Apple with several names / 名前の多いりんご
森から戻り、さっそく背負い籠の中身の仕分け作業に入った。
ブルダルーが昼の準備に厨房を使っているので、リンはライアンの工房を借りている。
「すごい量だな」
執務にやってきたライアンが、工房を覗いた。
開け放した扉から裏庭まで見通せたのだろう。現在、裏庭は森での収穫物でいっぱいだ。きのことベリーは、すぐに食べる分をブルダルーに渡し、あとは裏庭に広げられている。ローロは、さっと洗って水気を拭くと、ザルや木の板の上にせっせと並べている。
シロはしばらくローロとにらみ合っていたようだが、お腹がいっぱいだったのか、好みのものがなかったのか、やがて上階へと上っていった。ボアダンスは、あれから二つ見つかったが、すでにブルダルーに渡し、シロの鼻が届かないところへ避難させてある。
小さなベリーが一つ、二つ、コロコロと歩いていくのは精霊の仕業で、ローロも気にしていないようだ。
リンの目の前には、工房の作業台に載せきれない程のりんごが並ぶ。
「リン、これは『ビネガーマルム』。とても食べれたものではない」
ライアンが『犬の毛皮』を指差した。
ブルダルーはこれを、『ハズレ』と呼んでいた。ライアンは古語まで使って名付けているが、どれを聞いても、食欲がそそられない。ヴァルスミアの人に聞いて回れば、もっといろいろな名前が出てくるような気がする。
「ええ。味見をしましたから。最近は『犬の毛皮』って呼ばれているみたいですよ」
「すごい味だっただろう? ヴァルスミアの子は、大抵、森で一度齧ると二度と口にしない」
ライアンの眉も、口元もしかめられていて、これは森で齧ったクチだろう。
きっとオグあたりと大騒ぎして、呼び名をつけたんじゃないかな、と、思っていたら、それ以上だった。
「他のりんごに混ぜて、オグがアルドラに食べさせたことがある」
「は?! オグさん、チャレンジャー……」
「止めなかった連帯責任とやらで、アルドラの罰を私も受けた。そのお陰で、りんごの木がある辺りは、収穫しやすく整えられたと思うが」
「あっ! あの辺りだけ、きれいに森が開けてるなって思いましたけど。あれ、ライアンとオグさんが?」
「ひと夏、度々通った覚えがある。今も、夏前にハンター達が整備しているはずだ」
なんと、思わぬ理由があったものだ。
「ローロ達は、こういう実も取っておいて、冬に食料が少ない時に食べるらしいんです。師匠も昔、食べたことがあると」
リンはそっと言った。
「これを、か……」
ライアンが黙り込んだ。
そこへローロが工房を覗き込んだ。
「あ、ライアン様、おはようございます。……リンさん、干し終わったよ。ええと、炎茸と小さい籠の『グノームマルム』は、売ってもいいんだよね?」
「うん。どうぞ」
「わかった。じゃあ、これが、リンさんの買取分です。サインお願いします」
ローロはペコリと頭を下げた。
今日は同行したが、リンの依頼でローロが収穫したとして、収穫物は買い取ることになっている。
内容を確認し、サインしたものをハンターズギルドに持っていくと、ギルドに預けたお金からローロに支払われるのだ。
「じゃあ、今のうちに行ってきます」
パッと飛び出していく背中を見送った。
「……売れないりんごを、少しでも売れるようにできれば、って思って、持ち帰ってみたんです。でも、ローロ達の食べ物を奪うことになるのか、って、ちょっと悩んだんですけど」
「いや、売れるようになれば、ローロ達の収入となる。それに、皆がコレを口にせずとも冬を越せるようにするのが、領政を預かる者の責務だ」
ライアンがきっぱりと言った。
「そっか。そう考えた方がいいですね。じゃあ、使っても大丈夫かな」
「何か、案があるのか?」
「そうですねえ」
リンは作業台に広げた、三種類のりんごを眺めた。
「『グノームマルム』は、風味がいいので、そのまま菓子の天幕で使おうかな、と。『鍛冶屋のりんご』は、森で味見をした時に、皮と種の周りが渋かった気がします。なので、そこを取り除いて何かできないかな、と」
「ほう」
「菓子とかも考えられますけど、乾燥させて果実茶は、どうかな、と」
「茶か」
「ええ。薬草茶の延長みたいな感じで。もともと秋には、新しいブレンドを試したい、と、思っていたんですよ。夏に作ったドライフルーツが大量にあるし、暗い冬に、ポットの中に鮮やかな色の果実が浮かぶのも、気分が明るくなるかな、って。愛らしくて、甘くて、どちらかというと女性向けですね」
