Fruitful Forest 2 / 実り多き森 2
「リンさん、シロと同じような恰好になってるよ」
ボアダンスに少々興奮し、目を凝らして探していると、背後からローロの呆れた声がした。
あのちょっと情けない、うろうろダンス状態になっているらしい。
第三者視点は大事だ。リンは慌てて立ち上がり、裾をパタパタと手で払った。
気を取り直して、ウェイ川沿いを遡ると、少し開けた場所に出た。
川沿いで陽当たりが良く、ハンターが周囲を整えたのか、下生えの木や草も少ない。
りんごの木が立ち並び、果樹園のようだが、違うのは、木は列になって生えておらず、自然のまま、あちらこちらに伸び伸びと枝を広げている。
ふわん、と、シルフがりんごの甘い香りを運んできた。
「うわあ。大きな木ばかりだね。それに実がたくさんついてる!」
鈴生りってこういうのを言うのかな、と、思うぐらい、実が多い。
一か所に四、五個のりんごが固まって付いているのが、葉の影に見え、それが連なっているのだ。
重そうに枝垂れているのも多い。
「もっと奥にもあるんだけど、そっちはまだ行ったことがないんだ。もしかしたら、今年は許可がでるかもしれないけど」
どうやら見習いのうちは教えてもらえない場所らしい。
経験と腕が必要な狩猟と違って、収穫などの依頼は見習いが受注することが多く、危険の少ない場所しか許可が出ないのだろう。
「この辺りで見つかるのは、三種類なんだけど、高く売れるのはこれ。名前は『グノームマルム』。グノームが好きなりんごで、ヴァルスミアの森でしか取れないんだよ」
ローロが近くにあるりんごの木を見上げた。
ハンター見習いらしく、ローロの説明には必ず、高く売れるかどうか、が入る。
『グノームマルム』は、ピンクがかった赤いりんごだ。
「傷が大きかったり、半分ダメになっていたり、売れないのがあるんだけど、そういうのは持って帰って食べるんだ。おいしかったよ」
エプロンに捕まっているグノームを見ると、確かにその目はりんごにくぎ付けとなっている。
シロはもっと素早い。木の下に入り込み、落ちているりんごをシャクシャクといい音を立てて、食べ始めている。
ボアダンスを前菜にして、主菜をすっ飛ばし、デザートにしたようだ。なんてグルメな狼だろう。
「グノームね、確かに好きみたい。乗り出して見ているもの」
リンがグノームの様子を伝えると、ローロは喜んだ。
「ははっ。やっぱり本当なんだ! 精霊の言葉で『グノームのりんご』っていう意味だって、オグさんに習ったよ」
精霊の言葉ということは、古語だ。
あの古語辞典に、そんなのあったかな、と、考えるが思い出せない。
すべて暗記、ではなくて、必要な時に単語を調べる、という使い方をしているから、なかなか語彙が増えない。使えなくても精霊と対話できる、ということもあって、古語はサボりがちだ。
りんご、という単語を使うことなんてあるだろうか、と、思うが、術師はどうやらそこまで覚えないとならないらしい。
「ちょっと早いかと思ったけど、こっち側は、いい感じだと思うな」
陽当たりが違うのか、その木の片側だけ、りんごの赤みが強くなっている枝がある。
ローロは背中から籠を下ろし、手の届く場所からもぎ始めた。
リンも手伝いたいが、あいにくと両手がふさがっている。
右手はグノームの上着の裾を掴み、左手にはサラマンダーが、ジタバタと暴れている。「ハナチテー」と、先ほどから大騒ぎだ。
「ローロ、ごめん。精霊用に、最初に少しりんごを切ってもらえるかな」
夏中、王都の天幕で働いていたローロは、アイスクリームを欲しがる暴れ精霊を良く知っていて、少し慌てた。
精霊のご機嫌は、ヴァルスミアでは、というより、局地的にライアンとリン周辺では、特に重要視される。うるさいのだ。
