A day before the Winter Solstice / 冬至の前日
窓の木覆いを開けて光を入れながら、アマンドは天蓋の向こうのリンに声をかけた。
「リン様、おはようございます。そろそろ起きませんと、ブルダルーと市に行かれるのに、間に合わなくなりますよ」
楽しみにしていたブルダルーと買い物の日、正確にはユールの祝祭料理用のホワイト・テイルを仕込む日に、アマンドの声にリンは目をパチリと開け、半身を起こした。身体が縦になれば眠気も飛ぶ。
この日をリンは楽しみにしていたのだ。トットットっと、いつもより軽やかな音を立てて、リンは階下にむかった。
リンが外出の準備をしていると、ライアンとシムネルが、ガタンと大きな音を立てて家に入ってきた。普段の動きが優雅なライアンにしては珍しい。
「ああ、リン、おはよう。まだいたか。すまないが、髪をくくってもらいたい」
「……髪紐、使いにくかったですか?」
「いや、使い心地には全く問題がない。問題があるのは精霊だ」
顔の横で、手で何かを押しのけるように言う。
精霊も昨夜は気に入ってくれていたようだったが、何がだめなのだろうか。
「結んだ時にどの精霊石もきれいに見えないと嫌らしい。毎朝髪を結びながらそんなことを気にできると思うか?あまり面倒をいうと髪を切るぞ、と言ったら、このように大騒ぎだ」
「リン様、なんとかお願いします。塔の執務室の書類は舞い散り、暖炉の火は消され、椅子は水浸しでさんざんで、こちらに避難してまいりました。シュトレンはライアン様の衣服についた泥を拭っております」
いたずらっ子か。唖然とするばかりだ。
「そんな乱暴なことを言うからですよ。こちらに座ってください」
結び方を変え、うまく髪紐を巻き付けて、四つの精霊石が一直線に並ぶように結ぶ。
「これでいいと思いますよ。せっかく艶があってきれいな髪なのですから、切るなんて言わずに維持してください。精霊じゃなくても残念です。今度、紐に精霊石を編みこむのではなくて、先の方でユラユラ揺れるのを作りますから。そしたらどう結んでも、すべてがきれいに見えます」
「全く面倒なことしかない。……助かった、リン」
「それじゃあ、行ってきます。今日は師匠と市にいって、そのあと料理の仕込み日なんです」
リンはブルダルーを待たせないように、早歩きで出ていった。
「師匠、市でなにを買うんですか?ほとんどの材料が、館からもう届いたんですよね?」
「ああ。この間のホワイト・テイルがちょうどいい頃合いじゃ。昨日、ウェイ川の船着き場に船が入ったと店から連絡があってな。祝祭に合わせて、海から燻製の魚が運ばれたのじゃよ。その確認じゃ。あとはスパイスじゃな」
リンがこちらに来て以来、魚は一度も食べていない。ウィスタントン領に海はないし、市でも見なかったから諦めていた。
「船で運ばれるんですか。魚をこちらで見るのは初めてです。うれしい!」
「リン嬢ちゃまは、魚が好きかね?」
「ええ、大好きです!私の国は海に囲まれていて、新鮮な魚も手に入りやすかったんですよ。肉より食べていたかも知れません」
「それじゃあ、食べたいじゃろうの。ウェイ川や森の川で釣りもできるが、海の魚はまた風味が違う。この辺りでは海から持ってくるのに、塩漬けか燻製になってしまうが」
「燻製の魚もありましたよ。サーモンという紅色の身の魚です。薄切りのパンを焼いて小さめに切った上に、クリームにレモンと薬草で香りを付けたのを塗って、サーモンをその上に置くんです」
考えただけで唾がでてくる。リンはスモーク・サーモンはすぐに飽きてしまうことが多く、レモンでさっぱり、クリームで円やかにして食べるのが好きだった。
「ふむ。本当に料理をしていたんじゃのう。今日の魚も紅色の身じゃが、似た魚だったら、嬢ちゃまが祝祭料理を一皿をつくるかね?スパイスはこの国では数が少ないが、レモンは最近入ってきておる」
「いいんですか!ぜひ!喜んで」
館の出入りだという商店の入り口には、届いたばかりの魚が木の箱に入れられ、緑の葉を敷いた上にきれいに並べられていた。煙の香りに、爽やかな緑の香りが加わる。
「これがフック・ノーズじゃ。顎の部分が鉤のようになってるじゃろ」
端を切って少し味見をさせてもらう。味もサーモンに似ているし、脂がのっていておいしい。
「ふむ。臭みもなく、いい出来じゃの」
「全く同じかはわかりませんけど、とても似ています。サーモンに」
