Picnic 2 / ピクニック2
リンがゴーレムからヒトに戻った頃、湖の桟橋に一艘の船が到着した。
「お嬢様、到着いたしましたよ」
「わかっているわよ」
侍女に促されて、苛立ちを顔にも声にも表し立ち上がったのは、パネトーネ侯爵の娘クレマである。
王太子殿下の主催する宴に出席するのだとしたら、あまりにも遅い。
「さ、お早くなさいませ」
侯爵家に長く仕える侍女は、ここのところ毎日不機嫌なクレマにまったく動じず、急ぐよう促してくる。
出席しないつもりでいたのだが、王太子殿下の招待に不参加などありえない、という父の厳命で、クレマはしぶしぶ足を向けたのだった。
友人だと思っていた者たちは、今年の社交にクレマを招待しなくなった。声をかけても、他に予定があると断られる。
去年は同じ船で楽しんだこの殿下主催の宴にも、誘いの声はかからなかった。
今日も不愉快な思いをすることになるのだろう。クレマは胃の底にぐっと湧きあがる憤りを抑え込み、頭をくいっと上げると、船を下りた。
ふっと息をついたリンは、湖の桟橋の方からやってくる人影を見つけた。同時に相手もリンを認識したようだ。
「……驚いたわ。このような所でいったい何をしているのかしら?」
春の大市で会った不快な女性の登場に、リンは軽く目を見開いた。
なんでこんな所に、と、言いたいのはリンの方だ。
長々と続いた挨拶の列には、いなかったのに。フロランタン、シュゼットと並び、ライアンの隣に立ち、にっこり笑う首振り人形となって挨拶を受けたが、見落としたのだろうか。
「なんてずうずうしいのかしら。どうせおねだりをして、連れてきていただいたのでしょうけど。王太子殿下主催の宴は、平民が立ち入られる大市とは違うのよ?少しは身の程をわきまえた方がいいのではなくって?」
「……」
「ちょっと、貴女聞いているの?!」
クレマは次々と、高慢で、毒のある言葉を投げかけてくる。
その勢いにリンは唖然としていたが、ハッとして、ムカムカとしてきた。リンだって、できればこんなに人がいる社交に来たくはなかった。緊張して、顔も体もこわばるぐらいだったけど、それでもフロランタンの要請で来ているのだ。
「聞こえております。ですが、私は王太子殿下のお声がけでこちらに参っております。私の出席は貴女が決めるべきことではありません」
イラつく気持ちを抑えて話したら、思ったよりも冷たく平たい声がでた。
リンは背筋を伸ばして立ち、クレマを真っすぐに見据えている。クレマに対して礼もとっていない。
ライアンから、今日は礼を受けても、こちらは返礼に頭を軽く下げるだけにするように言われてきたのだ。賢者から丁寧にあいさつを返された方がうろたえてしまうから、と。
それでなくても、失礼で、リンを蔑むような人に、礼をつくす気はなかった。
「なんですって?!」
押し込めておいた熱いモノが膨れ上がり、クレマの手はぶるぶると震えた。
背後に控える侍女がクレマを止めようと、名前を呼ぶのにも気づいていない。
「無礼だわ!」
リンは横をむいて、思わず笑ってしまった。
「礼を欠いているのは、貴女の方でしょう?」
あきれたように言うリンに、クレマはますます憤った。
「ア、貴女、そんな態度をしていられるのも、今だけよ! ライアン様と皇女殿下のご婚約が調ったと聞きましたもの。貴女など、すぐにその立場を失うわ!」
「え、婚約? ……うそ」
耳から飛び込んできた言葉に、リンはイライラしていたのも忘れて、ポカンとした。
「そうよ。同じ黒髪でもずいぶん違いますわね。愛妾など、しょせん公に認められる身分でもないのですから……」
クレマはリンの動揺を喜んだのか、勝ち誇った顔で言いつのる。
リンは考えがまったくまとまらなかった。何も考えていなかったかもしれない。ただ、目は途方に暮れたように、周りにいる精霊をさまよった。
そして今は少々焦っていた。
精霊たちの動きがなんだかおかしい。シルフはヨロヨロと飛んでいるし、オンディーヌは口元に手を当てて、頭を左右に振っている。グノームはドレスから転がり落ち、座り込んだままだ。そして、左手をつないでいたサラマンダーは、今にもクレマに飛びかかりそうなのだ。
ふと見れば、相変わらずクレマの精霊達は仲が悪いようで、こちらは逃げる火の精霊に、水の精霊が近づいて嫌がらせをしている。それを見て、リンの手の先でサラマンダーがますます身体をよじる。
「ダメよ。私がいいと言うまでやってはいけません」
目の前でブツブツ言っているクレマがどうでもいいぐらい、リンはサラマンダーを必死に捕まえていた。
用がないなら、さっさと立ち去ってくれればいいのに。
クレマは自分をないがしろにして周囲を見回すリンに、さらに目を鋭くした。
毎年楽しみだった友人達との夏の社交はなくなった。
あっという間に離れていった友人達。パネトーネの娘が仕事だなんて、と嘆く母。作っても作っても、足りないと言われる『水の石』。どうしてこうなったのか、と、イライラとした夏を過ごしてきた。
この娘が寵愛されていなければ、自分が賢者の横に並び立っていたかもしれないのに。
「聞いているの?!」
にらみつけたクレマは、リンの手元に火の精霊がいるのに気づいた。そしてレースの袖口からのぞく細い手首に巻かれた、美しい意匠を施したブレスレットに目を留めた。加護石に似た貴石が揺れて下がり、光を反射している。
その時思い出した。社交に出ていないクレマにも聞こえてきた、ギルドで飛び交っていた噂を。
クレマはリンに一歩近づいた。
「加護石?まさか……。いいえ、ありえないわ!それを見せなさい!」
リンの手を掴もうとするクレマを、サラマンダーはさすがに許さなかった。
バチンっとかなり大きな音がして、クレマの手がはねのけられた。
「きゃあっ」
それが合図だったかのように、クレマの側のオンディーヌとサラマンダーが、大きく動き始めた。
オンディーヌは水を飛ばし、サラマンダーは火の粉を振りまいた。
「やめ、止めなさい!イヤっ!」
ちょうど間に挟まれてしまったクレマにも、飛沫や火花が降りかかる。
シルフが風ではねのけ、リンの周囲を守った。
水がかかったのだろうか。クレマの横にいたサラマンダーが身体をよじると、その周囲でふわりと空気が揺れ、一気に膨れあがった。





