しくて、家のない人もいたんです。でも、目を背けて、見ないふりをしていたんですよ、私。顔を知っている人があのように生活しているのを見るのは、きつかったです」
「北の大国が内乱に陥ってから、どんどん難民が増えている。あのような生活で良い訳がないのだが、追い付かぬ」
「クグロフさん、ハンターズギルドで、自分のような難民に仕事をいいんですか?って、言ったんですよ。私、自分も難民だから、なんて答えてました。帰れる国がないのは一緒ですけど、全然違ってた。難民の人は私みたいに砂糖なんて買わないし、ドレスだってつくらないです。きっと何を言ってるんだって、呆れただろうな」
我慢して、我慢して、早口で追いつめられたように話していたリンの目から、とうとう涙がこぼれた。フログナルドやオグ達が、壁をつくるように周囲を囲んでくれる。エクレールがそっとリンの手にハンカチを握らせた。
「……あの家、窓にガラスがなかった。床も家具もほとんどなかった。工房がないから、作業の時は火を消して、寒い中で仕事するんですよ。それなのにクグロフさんも師匠も笑顔で、仕事をありがとうと、お礼を言ってくださって。もう、私どうしたらいいのかわからなくて」
貧困が形をとって現れたような家だった。
リンを静かに見やり、前をみてライアンは話し始めた。
「リン、君が今回クグロフに仕事を依頼したことで、私も気づいたことがある。領主が難民保護の指示を出し、家や食事の手配がされ、最低限だが支援がされてきたつもりでいた。難民の数の増減、支援の様子、おおよそは私の元にも報告が上がっている。でもそれではダメなのだ、とわかったのだ」
リンは顔を上げ、ライアンの表情を横からじっと見つめた。
「今回、クグロフに実のある支援、仕事の依頼として生活が成り立つようにできたのは、ハンターズギルドで、オグやエクレールが一人一人をしっかり見ていたからだ」
「いや、でもそれはこの領の、領主の意向があってこそだからな。ライアン、ハンターズギルドだけじゃできねえことだ」
「そうだとしても、オグ、ハンターズギルドはこの数年、言語やマナーの講座を増やし、領民だけでなく、難民の手助けも、その交流も支えてきた。今回、リンがクグロフに仕事をだせたのは、オグが彼の職業や、人となりまで把握していたからだろう。ちゃんとその顔を見ていたということだ。難民が領民になったともいえる。私だったら、館に出入りの職人を紹介していただろう」
じっと考えながらリンは歩いた。確かにオグに尋ねなければ、ライアンの言う通りになっていたかもしれない。
「難民、と、ひと括りにして考えるのではなく、もっと何か彼らにできることがあるのではと考えている」
「ライアン様のご指示で、館の者やハンターズギルドの職員と一緒に、一人一人に話を聞いているのですよ。男女、人数といった表面的なことだけじゃなく、出身地、学問、職業的なことまで。そのきっかけはリン様の依頼ですよ」
シムネルが優しく言った。
「リンも彼らも、難民ということでは一緒だ。突然今までの生活から切り離され、帰ることもできぬ。確かに現在の状況は違うかもしれぬが、だからといって、リンが彼らのような生活をすることを、彼らが望むとも思えぬ。また、彼らすべてをリンのように生活させることも、今はできぬ。難しいが、リンが仕事を与えたように、領主一族として、領民としての彼らの生活が成り立つように、新しい支援の形を考えたい。領主も同じ考えだ」
周囲の者が、一斉に頭を下げた。
「だからリン、君も協力してくれ。今の状況の違いや彼らの困窮を嘆くのではなく、どうやったら彼らの生活を良くできるかを、私達とともに考えて欲しいのだ」