「あ、ちょっと待って! ええと、これがいいかな」
腰に下げた袋から『水の石』を取り出し、真っ赤なりんごをさっと洗う。ナイフで適当に切り分けると、リンの足元にあった倒木の上に、四つ並べてくれた。
手を放すと、サラマンダーが落っこちながら飛びついた。グノームも後に続く。
ローロが、りんごを一切れ、ナイフに載せて差し出した。
「リンさんも、味見」
「ありがと」
『グノームマルム』に歯を立てると、香りがとても良い。
甘酸っぱくて、ちょっと固めのりんごだ。
「おいしいね。名前は知らなかったけど、去年食べたことがあるかもしれない」
「うん。これと、あともう一つ『ヴァルスミア』っていうのが、よく売れるんだ。『ヴァルスミア』は、『グノームマルム』より少し後で採れるんだよ。甘くて、でも、森の奥でしか採れないんだ」
ローロもりんごを齧りながら、説明する。
「ローロ、『グノームマルム』でいろいろ試したいから、今日の分は、私の買い取りでいいかな。うまくいったら、大市でお菓子として出すから、領から収穫依頼がでるかも」
「わかった。じゃあ、ギルドにも伝えておく。見習いの子ができる仕事だから、皆、喜ぶよ」
「あ、でも、生食用で売るのが無くなっちゃったら、まずい?」
「うーん……。木もたくさんあるし、実も多い。無くなっちゃうほど食べるとは思わないけど。……でも、リンさんの菓子だからなあ。オグさんに聞いてみるよ」
夏の天幕での勢いを知っているローロは、首を傾げている。
そしてリンが何かを言い出したら、オグにホウ・レン・ソウというのを、ローロは教え込まれている。
「うん。お願い。これはお菓子用の特設天幕で出すから、アイスクリームみたいにはならない予定だけど」
両手が空いた二人は、リンゴをもぎ始めた。
途中でローロは籠から古びた毛布を出すと、木の下に敷いた。
「リンさん、木の下からちょっと離れて」
下の枝に足をかけ、身体を持ち上げて、枝の上に立つ。
手が届かなかった上の方の枝をゆすると、実がボトボトと落ちて来た。
「これ以上は、無理かな。上ったら枝が折れそうだ」
「私に任せて。グノーム、オブセクロ、マルム アルボル……。うーん、と。あの上の方の枝、揺らせるかな?」
早速、りんごという古語を使う機会を得たが、それだけでもダメだった。
りんごに吸い付いていたグノームが、リンを見上げて、ポカンとした顔をした。
そして、慌ててうなずく。
上の枝が手を振るようにワサワサと震え、りんごがさらに落ちてくる。
「うわっ」
ローロが慌てて枝から飛び降り、避難した。
「あっ! ローロ、ごめん。……グノーム、ありがと。クルード」
毛布の上に散らばったりんごを、二人でせっせと拾い集めた。
「試作用にはこれで十分。少しギルドに売ってもいいぐらい」
「わかった。ええと、あと二種類のりんごは、あまり売れないけど、一応教えておくね」
籠を肩にかけ、ローロが先に立って歩き始めた。
ローロの籠は二重になっていたようで、もう一つの空の籠をリンが抱える。
「これがね『鍛冶屋のりんご』。……これも、今から来月が、収穫時期だよ」
真っ赤な色をしたりんごだ。
「小さめだけど、美味しそうだよね。売れないの?」
「あまりね。硬いりんごなんだ。皮も厚いし、甘いんだけど、少しだけ渋い」
「そのまま食べにくいってことかな」
ローロはひとつをもぎ取って、水で洗い、ナイフを入れると、ナイフの上に載ったりんごを一切れ差し出した。
香りは甘い。味わいも瑞々しく、香りに違わず、しっかりとした甘みがある。が、確かに、舌の上にジワリと渋が広がり、皮も口の中に最後まで残る。
「なるほど」
「それからこっちはね、名前はないらしいんだけど、俺たちは『犬の毛皮』って呼んでる」
