To Walsmire / ヴァルスミアへ
昼前には今度はリンが見送られた。
王族と王宮勤めの者達に笑顔で手を振り、リンが帰領のために乗り込んだのは往路と同じラミントン領の船だった。
全員が同じ船で帰れるわけもなく、増えた荷物と一緒にクナーファ船ですでに出発した者も多い。
中にはオグのように、全く方向は逆だが、アルドラの島に「立ち寄り」となった者もいる。これにはウィスタントンから文官と薬事ギルドの者が同行し、春からは島に住むことになりそうなサントレナ出身のポセッティも一緒だ。マチェドニアの文官も当然一緒なので、けっこうな人数となっていた。
オグは、俺もかよ、と、苦い顔をしていたけれど、ブツブツとこぼしながらもアルドラの鞄を持ち、船に乗りこんでいった。
アルドラのご指名に、断るという選択肢はないようだ。
ラミントン船の船首楼の上にある小甲板には、王都へ向かった時と同じようにライアンとラグナルが座っていた。オグの代わりに、今はタブレットがクッションを肘置きにして、ゆったりと足を伸ばしてくつろいでいる。
海に出てから風が少し冷たい。日も落ち始めたが、夜は寒いぐらいだろう。
そこへ下からリンの声がした。梯子を一段一段上がってくる音がする。
「ありがとうございます。よいしょっと」
最後はライアンが手を貸した。
「あ、やっぱり。ここにいた」
シロがタブレットの脇に、こちらもぐてりと寝そべっている。
「もう、シロってば。探しちゃったでしょ」
シロはリンに甘えもするが、タブレットがいる時はタブレットにべったりだ。リンが言うよりも素直にいう事を聞いている。
今もリンを見てシッポを一回振ったが、そのままだ。
精霊と同じく、これも自分に威厳が足りないのかと思うが、しょうがない。少し淋しいが、リンはべつにシロを従えたいわけではないのだ。
今夜も夜通しここで過ごすのだろう。小甲板には厚い敷物が広げられ、クッションや毛布が散らばり、居心地が良さそうである。
「こちらにも、お酒とお茶を持ってきたんですよ」
リンはそう言って、小袋をライアンに渡した。
『お茶の石』に『お酒の石』ふたたび、である。
行きの船ではいろいろ言っていたライアンも、もう何も言わない。これがリンの普通なのだ。
「何がある?」
「ええと、お酒は赤ワインに、ビールに、シロップ・ミード、あと国王陛下差し入れの蒸留酒」
ライアンが眉を上げた。
「叔父上の?」
「陛下も頂き物だったようなんですけどね。おすそ分けですって」
「ふむ。それは期待できるな」
「お茶は温かいのだけですけど、ライアンの好きなものばかりですからね。酔い覚ましにどうぞ」
二人で顔を突き合わせて、仲良く小袋を覗き込んでいると、こんどはブルダルーとラミントンの料理長が顔を覗かせた。
「お食事をお持ちいたしました」
下の甲板にいる者から木箱を受け取り、敷物の上に次々と並べていく。
最初に取り出されたのはパイだ。
「あ、フィッグのパイ! 季節ものですねえ」
横にはどっしりとしたミートパイもあったが、小ぶりのフィッグが半分に切られて飾られた、フィッグ・パイにリンの目が向いた。
ラミントンの料理長が、サクッとナイフを入れている。
「リン嬢ちゃまの分はお部屋にと思ったんじゃが、こちらに運びますかの?」
「いえ。あちらでシュゼット達と食べるつもりなので、すぐ行きます。じゃあ、皆さん、気を付けてくださいね。あまり飲みすぎないように」
「ああ」
「シロ、一緒に……」
呼びかけても動かないシロは、今宵は男子会に参加するらしい。
リンはがっくりと肩を落とした。
「うん、行かないよね。わかってた」
「シロの食事も下に用意したんじゃが」
