The Autumn Market / 秋の大市
秋の大市が始まった。
リンはライアンと一緒に周囲の挨拶を受けながら、天幕が立ち並ぶマーケットプレイスを通り抜けた。
中央にあるこの広場は大市の中心で、各国、各領が出す天幕が多いのだが、リン達の姿が見えると、各地の担当者はわざわざ天幕の前まで出て、深く腰を落とす。
ライアンがいるからではなく、リンがシロをお供に一人で歩いてもそうなのだ。
ここに天幕が並び始めてから、同じような挨拶を受けるたびにドキドキして礼を返していたが、そうすると前に進めない。今ではライアンに倣って、軽く目礼するか、何もせずに通り過ぎる。
挨拶を無視するようで落ち着かないが、そうして通り過ぎてしまえば、頭を下げている者もすぐに仕事に戻れる、と、言われてしまった。
「まだ、慣れないか?」
人の多い場所を通り過ぎ、ふう、と息を吐いたリンにライアンがきいた。
「んー、各地の文官さん達って、挨拶が丁寧というか、深いですよね。ヴァルスミアの街の人達は、もっとこう、気さくっていうか会釈ぐらいだから、なんか慣れなくて」
「まあ、それは仕方ないだろう。本来はあの挨拶が普通だ。アルドラが仰々しい挨拶を嫌ってな。それで、ヴァルスミアでは我々に対しても構えずに接してくれているが、公の場では民は貴族以上に跪くぞ」
「そういえば、ドルーが現れた時、皆さん跪いていたような……」
「賢者は、それに次ぐ者だ。リン、慣れるしかないな」
「はぁーい」
やる気のなさそうな声で返事をして、リンは片手を上げた。
「あ、そうだ、ライアン。昨日『ライアンの塔』に行ってきたんですけどね。ボーロさん達が感謝してましたよ。『サラマンダーの加護もすでに炉につけて下さっていたので、すぐにも火が入れられた』って。『いい火だ』って感激してました」
「……あれは確か『職人の塔』と名付けられたはずだが」
「その名前、定着していないですよ。皆さん『ライアン様の塔』って呼んでます。まあ、隣にあるのが『アルドラ様の塔』ですもん。仕方ないですよ。職人のヴァルスミア留学が軌道に乗ったら、呼び名も変わるかもしれませんけど」
ライアンが嫌そうに眉を寄せた。
「早急に軌道に乗せよう」
「いいじゃないですか、『ライアン様の塔』。経緯を考えれば、納得の呼び名です。ヴァルスミアの新たな名所に……!」
からかうように言ったリンを、ライアンは見返した。
「リン、今、私たちは食事処に向かっているわけだが」
「ええ」
「館では、あの新設の厨房は『リン様の厨房』と呼ばれているぞ」
「ええっ!」
「まあ、経緯を考えれば納得の呼び名だな」
やり返されて、リンは口を尖らせた。
「第一、第二厨房ってすでにあるんだから、その流れで第三厨房でもいいのに」
リンが嘆いているうちに、食事処の天幕についた。
この時、リンはまだ知らなかった。
ここが、ひと月後には『賢者見習い殿の食事処』、『リン様の菓子処』と、呼ばれるようになることを。
入口に当たる小天幕は、試食会の時とだいぶ様子が変わっていた。
入って右側には棚がいくつもできており、瓶詰や木箱、壺などが並べて置かれていた。クナーファ商会の雑多にいろいろ詰め込まれた天幕よりも、きれいに飾られている。
左側にはまず受付台があり、その横に、まだ何も入ってないが、リンが特注したケーキ用のショウケースが据えられていた。
夏のショウケースからさらに進化したケーキ用は、浅めの木箱を使い、その上部と横の一辺がガラス製で、中が見やすくなっている。
リン達が入ると、受付にいた緑の術師マントを羽織った見習いらしい女性と、床にあった木箱を開けていた男性が立ち上がり、礼を取った。
「おはようございます。商品がだいぶ入りましたね」
「おはようございます。本日到着の船もございますので、午後にはもっと増えると存じます」
木箱を開けていた男性は、どうやらクナーファ商会の人間らしい。
肌は日に焼けており、着ている服もこの国の物と違う。『スパイスの国』の人だろうか。
「ロクムは、クナーファの天幕か?」
「船の方に向かったかと存じます。後ほどウィスタントンの天幕にご挨拶にあがるかと」
「わかった」
ライアンは男性にうなずくと、風の術師見習いに向き直った。
「準備は順調に進んでいるか?」
「は、はい! 初日ゆえ、まだ予約はございませんが、皆、予約手順を覚えて備えております」
「ああ。各地の領主夫妻が入領するのは、今月末からだ。人出が増えるのも同じだな。それまでは練習だと思って慣れていくとよい」
そこへ今度は青い術師マントを羽織った見習いが、ケーキを載せたトレイを持って、奥の入り口から入ってきた。
「あっ!……おはようございます!」
リン達に気が付くと慌ててキョロキョロとし、ケーキのトレイをショウケースに載せて、頭を下げた。
