巣籠り
女のネグラは、浜からずいぶん離れている。それに加えて草木が育たない土地なので土地の者はよりつかない、いわば見捨てられた場所だ。
そこには石を積んだ山がいくつもある。地面に積まれたものもあれば、斜面に積み重ねたものもあった。海よりの風がここを吹き抜けるとき、石積みのせいで悲鳴のような音をたてる。また、ときとして風がつむじを巻く。今だって女の綿入れをばたつかせている風がおびただしい土埃をまきあげている。
女は一番手前の石積みを調べていた。やがて得心したのか、その隣の石積みを崩した。
斜面の石積みはほかにもいくつかある。きれいに積まれたものもあれば、上のほうが崩れたところもあってまちまちだが、崩れた先にはどれも小さな穴が穿たれていた。
女が石積みを崩すと、そこにも穴が穿たれていた。高さは女の肩より少し低く、差し渡しは両手を広げたくらいの穴だ。
女は自分だけで穴の中に姿を消し、しばらくして手ぶらで戻ってきた。
男の頬かむりを取って顔を覗き込んだ女の手が止まった。しかも眉間に皺を寄せて男を睨みつけている。どうやら歓迎できない相手のようだ。
このまま浜へ戻って男をうち捨ててこようか。女は本心からそう想ったようだ。しかし、坂を登ることよりも下るほうが体に堪えるものだ。既に女はへとへとなのだ。
となればひとまず匿うしかない。
決断するのは女。男より女のほうがはるかに大胆だ。
さきほど確かめていた石を半分ほど崩すと、ここにも穴が黒い口を開けていた。
女は男が括りつけている包みを外し、綿入れを脱がせた。そして広げた綿入れの上に包みを置いた。腰の刀も鞘ごと抜き取って上に置く。懐中を探ってすべて取り出し、印籠も取った。ほかに金目のものがないかと確かめて、見落としていた扇も奪った。その一切合財を綿入れで包むと、口を開けた穴に押し込んでしまった。
穴の口を石で塞ぐと、女はまたしても男を睨めつけた。
厭でたまらないようだが、それでも別人ではないかと確かめ、確信したようだ。
袷の後ろ襟を掴んだ女が、男を穴の中に引き摺ってゆく。まるで蟻が獲物を運びこむかのように。
女が穴の入り口に姿を現したのは、ずいぶん経ってからだ。中腰を強いられるせいでもあるだろうが、女は肩で息をしている。そしてしきりと腰をさすった。
女の次の仕事は、入り口を塞ぐことだ。穴の中には芝草の束がたくさん転がっていて、それを積み重ねて風を防ぐのだ。そのかわり、外の光も遮ってしまうのだが、寒さを我慢するのとは較べようがない。みっしり積み上げた束が崩れないよう、竹でつっかい棒を立て、御丁寧に閂までかけた。とたんに中が真っ暗になり、木がいぶされているような臭いが濃くなった。そのかわり、吹き付けてくる風がぴたりと止んだ。といっても、隙間風は入ってくる。が、そよ風のようなものだ。また芝草の束は、気味悪い風音をも防ぐ効果があった。
入り口から十歩も奥へ進むと、わずかな明かりさえ届かなくなった。にもかかわらず女は、左手で壁を触れながら慣れた様子でなおも奥へ進んだ。
手探り、足さぐりは恐怖を感じる。それが閉じられた空間であればいくらか安心しそうなものだが、実はより怖く感じるものだ。また、洞穴のなかに充満している煙のためか、用をなしていない目がゴロゴロする。それを避けるために目をつむると、よけいに五感が研ぎ澄まされる。するといがらっぽい臭いばかりが鼻についた。目を奪われ、鼻を奪われると、こんなにも恐怖を味わうものだ。ところが女は平然と歩を進めていった。
手に触れていた壁が途切れると、女はそのまま左に向きを変えて壁を伝った。
木のくすぶる臭いが急に濃くなった。
ぼんやりと壁が見える。黒一色の世界に潤いを与える、色のある風景だ。色の出所は小さな焚き火。まばゆい炎が穏やかに揺れていた。
女が藁を一掴み焚き火にくべると、一気に炎が大きくなった。パァッと周囲が真昼のようになると周囲の様子が一目で見えた。
照らし出された壁面には白やら緑の帯が走っていた。どうやらそれを目当てに掘り進んだらしく、鶴嘴の跡が無数についている。そこだけ天井も高くまで広げてあった。どうやらここは採掘坑らしい。とはいっても、入り口の周囲に柵などなかったことからして廃坑ではなく、試掘坑のようだ。穴はもっと奥まで続いていて、少し先に男の足が見える。
いがらっぽい煙が天井を這っているのだが、天井の一角にゆっくりと吸い込まれてゆく。かとおもえば、煙をかき乱すように風が入ってくるところもある。
女は太い薪をくべておいて男のほうへ行った。
藁を山と積んだところがある。燃料にするためであり、女の寝床でもある。それ以外に人を寝かせるところはないので、女はその山を崩して男を寝かせていた。
綿入れのおかげでほとんど濡れてはいない。が、女は袴も袷も襦袢も脱がせた。足袋すら脱がせて下帯だけにすると、それを一まとめにして枕元に置いた。そして藁を男の上に掛けたのだが、なにを思ったか女はその場を去った。
戻ってきた女は鍋を提げている。中には水が半分ほど。女は男を睨みつけながら脱がせたものに水を振り撒いた。
鍋の中身を全部振り撒いてビショビショにすると、ほんの少し目尻を下げた。
そうこうするうちに、こんどは自分が寒さに耐えきれなくなったとみえ、綿入れを脱いで焚き火にあたった。
ハーハーハーと荒い息遣いが続いている。時折りウーンと唸るような声もした。少し間をおいて荒い息遣いが始まる。どれくらいそんなことが繰り返されただろう。
行き倒れになった男を引き摺りこんだまではいいが、女には時の経過というものが掴めずにいる。
日が届かぬ洞穴の中で起きていたって、することはない。眠くなれば眠り、目覚めてもすることがないから仕方なく眠る、その繰り返しだ。食事の回数で推し測ろうにも、たえず寝ているから腹が空かない。ついには、夜だろうが昼だろうがどうでもよくなってしまうのが現実だ。
男を助けたことを、女は最初はしまったと思っている。助けた理由は単純なこと、綿入れがほしかっただけだ。死ねば幸い、運悪く回復しても、何か謝礼を貰えるだろうと考えただけだ。しかし、まじまじと顔を見て莫迦な真似をしたと後悔した。捨てに行こうかとさえ考えたくらいだ。
では、ひとおもいに殺してしまえばよさそうなものだが、誇がそれを許さない。
しばらく焚き火にあたっていると、凍えていた体がほぐれてきた。けれども雪にまみれ、波しぶきを浴びた着物が肌に貼りついて震えが止まらない。藁の中に埋まれば温いことはよくわかる。しかし哀しいかな、藁は男のところにあるのがすべてだ。
潜り込もうか、それはできない。だけど寒くてかなわない。だけど、あの男の横は厭だ。
寒さと感情の板ばさみになって女はもだえた。