春と夏の大市で販売したが、試飲すれば美味しいとわかってもらえるが、薬草茶は敬遠されがちだ。
薬と認識されているものより、果実の方が味の想像ができて、親しみやすいだろう。薬草茶の売り上げにこれで弾みがつけば、と考えている。
「それでですね、ライアン、男性向けにお酒を試しませんか?」
リンが、いたずらっぽく笑いながら言った。
「シドル、でしたっけ?」
「そういえば、言っていたな。数週間ほどで飲めたと」
「試してみたいことがあるんです。工場、ええと、工房を見学したことがあるんですよ。そこでは、シドル用に、酸味や渋味のあるりんごの果汁も混ぜていたんですよね。その方がバランスが良いし、渋味の元をタンニンと言うんですけど、それがあると長く保つと言っていた気がするんです」
記憶が少しあいまいだが、ワインやお茶と一緒だな、と、思った覚えがある。
「なので、『鍛冶屋のりんご』や『犬の毛皮』、えーと『ビネガーマルム』でしたっけ。ちょうど良い風味になるのを見つけたいな、と」
「なるほど。リンは、薬草茶のブレンドもうまかったな。つまみもおいしいし、リンのブレンドなら美味しくなりそうだ」
まともに褒められて、リンは照れた。
「え、えっと、お茶の香りって繊細で、刻々と変わっていくんですよ。だから、お茶屋さんを始めてから、嗅覚も味覚も鍛えるようにしているんです。なかなか難しいんですけど」
リンは、ほうっとため息をついた。
これは何の香りだったか、と、考える間もなく次の香りが出てきて、捉え損ねることがよくあるのだ。
「あ、でも、お酒の味見なんてしたことがないので、ライアンも手伝ってくださいね?」
「もちろんだ」
「うまくできたら、シドルの生産者にお任せして作ってもらえれば、と」
ライアンが考え込んだ。
「ウィスタントンにシドルの生産者と言える者が、いたかどうか。大市で売っているのを見たことがあるが、農家の者が自家用に作り、多くできたのを持ってきている感じだったが」
「じゃあ、生産者探しからですね」
「ハンターはシーズンに入ったし、いかに酒となるとはいえ、春の様には動きが取れまい。りんごの収穫なら見習いでいいが、シドルの醸造は……。薬草栽培も一段落したし、スペステラ村に頼めるかもしれないが」
「あ、ちょうどいいかも。続きがあるんです」
リンがニヤリと笑った。
「シドルはそのまま飲めますけど、数年寝かして、それを蒸留酒にもできます。きれいな琥珀色のお酒です」
ライアンが目を見開いた。
「ほう。……シドルを蒸留したものは、今までに飲んだことがないな」
「せっかくライアンが、あんな立派な蒸留施設を作ったのですから、それを考えてもいいと思うんです」
ライアンがあれで作る蒸留酒を楽しみにしていることを、リンは知っている。
原料がヴァルスミア・シロップからりんごに代わっても、ヴァルスミアの蒸留酒だ。
「オークの木を使った樽も、今なら、作れそうですよね」
「火災の後にドルーからいただいた、アレか」
リンはコクリとうなずいた。
「私が持つプーアル茶は、長い年を経て熟成します。保管している場所で茶葉が呼吸して、その場所だけの風味を作り出し、味わい深く、円やかになっていくんです。だから『祖父母が作り、父母が熟成し、孫が飲む』って言われるお茶なんですけど。私は、プーアル茶のそういう、時を楽しむ感じも好きなんです。……シドルもそうなるかなって。今年の大市で売れるものではないかもしれません。でも、シドルを寝かせて、蒸留酒にしてからも寝かせて。ヴァルスミアの森の恵みを使った、ヴァルスミアらしいお酒になって。こう、未来への投資、というか、未来の楽しみができませんか?」
リンの目はキラキラと輝いている。
ライアンの口角が上がった。
「ああ。そうだな。確かに楽しみだ」
リンと話していると、いつも未来が楽しみになる。
数年後、十数年後かもしれない。どんな気持ちで自分はヴァルスミアの酒を開けるだろうか。
その時に、誰と共に味わい、その喜びを噛みしめるのだろうか。
想像して、そこには今と同じように笑っているリンが横にいた。
「やってみよう」
最初はうまくいかないかもしれない。
時間もかかり、試行錯誤を重ねることになるだろう。
それでも、それを楽しみに思っている自分がいる。
ライアンは大きくうなずいた。