「おはようございます。慌てないで大丈夫ですよ。それが今日のケーキ?」
トレイの上には持ち帰り用に、三種類のケーキが並んでいた。
ベリーのソースがしっとり艶やかなチーズケーキと、レモンクリームが爽やかなレモンのタルト、そして、スライスしたりんごを薔薇の花のように飾ったタルトだ。
「はい。数は少なくとも本日からショウケースに並べるべきだ、と、料理長殿が」
「そうね。きれいに見えるように、こう、まっすぐ並べてもらえますか?」
ショウケースは『冷し石』を昨夜から入れてあったようで、十分に冷えている。
リンが一つを置くと、術師見習い達が協力してトレイからケーキを移した。
「どちらも、とても美しいですなあ」
クナーファの担当者も興味があるようで、見習いにケーキの名前を聞きながら覗き込んでいる。
りんごのタルトは数種類つくったが、この薔薇の花を模したアップルタルトは、領主夫人の社交用にぴったりのはずだ。うまく出来たと眺めていると、声が降ってきた。
『領主のシュトロイゼル・ウィスタントンである。大市への出店を感謝する』
館からのシルフ拡声だ。
『ドルーと精霊の慈愛を感じる秋を迎えた。この夏の酷暑にもかかわらず、収穫が済んだことに、ひとまず喜びと安堵を感じているであろう。大市は各地の産業を支え、交流の場として発展してきたが、今年はさらに面白い試みが加わった。すでに通達も出ているであろうが、各地の産物を食しながら商談を行える食事処と菓子処ができた』
食事処、菓子処と聞こえたとたん、静かに聞いていた術師見習い達がピクリと顔を上げた。
『商業ギルドの会議室と同じように使うことができる。詳しくはギルドに問い合わせを。大いに活用し、大市を盛り上げてもらいたい。最後に、これからも変わらぬ友好と繁栄を希望し、ドルーと精霊の加護を祈ろう』
領主挨拶が終わった。
「……響き渡りましたねえ。ケーキ、足りなくなるかもしれませんね」
リンはチラリと、ほとんど空っぽのショウケースを見やった。
「どうだろうか。こういう商談の場に出てくるのは男性が多い。甘味より、料理の方が出ると思うが」
ライアンの言葉に、リンは頭を横に振った。
「女性の姿も多くありましたから、潜在的な需要はあるはずです。ここに来にくいから、持ち帰りができるようにしたわけですし。どうしたら売れるかな……」
リンが考えこんだ。
「女性の社交で出されれば、評判となって、予約も多くなると思うが……」
「うん。こうしましょう」
考えこんでいたリンが顔を上げて、術師見習い達を見た。
「女性が来にくいなら、男性に買っていただきましょう。こちらに来た人は、必ず受付を通るでしょ? その時にこう言って見てください。『今、女性に大人気のケーキを、お土産にいかがですか? もしよろしかったら、商談が終わられるまでにご用意致しますが』って」
「……そんなことで買われるだろうか」
リンの提案にも、ライアンは納得していないようだ。
「その声掛けで、甘味のことをチラッとでも考えると思うんですよ。で、商談に来た人もですけど、夜に飲みにきた男性には、もっと売れそうな気がします」
「そうだろうか?」
リンはその場にいた四人の顔を見回した。
「想像してみてください。仕事終わりに飲みに来たとします。そこでお土産のことを言われるんですよ。頭に、家で待っている人の顔を思い浮かべませんか? 『ああ、自分だけ楽しんで、酔っ払うのは悪いな。家になにか土産でも買うか』っていう気分になるんじゃないかなって。……まあ、オグさんとかは、何もなくても買って帰りそうですけど」
「飲んで帰る後ろめたさに、か」
ライアンの脳裏に、楽しそうにビールの話をしていた領主達の顔が浮かんだ。
それぞれ妻や娘から菓子をつつかれていると、言っていなかったか。
「……買って帰りそうな気がするな」
「でしょう?」
その時、その話を脇で聞いていたクナーファ商会の者が、大きくうなずいた。
「フォルテリアスでは聞いたことはございませんが、『スパイスの国』には、それにぴったりの言葉があるのです。そういう時に買う物を『ドラゴンの餌』と言っております」
「ドラゴンの、餌……」
リンが思わず吹き出した。
「そういえば『サラマンダーの怒り』も、あの国では『浮気の翌朝の妻』と言うんだったか」
ライアンの肩も震えている。
「……二つに通じるモノがあるんですけど、スパイスの国の男性は、女性をそこまで怒らせることが多いんでしょうか」
リンが涙を拭きながら言うと、その単語を教えた者が慌てはじめた。
「いえ、決して、そういうわけでは……!」
それを見て、リンは笑いを抑えられなくなった。
「『ドラゴンの餌』、買っていただきましょう!」
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