ブルダルーの言葉にシロの耳がピクリと動いた。すくっと立ち上がると、軽やかに下甲板に飛び降りた。
続いて料理人達も礼をして、下へ戻っていく。
「えええ~」
リンはそれを見送り、ちょっと口を尖らせたが、はあっとため息をつくと自分も梯子に取り付いた。
ラグナルがクスクスと笑う。
「リンは本当に面白いですねえ」
「シロとはいつもあんな感じだ。仲はいいが、自分が主人とは思われていないと言っていた。……さて、何を飲む?」
「私は、ミードで」
「ワインをもらおう」
パイ以外に、赤玉ねぎのマリネ、海老や貝のサラダも添えられている。
ライアンは色を見て『赤ワインの石』と『ミードの石』を選び出すと、グラスに飲み物を注ぎ、タブレットとラグナルも自分で好きな物を取り分けている。
「では乾杯だ。ドルーと精霊に」
「「ドルーと精霊に」」
「大市、お疲れ様でした!」
軽く喉を湿らせて、料理に向き合う。
「これもリンの料理か?」
「いや、どうだろう。パイは昔からあるが」
「そうですね。このサラダもラミントンではよく食べられますが」
それぞれがサラダやパイをほおばり、沈黙した。
「リンの料理とは違うかもしれないが、この間食べたミートグラタンに近い味だ」
「香辛料が効いているな」
「こちらも少し、いつものサラダと違いますね。薬草、でしょうか」
「ブルダルーも毎日リンと厨房で研究していたからな。これがウィスタントンの新しい味なのかもしれない」
「ラミントンも、だいぶレシピをいただいていますからねえ」
「どちらにせよ、うまいな」
三人でうなずきながら、次々と口に入れる。
テーブルもなく、マナーとしては全くなっていないが、大海原を眺めて食べるのは本当に美味しい。三人の手も早かった。
ひとしきり飲んで食べ、腹も満ち足りて、夕闇の中、それぞれがゆったりとくつろいでいる。
つまみを整え、食器を下げに来た料理人が、ランプに火を入れていった。
「しかし、夏も無事に終わって良かったな。ラグナルは領主として、初の社交だったであろう?」
「ええ。日々緊張と勉強でしたね。グラッセに支えてもらって、ようやくといったところです」
「突き出した腹の中で何を考えているかわからないタヌキも多いからな。まあ、そのうち慣れる」
早くから国を率いているタブレットはさらりと言う。
「タヌキ……。どうしよう、次に顔を見たら笑いそうです」
ラグナルは笑いをこらえて震えている。
「そのぐらいでちょうどいい。……そうだ。ライアン、リンの具合はもういいのか?」
「ん? ああ。疲れると少し熱を出すようだが、無理をしなければ問題ない。精霊もわかっているのか、今まで以上にリンに過保護だ」
サラマンダーなどはリンの指示前に火を起こし、厨房で料理人を驚かせている。
この船もライアンが風と水を支配して進んでいるが、いつも以上に軽やかだ。
リンが力を加えているのかと思ったが、これも精霊が先回りして手伝っているのだろう。
その過保護さもどうかと呆れて見ていたライアンだったが、リンの負担にならないならば、今は良しとしている。
「術師の不調がそこまで長引くとは知りませんでした。まだ、熱が出るのですか」
「……助かったのが、不思議なぐらいだった」
ライアンがぽつりと言った。
タブレットとラグナルが、ハッとして身を起こす。
「……そんなに悪かったとは」
「ドルーから賜ったセンスの枝とリンが作った精霊石が、力を受けて助かったのだと思う。ヒトの身に過ぎる力を扱う意味を改めて思った」
「助かって良かったな。怖かったであろう?」
「ああ。……失うかと思った」
ライアンが吐息とともに言った。
「怖い、ですね。それは……」