「なら、大丈夫じゃの。……悪いが、五つほどをライアン様の工房へ、あとはいつものように館へ手配を頼む」
店の主人に手配を頼み、外にでた。次は野菜とスパイスだ。
「いつもならスパイスは薬事ギルドじゃが、船がついたからの。街の市に船に乗ってきた商人が店を張っているじゃろ。たまに珍しいのがいち早くでることがあるんじゃ」
マーケットプレイスに張られた天幕の店には、大きな麻袋に穀物が並び、棚には陶器のジャーにはいったスパイスがあった。乾燥した、独特の甘いような香りが漂っている。
「ふむ。あまり今回は目新しいのはないか……。ん、長胡椒は初めてみるの。ふむ、よい感じじゃ。すっきりして、胡椒より香りも柔らかじゃな。後はクローブ、カルダモン、ガランガ、メース、ナツメグ。この辺りはまだ在庫がある。このサフランと砂糖は少し安くなっているかの。長胡椒に、サフラン、砂糖を少しずつもらおうか」
砂糖一バーチの購入に、銀貨がでている。
普段は館に出入りの商人の店で、ライアンのツケで買うことの多いリンは、あまりお金を持ち歩かない。せいぜい銅貨で、使うのも『金熊亭』の食事、二銅貨ぐらいだ。白のふかふかパンより断然高いのが砂糖だ。
「師匠、銀貨ですけれど、これでも安い方なんですか?」
小声でこっそりと聞いてみた。
ブルダルーは物価に疎いリンに、いつもわかりやすく説明してくれる。
「薬事ギルドだと半バーチの砂糖で、そうじゃの、小銀貨三枚かのう。豚の丸焼きが買えるぐらいじゃな。ここだと小銀貨二枚と三銅貨じゃ。ガチョウの丸焼きぐらいじゃろう」
それでも高い。
砂糖少しか、豚の丸焼きか。
庶民なら豚一択、いや、丸焼きだって滅多にない、特別な日のごちそうだろう。
「何人もがお腹いっぱい食べられる丸焼きか、少しの砂糖か、ですか……」
「薬草のいくつかは、この国の南でも栽培できるようになった、と薬事ギルドで言っておった。じゃが、ここにあるようなスパイスや砂糖は、南の国じゃないとできんからのう。どうしても高くなるな」
リンとブルダルーは軽く食事をとった後、工房ですべての材料を確認し、メニューを決め、仕込みをはじめた。
祝祭メニューにはリン担当の部分がある。フック・ノーズに、かぼちゃのスープだ。
ここでは誰にも理解してはもらえないだろうが、冬至にはせめてかぼちゃが欲しい。ゆず湯がない代わりに、かぼちゃが食べたい、とブルダルーにお願いして、市でかぼちゃを購入してもらった。
日本の品種と違って、まるでハロウィーンのパンプキンみたいなオレンジの皮だけれど、これでもかぼちゃ。こちらにある材料でできるし、スープにさせてもらうことにした。
≪工房の祝祭メニュー≫
一の皿:白ワイン セージと蜂蜜入り
二の皿:スモークド フック・ノーズのクリームトースト
三の皿:かぼちゃのポタージュ
四の皿:ホワイト・テイルのロースト
五の皿:りんご、ぶどう、フィッグのパイ
リンのお茶:プーアル熟茶 一九九八年 思茅
祝祭のメニューはお茶までいれて、六種類。
「館だと四と五の皿の間にもう一皿、パイが入るんじゃ。そこで余興の楽師が入るから、音楽のツマミになる感じじゃな。ここでは最後に嬢ちゃまのお茶があるから、これでいいかと思うんじゃが」
「私にはこれで十分すぎますよ。ホワイト・テイルも楽しみです」
「今日はホワイト・テイルをマリネにするだけじゃな。熟成で香りができあがってきていての。マリネ液に漬けてからローストするのがよさそうじゃ」
「手伝います!」
「ホ、ホ、手伝いなどいらんほど、簡単じゃぞ。ぜーんぶ漬け込むだけじゃ」
それからブルダルーはテキパキと、赤ワインをフランベしてアルコールを飛ばし、大きな鍋に入れ、そこに、にんじん、玉ねぎ、エシャロット、ローリエ、タイム、ローズマリー、パセリ、ラリエール、オリーブ油、胡椒、そして、ワインから作った香りの強い蒸留酒を加え、ホワイト・テイルを漬け込んだ。
「これで一日おけば、明日にはちょうど良くなるぞ」
簡単じゃったろう、これで終わりじゃ、と言いながら、ブルダルーはさらにスープ用の一番大きい鍋を火にかけ、豚肉や野菜を切り始めた。
「師匠、もう夕食の支度ですか?」
さすがに早すぎる。まだお昼を食べたばかりだ。
「これは城壁の外に持っていく分じゃ。せめて祝祭には少し余分に食べられるようにの」
お読みいただきありがとうございます。
次話は今年中か来年か微妙なところになりそうです。
どうぞよいお年越しとなりますように。





