La cidrerie / シドル工房
シドルから蒸留酒を試そう、という話をしてから、ライアンの行動は素早かった。
まず、オグを呼び出し話をすると、りんご収穫の手配を頼んだ。
「あの『ばあさんのりんご』を、酒になあ……」
また新しい名前が出た。
オグの言う『ばあさん』は、アルドラだ。
「へえ。『アルドラのりんご』って名前は、悪くないかもしれないですね」
「おい。こんな酸っぱ渋いりんごに名前を付けられたら、ばあさんが怒るぞ。前に食べた時は、ひどいしかめっ面をしていたからな」
自分でそう呼んでいるオグが、何か言っている。
「でも、置いておくと渋が抜けて、最後には甘くなるわけでしょ? 酸いも甘いも噛み分けた、みたいな感じで、人生経験が豊富なアルドラの名前は、けっこう合うと思うけどなあ」
「『アルドラのりんご』か。これをシドルに使用することが決まったら、名前の統一は必要だな。ギルドで収穫の依頼も掛けられまい」
「リンがシルフを飛ばしてばあさんに直接許可をもらうんなら、それでもいいぞ?」
オグがニヤニヤと笑っている。
ふむ、と、リンは考え込んだ。
もし、美味しいシドルを作ると言ったら、その名も喜んでもらえる……、いや、どうだろうか。
「あー、と、とりあえず、仮名称『アルドラのりんご』ということで」
リンはにっこりと、その難しい課題を先延ばしにした。
それからライアン達はシドル造りの話で盛り上がり、館の文官やスペステラ村のトライフルも呼び出した。
「木の下に布を敷いて、完熟して落ちたのだけを拾わせるか」
とか、
「貯蔵庫と作業所を、村にもう一つ」
に、
「ウィスタントンを蒸留酒で有名に」
や、
「桶は足りますでしょうか……」
などといった声が、応接室から漏れ聞こえてくる。
どんな話になったのか、精霊術師ギルドや商業ギルドの者もやってきた。
やっぱり酒造りは盛り上がるみたいだね、と、ブルダルーとりんごをむいていたリンは、ひそかに笑った。
数日後、家はりんごの香りで溢れていた。
ブルダルーは厨房でりんごの焼菓子を試作し、工房にはライアンが陣取っている。
一階の応接室には、薬草花やドライ・フルーツが運び込まれ、リンはそこで果実茶を試していた。
運ばれたのは、それだけではない。
テーブルには天秤量りが置かれ、カップやボウル、スプーンがずらりと並んでいる。側においた銅のケトルからは常に湯気が上がり、ちょっとした実験室の様になっていた。
ライアンから借りた砂時計も並んでいる。リンの砂時計は納品を待っているところだ。
「後味も良し。これで完成、で、薬事ギルドに伝えればいいかな」
その中心で、マッド・ティーエンティストなリンは、左手にカップ、右手にペンを持ち、最後に淹れた果実茶の配合を紙に書き込んだ。
「リン、すまないが、ちょっと来てくれ」
「はーい」
執務室から顔を出し、ライアンがリンを呼んだ。
厨房と工房から呼ばれるので、どちらに行くにしてもこの応接室が位置的にちょうど良い。
工房の作業台は、果汁の入った水差しと、リモンチェッロを作ったような大きな瓶でいっぱいだった。載せきれない物が棚の上にまで並んでいる。
ボウルや鍋、レードルもあちこちに積み上がり、ライアンがりんごと格闘した跡が見える。
りんごの絞りかすはボウルに山のようになっている。ケーキにでも入れるつもりだったが、想像していたより多い。
「グノーム、良くやった」
大量のりんごと格闘し、果汁を絞ったのは、作業台の隅に腰かけるグノームのようだ。
りんごの欠片をご褒美にもらうと、嬉しそうに抱えた。
「すごい量なんですけど……。まるでシドル工房のようですよ。庭にもりんごが届いてますし」
