Contract / 契約
フォルテリアス国王とマチェドニアの皇太子が手元にある紙にそれぞれ署名と印を押し、どちらも美しい彫刻が施された印章を置いた。
「では、これにて契約が締結されました」
確認した文官の言葉に拍手が起こった。
白壁に金が使われた豪華な内装の部屋に、フォルテリアスとマチェドニアの代表者が集まっている。
締結されたのは、マチェドニアとの取引に関する契約だ。
「ありがとうございます。これで国に戻り、十分な備えができることでしょう」
マチェドニアの皇太子キュネフェと、その隣に座るカタラーナが丁寧に頭を下げた。
「いや、こちらにも十分に利があることだ。……これからの協力に感謝を」
フォルテリアス国王オランジェットは、テーブルの脇に座るリンにチラリと目をやると、必死に笑いをこらえた。
リンの顔は誰が見てもわかるほど、喜びに輝いていた。
これでフォルテリアス国内で一度失敗した茶樹の栽培が、正式に始まるのだ。
締結された契約は、マチェドニアから来春より十年に亘って、茶栽培の指導者を派遣し、その知識と技術を伝え、茶樹の苗木を提供する。その対価としてフォルテリアスは宝玉を渡すというものだ。
シュージュリーに対抗するマチェドニアへの援助が、このような形に落ち着いた。
部屋には両国代表と契約に携わる文官達だけでなく、リンとライアン、それから、最初に茶栽培を試す場となる島の持ち主であるアルドラ、協力を申し出ているフィニステラ領主サヴォア、実際に両国間での輸送を担うクナーファ商会のロクムが、それぞれの側近と共に参加していた。
実務レベルでの細かな点まで話し合われ、契約には織り込まれている。
「それでは、こちらを」
文官がリンが作った『神々しい石』を三つ載せたトレイをテーブルに差し出した。
マチェドニアにもクナーファにも、これが精霊石であることを伝えてはいない。
卵型の石にライアンが土の術でカットを施したので、『水の石』とは到底思えないだろう。
リンが風呂で使う石よりもだいぶ小ぶりだが、それでもその透明感、存在感は変わらず、カットによってさらに輝きを増していた。
キュネフェとカタラーナの目が見開かれた。
「これは見事な……」
「まあ、なんて美しい」
リンとライアンが、さっと手を前に差し出した。
その手はどちらもグノームをテーブルに抑えつけている。
突然の奇行にマチェドニアの者はビクリとして、リン達を見つめている。
横からアルドラがのんびりと言った。
「気にしなくても良いよ。精霊は美しい物に魅かれるのでね。飛び出すのさ」
精霊の中でも、グノームは特にその傾向が強い。
そういうアルドラのグノームは、じっと『神々しい石』を見つめているが、その場を動かずに待機している。
「リン、何をそんな不思議そうに見てるんだね?」
リンは前のめりになるグノームをテーブルの上で引き寄せながら、これが威厳と経験値の差なのか、と、そっとため息をついた。
「ヴァルスミアは聖域があることも影響するのか、珍しい石が見つかるのですよ」
国王が並ぶ賢者たちの様子を見て、苦笑しながら言った。
契約が終わったことでその場の雰囲気が緩んだらしく、雑談が始まった。
この後は移動して、昼餐の席が設けられている。
マチェドニア一行は、戻りもクナーファ商会の船を使うようで、キュネフェとロクムの間で、いろいろやりとりがされている。どうやら一部の者は実際にフィニステラ領とアルドラの島を見てから、帰国するらしい。
サヴォア卿がリンに声をかけた。
「リン様もご一緒に島を訪れるのですか?」
そういえば、秋の大市前に立ち寄るという話だったはずだ。
「はい、ええと……」
「いや、訪れるのは先になる」
リンを遮って、ライアンが言った。
「あれ? そうなんですか?」
リンも初めて聞いた。
「なんだい、ライアン。邪魔をおしでないよ」
アルドラが鼻を鳴らして、ライアンを見上げた。
