第一章 四節 異質なるものとの遭遇
結局、補習は夕方まで続いた。
山篠から『明日から始まるゴールデンウイークも補習だ』と宣告されたときは聖都市の教育機関に対して殺意を抱いたものである。
まだ五月とは言え暗くなるのは早く、街灯が道を照らし始めた頃、西城はラインに会った橋にさしかかっていた。
西城は浅いため息をつきつつ、果たしてファミレスでの自分の選択は正しかったのかと心に問いかける。
しかし、すぐに頭を振って考えるのを止めた。
過ぎてしまったことは仕方ない。今更、後悔しても遅いのだ。
西城はもう一度ため息をつき、歩を進めようとした。
「それは後悔によるため息か?勇気を出すことができなかったことを恥じているのか?」
それは男の声だった。西城は心を見透かされたその声を不快に感じる。
「……誰だお前」
街灯の当たらない暗がりから近づいてくる男に西城は警戒心を募らせた。近づくにつれ、男の容姿が明らかとなっていく。
黒髪に、現代では見慣れない藍色の着物。足には何も履いていない。あごに少々、髭を生やしているが、それが逆に風格を表している。
そして、何より特徴的だったのが腕だった。どう見ても左腕がないのだ。
西城は異質な格好の男を危険だと直感した。トラブルやケンカの類ではない、もっと別の何かだと。
「君が勇気を出せなかったことを恥じる必要はない。そもそもあの状況下で飯を与え、話を聞き、できる限りのことをした君は合格点を優に越している」
男は西城の問いに答えることなく、自らの話を進めていく。
西城はそれを黙って聞いていた。男は西城から十メートルほど離れたところで止まる。
「君は聖人君主でなければ、英雄や勇者でもない。ただの一般人だ。そうだろう?少年」
「…………」
西城は黙秘を貫く。
「しかし、だからと言って勇気を持たないのも些か不合理だ。一般人が勇気を持ってはいけないことにはならないのだから。何か理由があるのかね?」
男は西城に問いかける。
「……別に俺は助けたくなかったわけじゃない」
西城は自らの手に目線を落とす。確かに西城は異能者であり、人類の中では力を持っている人間だ。
だが、それだけで神や天使に敵うのか。その疑問が西城の頭からずっと離れなかった。
「助けれるなら助けたかった。救いたかった。けど、相手は神だぞ。人類を追い詰め、滅亡に追いやった奴らだ。どうやったら敵うんだよ」
そこまで言った西城は深呼吸をする。そして、目線を川の方へと向けた。
「私には君は逃げる道ばかり作っているように見えるのだが?」
「逃げる?」
男は少し生暖かい風を浴びながら、涼しい顔で西城に問いかけた。その言葉に西城は目を見開く。
無自覚とは恐ろしいもので他人に指摘されるまで気が付かないことが多い。自分にとって当たり前でも他人が見れば変に見えるということだ。
今回の西城はまさにその通りだった。
「勇気を持ち、覚悟したまえ」
男は両手を広げ、空に広げる。その姿は余りにも力強く、神々しい。
西城はふと違和感を覚えた。
なぜこんなにも自分から話をしているのか。なぜ男を神々しいと思ったのか。
まるで目の前の男に西城の言動を誘導されているかのよう……
「ッッ!!?」
西城は気が付いた。
そして、改めて確認する。なぜ今まで初対面の男と親しくしていたのかを。
「おや、気づいたか。意外と早かったな、少年」
男は笑みを零した。その笑みはまるで大人をうまく騙した子供のようだった。
西城は改めて男を警戒する。
「あんた……一体何者だ?」
西城の質問に男はさらに笑みを大きくした。それを見た西城は怪訝な顔になる。
「ふむ。何者か、それは答えられないな。ただ、一つ言えることは君が会った巫女を捕まえに来たということだ」
西城はラインの言葉を思い出しつつ、頭を働かせる。西城は巫女が抱えている問題の争点は彼女が神から狙われていることだ。
となると、目の前にいる男は神に準ずる何者かということだ。漂う異様な雰囲気にも納得がいく。
「それであんたは俺に何か用があるのか?言っておくが、俺はラインの居場所は知らないぞ」
「ああ、そんな事はどうでもいい。私の目的は君をここに留めておくことだ」
説明を省いた男の返答に西城は首をひねる。
そして、自分を橋の上に留めておくことは男にとって何が良いのか。
そう考え始めた西城は男を見て、息をのんだ。
「だから、君の生存はどうでもいいというわけでね。……悪いとは思っているよ」
男が見せた動きは単純だった。右腕を空中に上げたのだ。ただそれだけの行動を西城は恐れた。
異質な格好で異様な雰囲気を放つ人物が起こす行動に何もないわけがない。
男が右腕を振りぬいた瞬間、ごうッと西城の横を風が通り過ぎた。西城が横目で見ると、アスファルトが削れている。
「おや、外したか。力が弱まっているとはいえこれほどとは……」
男は攻撃を外したことが予想外だったのか驚いている。
いや、故意に外して驚いた風に装っているだけかもしれない。どちらにしろ、西城に当たっていれば即死だった。
西城は逃げる算段を考え始める。男の力は異常だ。
それに、男は西城の生死など興味がない様だった。ということは、異常な力を西城に向けて何回も
放ってくることだろう。
ならば、隙をついて逃げたほうが生存率は上がるはず……
「まぁ、待ちたまえ」