美味しそうに聞こえない名前をつけられた、かわいそうなりんごは、グリーン・ベージュの皮をした、こちらも小さなりんごだった。
シロのようなモフモフ犬ではなく、短毛種のグレイハウンドのような毛皮に見えなくもない。
「これは全然売れない。渋いしね」
「ふうん。……ローロ、この二つも試したいから、少し欲しいんだけど」
「渋いよ?」
ローロが顔をしかめた。
「うん。でも、売れないのが売れたら、良くない?」
「おいしくなるの?」
「試してみないとわかんないけど」
キョトンとした顔のローロにお願いすると、うん、とうなずき、『鍛冶屋のりんご』をもぎ始めた。
リンは『犬の毛皮』の木に向かい、一つをもいで、香りを嗅ぐ。
香りはすっきりとして、悪くない。
『水の石』でさっと洗うと、一口かじった。
「うぇっ」
ぶっと吐き捨てる。
渋い。そして酸っぱい。
ローロが振り向いた。慌ててやってきて、木のカップに水を注ぎ、リンに差し出す。
「あーあ。リンさん、何でも口に入れたらダメって、言われてたでしょ。『毛皮』は『鍛冶屋』より、渋いんだよ」
差し出された水で口をゆすぐが、まだ、渋く、舌がジリジリする感じだ。
涙目になっているリンに、ローロが腰の袋を漁って、今度はドライ・アプリコットを出してくれる。
「ありがと」
口直しだ。
二粒ばかり齧って、やっと落ち着いた。
「なんで売れないかが、よくわかった。もっと熟しても、こんな感じなのかな?」
「うーんとね」
ローロは、木の下をキョロキョロと探すと、ひとつの実を拾った。
「この実はさ、ここが傷ついて落ちちゃったんだと思うけど、『毛皮』はね、このぐらいになってから食べるんだ」
「……それは、食べられる状態なのかな」
ブヨブヨとなって、実が皮からはみ出ているように思う。
煮崩れたりんごのようだが、リンには、熟しているのと腐りかけの間ぐらいに見えるのだ。
「うん。このぐらいだと、甘くて、渋くないんだ」
ローロはさっと、水をかけ、半分をリンに渡すと、自分も半分を口に入れた。中の柔らかい果肉を押し出すようにして、食べている。
それを見て、リンも恐る恐る、小さく噛じり取ってみた。
確かにねっとりとして、甘い。渋みもない。
「ほんとだ」
「これだと店では売れないでしょ? 拾っても買ってくれない。だから俺たちの物にしてもいいんだ。家に持ち帰って、一番寒い屋根裏に広げておけば、冬の間食べられる。こういうのでも、食べる物が少ない時にはありがたいし、甘いからさ。俺たちには嬉しいんだ」
リンは、はっとして顔を上げた。
俺たち、というのを、どういう気持ちで言っているのだろう。
きちんと清潔な格好をして、丁寧な言葉を話し、仕事もしっかりとするローロだが、春まではちゃんとした家もなく、難民として、寄り添いあって暮らしていた、いや、生き延びていたのだ。
おいしいか、おいしくないか、を、ローロはもちろんわかる。でも、それ以前に、腹を満たせるか、が、もっと重要なのだ。
「リンさん、そんな泣きそうな顔しないで。今は、俺、リンさんに雇ってもらってる。毎日食べられるし、困ったこともないよ。村の皆もそう。それどころか、お菓子やアイスクリームまで食べてるんだからね。逆に恵まれてるでしょ」
ローロは目をくりっとさせて、笑った。
リンは、コクコクとうなずいた。
美味しいつまみをつくるのも、甘いお菓子をつくるのもいい。それらを楽しめるのが生活の余裕で、国王が、領主が、一生懸命働く皆が、目指すところだろう。
でも、今日も食べられて良かった、りんごが甘くてうれしい、そういう生活があることも、ささやかだけど嬉しい気持ちも、リンは大切に、忘れないようにしようと誓った。