「いえ、アルドラ。大市前は本当に時間的に厳しいんですよ」
南に行くのであれば、ベウィックハムで薬草栽培の視察も、と、ライアンは思っていたが、大市前に戻って急いで職人受け入れの整備をしなければならない。
病み上がりのリンだって、少しは休ませたいのだ。
「なら、リンだけでも来たらいいさ。オグも一緒だしね。大丈夫だろう?」
どうやらオグが島に行くのは決定の様である。
オグが、おい、勘弁しろよと、嘆くのが、リンには見えた気がした。
「ええと……」
「無理です。アルドラ。リンの調整が必要なこともあるんです」
アルドラとライアンはリンの頭の上で言い合いを始めた。
リンも考えた。
茶の栽培場となる島には、ぜひ行ってみたい。
だが、実際に大市までにやることは多かった。この秋には職人だけでなく、各領地から料理人も送られて、新たな天幕も設置されるのだ。
飛行機で数時間、といった旅ができないこの世界では、往復だけでも一週間近くかかりそうだ。
ムムム、とリンが考え込んでいると、頭の上を通り過ぎていた声がリンに呼び掛けた。
「リンも島に行きたいか?」
「そうですねえ。始まる前に一度見たい気持ちはあって」
「そらごらんよ」
「……やっぱり難しいですかねえ」
ライアンは難しい顔をしていたが、ふっと頬を緩めた。
「リン、春にマチェドニアの者が島に来るのに合わせて、見に行くのがいいと思うが」
「それはもちろん行きますよ?」
何と言っても茶樹が来るのだ。ぜひとも立ち会いたい。
「春を勧めるのにはもうひとつ理由がある。島にいる両手がハサミになっている十本足は、春の方が美味しい」
「十本? あれ?」
「ああ。インク・フィッシュではなく、あれも十本足だ。『小さき青』とも呼ばれるが。今の時期より春から夏に、殻に身がたっぷりと詰まって、ズシリと重くなる」
「へえ……」
リンの興味が、明らかに茶樹から身がプリプリの十本足に移った。
「その身は締まっていて、繊細な甘味があるのに、香りも味も濃厚で旨味がすごい。私は茹でたものを食べたが、リンなら他にもいろいろ考えそうだな」
「うわ~っ」
リンの目はどこか遠くを見て、口元がによりとし始め、テーブルの下で足がバタバタとしている。
ハッと気づいて足を止めると、緩んだ口元を手で隠すが、もう遅い。
「どうせなら、美味しい時期に行きたいだろう?」
「ですね! 春に行きましょう!」
簡単だった。
「なんだねえ。全く。ライアン、ずるいじゃないか」
「アルドラが使った方法と一緒ですよ」
ライアンだって経験から成長しているのだ。
キュネフェは不思議な思いでリンを眺めた。
この契約の締結前に、リンは何度も打ち合わせに参加し、マチェドニアの者を唸らせた。リンは生産の方はあまり詳しくないと言いつつも、聞いたことがない茶の知識をこぼし、この協力を通じて、逆に自国の茶の生産技術が大きく上がるだろうと思わされた。
その時の真剣な態度と、今、ライアンの隣で『小さき青』を思い浮かべ、ニコニコと笑っているリンがどうにも重ならない。
それでも、この光景を見られて良かったと、キュネフェは隣に座るカタラーナと顔を見合わせて、ほほ笑んだ。
『小さき青』のイメージは、オマール海老。
次話、領主を集めた試食会を既にしたことにして、もうヴァルスミアに帰っちゃおうかなあと。(秋の大市と重なりそうな気がするので。)
毎話、悩んでいます。今回もアルドラの島に行った方が良かったかなあ、とか。(アルドラの島は、また閑話みたいなので入れると思います)
さらに、twitterを始めようかな、とも、悩んでいます。
でも個人のtwitterもツイートせずに放り出してログインできなくなったので、結局何もツイートできない気がしています。
リンやライアンが飲んでいるお茶とか、お茶とか、お茶とかのツイートでもいいのでしょうか。