実験室に変わった応接室の様子を棚に上げて、リンは言った。
欠片を狙ってグノームに近づいたサラマンダーを、ライアンが指ではじく。
「あれはスペステラ村に行く。貯蔵庫と作業所ができたら運ぶ予定だ。……それより酵母を見てくれ」
ライアンはサラマンダーとじゃれ合いながら、作業台に並ぶ小さな瓶の一つを取り上げて、リンに手渡した。
リンが教えた方法で、水の中にりんごの皮と芯が浸かっており、表面にぶくぶくと白い泡が立っている。
「おお、元気な酵母。いい感じですね」
りんご酵母のできあがりだ。
普通にりんごを絞っても、皮についた酵母菌で果汁が発酵するのだろうけれど、今回はリンのやった方法で、酵母を別に作ったのだ。
もっと時間がかかるかと思ったが、ライアンは木箱に小さな『温め石』を入れて温度を上げた。それで思ったよりも早くできたようだ。
「そうか。じゃあ、これを果汁と混ぜ合わせればいいのだな」
「ええ。私がやった時は、果汁の十分の一ぐらい酵母を加えました」
ライアンは工房の作業台に並ぶ水差しから、少しグラスに注いで、リンに差し出した。
勧められるまま、一口飲む。
「ん? これは『鍛冶屋のりんご』? でも、渋みが少ない気がします」
「ああ。これは皮をむき、絞ったもの。こちらは、丸ごと絞ったもの」
「なるほど。それで分けたんですね」
「それだけじゃないぞ。これが『アルドラのりんご』の皮あり、こっちがなし、それから……」
ライアンの説明を聞きながら、味見役を務めているうちに、舌と歯茎が痺れてきた。上あごも、もっというなら、口の中が全部が少しおかしい。
『鍛冶屋のりんご』と『アルドラのりんご』のブレンドは考えていたが、皮あり、皮なし、その上、そのブレンドも細かくわけたようだ。
水差しが立ち並ぶわけである。
渋でおかしくなった口を開けたり、閉じたりしながら試していると、ライアンが聞いた。
「どれがシドルにいいだろうか」
「うーん。果汁のままで言うなら、こちらの『アルドラのりんご』が控え目な方が、甘味、香り、酸味のバランスがいいと思うんですけど。でも、シドルにはどうでしょう……。甘味が強いと発酵後の酒精が強くなりますし、酸味が味をキリっと引き締めて、渋味があるとボディのしっかりとしたシドルになると思うんです。シドルや蒸留酒には、もしかしたらそちらのほうがいいのかも」
「ふむ。では、やはりすべて試してみるのがいいか」
「ええ。シドルにして、風味や酒精度の違いで、二、三種類ぐらい選べたらいいですよね」
ガラス瓶に水差しの果汁をいれ、出来上がった酵母を足していく。
「これで、早ければ明日には泡が立ち始めます。時々揺らして、出来上がりまで十日ぐらいだった気がするんですけど」
「早いな」
「途中で味見をして、待てずに飲んじゃった、ともいいますけど。多分、もっと置いたほうがいいんですよ。でも、最後は透明になったし、これぐらいでいいかな、って」
リンがクスリと笑った。
「味見か。しばらくりんごは食べなくてもいいぐらい、今日は味を見たが。まあ、シドルならまた違うだろう」
ライアンがりんごの渋を思い出したのか、もぐっと口元を動かす。
「あー、ライアン、申し訳ないんですけど、今日のお茶菓子は、りんごですよ。お茶はせめて、タンニンのないプーアル茶にしますから」
とろんとして、優しく口の中を撫でる、プーアル熟茶がいいだろう。
果実茶と果汁の味見で、気分的にも、物理的にも、お腹が一杯だ。
それでも大市までに形にしないとならない。
ふう、と、ため息をついたライアンに、気持ちはわかる、と、うなずいた。
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