ラグナルも静かに言葉を紡ぐ。
タブレットが、空いたグラスをライアンに差し出した。魔法陣の入ってない『酒の石』は、ライアンにしか扱えない。
「ライアン、リンにさっさと言ってしまえ。気持ちを伝えずに先に逝かれたら、後悔しか残らぬぞ」
ライアンがタブレットのグラスにワインを注いだ。
「……そうか。この間言っていなかったか。もう伝えた」
「なんだと?」
「ええっ!」
サラリとこぼされた言葉に、タブレットとラグナルが目を見開いた。
ラグナルは思わず膝立ちになっている。
「……気づかなかった」
「相変わらず、仲がいいとは思いましたが」
ペタンとラグナルが腰を落とした。
「関係は変わっておらぬ。まずは気持ちを知って欲しかっただけだ」
「はあ……。なぜ、そこで攻め切らぬのだ」
「そうは言っても、城攻めではないのだぞ?」
「同じだ。攻めるべき時に攻めるべき場所を押さえねば、落ちぬ。押しが足りぬのだ」
タブレットの言葉に力が入った。
「ふむ。……だが、リンはその後で熱を出したのだ」
「告白で!? ま、まあ、それでも、一歩前進ですか」
「ライアン、がんばるのだぞ。秋から冬は恋の成就率が上がる」
ライアンが眉を上げた。
「……なぜだ」
「考えてもみろ。秋風が立ち、陽が落ちるのも早く、夜が長くなる。肌寒さと落ちる枯れ葉に誰もが淋しさを覚え、人肌の温かさが恋しくなろうというもの」
「そういうものか。……冬のない島の王にしては、詳しいな」
「伊達に幼少の頃から大陸に通っておらぬ。それに、島にも冬はあるぞ」
「そうなのか?」
「ああ。三日ぐらいな」
その後、三日の冬がある島のタブレットから秋冬の心細さが語られ、酔いに任せた三人は、告白と城攻めの適切な時期を話し合い、スローながらも少し進んだように見える二人の関係に乾杯をした。
ラミントンの領都で船のオーナー一行を下ろし、船はそのままウェイ川を遡った。
リンはヴァルスミアが近づくにつれ、景色に顔を輝かせて、甲板をウロウロとしている。
着ている赤ぶどう色のドレスとショールは、この春に誂えたものだったか。袖丈も長く秋の装いで、シルフが呼び込む川風にも寒さを感じない。
「ライアン、ほら、あの辺りの色も変わり始めてますよ。こちらはもう秋ですねえ」
「ああ、北の夏はシルフの様に速く通り過ぎる。冬の支度ももう始まっているし、来月には雪も降り始める」
「秋も短いんですねえ」
「駆け足だな」
リンは岸辺に色づく葉を眺め、北の秋に思いを馳せているようだ。
昨夜のタブレットの助言がライアンの脳裏に過った。
リンも物淋しく、人恋しく思うのだろうか。
「それなら秋の味覚を大急ぎで詰め込まないと」
ライアンは目を瞬いた。
明らかに攻めるべき時でも、場所でもないようだ。
「リスでもないのに、どこに詰め込むというのだ。それに急ぐのはそれだけではないぞ。収穫祭と大市がすぐだ。冬支度も必要だし、『水の浄化石』の作成も始まる」
「うわあ。大市だけでも大変なのに」
「ああ。忙しくなるな。帰ったらまずは、大市の準備に入る」
リンはライアンを見上げ、力強くうなずいた。
忙しくなるだろう。でも、とても楽しみだった。
船がゆっくりとヴァルスミアの船門に到着した。
閉門時刻をとうに過ぎているが、かがり火があちらこちらで焚かれ、明るさは十分だ。
領主一族の帰領に、留守を預かったギモーブとその妻ケスターネを中心に、大勢の出迎えが出ていた。
誰もが笑顔で手を振っている。
リンは後ろの方に、エクレールやタタン、見覚えのあるハンター見習いの子たちの顔を見つけた。
ああ、ヴァルスミアだ。
「ただいまー!」
リンも大きく手を振り返した。





